異世界転生:66歳元教員ツヨシの悠々自適な開拓生活

羽越世雌

第1章:教務部長の村おこし

第1話

第一話:屋根の上から異世界へ

「……あ、防草シートの端、あそこまだ止めてなかったな」

それが、六十六年の生涯を閉じる男の、最後の述懐だった。

築二十五年の我が家。定年退職してからというもの、ツヨシ――剛(つよし)は、この家を「自分にとっての聖地」に作り変えることに心血を注いできた。

網戸を張り替え、便座を最新式にし、庭には防草シートを敷き詰めて、人工芝と瓦チップを撒いた。システム管理者としてパソコンに向かっていた現役時代とは対照的に、汗をかき、泥にまみれるDIYの時間は、彼にとって最高の贅沢だった。

しかし、人生の幕引きは唐突に訪れる。

ソーラーパネルの定期点検中。ほんの少し、足元が滑った。

空は青く、遠くにはニュータウンの街並みが見える。

「教員時代なら、もう少し身軽に動けたんだがな……」

そんな自嘲気味な独り言を最後に、ツヨシの意識は深い闇へと沈んでいった。

「――気がつきましたか、教育者(エデュケーター)よ」

鈴の鳴るような声に目を開けると、そこは一面の白光に包まれた空間だった。

目の前には、言葉を失うほど美しい女性が立っている。女神、と呼ぶのが最も相応しい存在だろう。

ツヨシは、長年の職業病で、まず相手の目を見て軽く会釈をした。

「失礼、ここは……いわゆる『死後の世界』というやつですかね。それとも、新しいアニメの導入部か何かで?」

「ふふ、落ち着いていますね。あなたは死にましたが、その知識と経験、そして『何事も自力で整えようとする意志』を惜しんだ世界が、あなたを招いています」

女神は微笑み、ツヨシに告げた。

あなたが愛した「オンライン百科事典」の知識と、組織を導く「校務分掌」の力を授ける。それを持って、未だ混迷の中にある異世界を――。

「異世界、ですか。再任用を断ってようやく手に入れた隠居生活だったのですがねぇ」

ツヨシは苦笑しながらも、内心では少しワクワクしていた。

「……まあいいでしょう。これも何かの縁だ。ところで女神様、その世界に『防草シート』や『高圧洗浄機』はありますか?」

「それは、あなたが作るのです」

目が覚めると、そこは湿った土の匂いがする森の中だった。

ツヨシは自分の体を確認した。

足腰の重みが消えている。六十六歳の老体ではなく、五十代前半……教員として学校全体を飛び回っていた頃の、最も頑健だった時期の感覚に近い。

頭髪には渋いロマンスグレーが混じっているが、肌の張りは明らかに若返っている。

「さて……まずは『現状把握』からだな。進路指導の基本だ」

彼は頭の中で、女神に授けられた力を念じた。

すると、視界にブラウザの検索窓のような半透明のウィンドウが浮かび上がる。

『検索:現在地、および周辺の状況』

【検索結果:ダルトン辺境伯領、最北の廃村「ノア」付近。】

【状況:深刻な過疎化と貧困。インフラ整備状況、ゼロ。】

「インフラ、ゼロか。これはやりがいがある」

ツヨシは立ち上がり、辺りを見回した。

足元の土は粘土質で、雨が降ればすぐにドロドロになるだろう。森の木々は質が良く、燻製のチップにするには良さそうな香木が混ざっている。

ふと、自分の背負っているリュックサックの中身を見た。

そこには、前世で愛用していた工具セットと、なぜか「電動アシスト自転車」が魔法的な変換を遂げて鎮座していた。

「よし。まずは拠点(マイホーム)の確保だ。定年後、暇に任せてオンライン百科事典を読み漁った知識が、どこまで通用するか試してみるとしよう」

ツヨシは、かつて部活動の顧問として、あるいは学年主任として、数々の「問題児」や「課題」を解決してきた時と同じ、不敵な笑みを浮かべた。

「とりあえず……この道のぬかるみをなんとかせんと、生徒指導(村人の教育)もままならんからな」

元教員、六十六歳(外見五十代)。

彼による、異世界の「劇的ビフォーアフター」が今、幕を開けた。

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2026年1月14日 12:00
2026年1月15日 12:00
2026年1月16日 12:00

異世界転生:66歳元教員ツヨシの悠々自適な開拓生活 羽越世雌 @tuetue319

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