第6話

天界は静かだった。

それは平和だからではない。

混乱が、音を失うほど深刻だったからだ。

雲の上に築かれた白亜の都市。

無数の神殿。

光の柱。

秩序そのものを建築したかのような場所。

そこで今、神々は集められていた。

円卓。

席は埋まっている。

だが、誰も口を開かない。

沈黙を破ったのは、観測神だった。

「……観測不能域が、拡大しています」

その一言で、空気が重くなる。

「またか」

「原因は?」

「例の人間だろう」

名前は出ない。

出せない。

言葉にした瞬間、神格が揺らぐからだ。

「ユグ・ノアールは動いていない」

観測神の声は淡々としている。

「だが、影響は動いている」

戦神が拳を握る。

「意味がわからん。動かない存在が、なぜ世界を変える」

「基準だからだ」

今度は理の神が答えた。

「彼は“力”ではない。“上限”だ」

天界の誰もが理解している。

だが、認めたくはなかった。

「我々が定めた理の外にいる存在など、本来あってはならない」

「だが、存在している」

沈黙。

天界は、長い時間をかけて世界を管理してきた。

均衡。

循環。

因果。

だがそのすべてに、いつの間にか例外が組み込まれていた。

しかも、無自覚のまま。

「なぜ……なぜ彼は“家”を持った」

創造神が、ぽつりと呟いた。

答えはない。

だが、皆わかっている。

家とは、拠点ではない。

逃げ場でもない。

世界との距離を固定する装置だ。

「彼は、世界と一定以上近づかないために、家を作った」

理の神の言葉に、ざわめきが走る。

「それは……我々が管理すべき案件では?」

「できなかった」

観測神が即答する。

「家そのものが、理の外にある」

天界は初めて、完全な失策を自覚した。

「では、今はどうだ」

沈黙のあと、誰かが問う。

「彼は家にいる。だが世界は不安定だ」

「いいえ」

観測神は首を横に振った。

「不安定なのは、我々です」

その言葉は、致命的だった。

「世界は今、“自分で答えを出そうとしている”」

「英雄に頼らず」

「神に祈らず」

「最強に委ねず」

「それは……」

創造神が言葉を探す。

「神の役割を、超える行為だ」

否定の声は上がらなかった。

天界は知ってしまった。

ユグ・ノアールは、世界を支配していない。

世界を救ってもいない。

世界が自立するための沈黙を選んでいる。

「……我々は、何をすべきだ」

長い沈黙の後、理の神が結論を出す。

「何もしない」

ざわめき。

「干渉すれば、世界は再び依存する」

「観測に徹しろ」

「彼の“家”を、侵すな」

その決定は、天界にとって敗北に近かった。

だが同時に、初めての選択でもあった。

管理者であることを、やめる選択。

その頃、地上。

ユグ・ノアールは、紅茶を飲みながら本を読んでいた。

天界の動きなど、知らない。

いや、正確には。

知る必要がないと思っていた。

家は、何も語らない。

警告もしない。

感想もない。

ただ、機構として、そこにある。

「……静かだな」

それだけが、ユグの感想だった。

天界は、彼を見下ろすことをやめた。

世界は、彼を呼ばなくなった。

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