8
最終会議が終わり、その週の休日に真幸は大節に会うことになった。連絡は真幸からだ。
三連休に、「せっかくだから、大節さんにも。どうかしらね、まさきちゃん」という祖母からのメールで真幸は祖母の家に訪れた。そして父親の骨を少量、包んだ布袋を渡された。実際に渡され、そんなに信頼していいのかと思ったが、祖母の審美眼はたしかである。
元々、祖母は電機メーカーの経営者の妻だった。祖父の会社は倒産しかけ、新しい事業を興した。その頃に流行った携帯やパソコンの見映えをよくするためのアクセサリー類のネット販売を女性顧客向けに始めた。その発案は祖母によるものだったらしい。泣く泣く何人も雇用を切り、会社を縮小化した。それで祖父の会社は何とか経営が回った。祖父亡き後、後を継いだ祖母は今は完全に引退している。人間関係で嫌になったと呟いていた。祖父がいなくなってやる意味を失くしたと。
祖母の家で昼食をとってから、大節にメッセージを送った。明日の日曜日に早速、会えることになった。
なぜか動物園で待ち合わせになった。昨夜、地図で探すと、父親がいた大都病院から近かった。関連がありそうだったが、尋ねるのに勇気がなかった。五分以上余裕を持っていたが、大節が先に到着していた。
大節が、真幸に気づくと頭を下げた。真幸も下げようとしたが、素早く、大節はスマホを出して、早打ちをした。
『こんにちは。予定通りに、動物園に入りましょう。ちなみに入場料は不要です』
真幸は頷くと、ハッとなった。大節のペースに呑まれている。スマホを打ち込める隙をなくしそうで、慌てて、スマホを打ち込んだ。
『わかりました。よろしくお願いします』
大節は、ぱちくりとまばたきをし、上の方向へ目線を上げた。そして、動物園の方へ目線を向けた。大節が無言で歩き出すと、真幸は、大節が薄い黒リュックサックを背負っているのを見た。リュックサックにしても、肩に掛かるベルトが、細い。というか、紐だ。真幸は尋ねたかったが、気が引けた。
大節が、窓口でチケットを購入せずに入口の動物園の職員に何かを提示した。その後で、大節は真幸を指し「2」の数字を指で示した。
入場後、真幸は、少し心が浮き立った。その正体がなんなのか、深く考えなかった。真幸が不思議だと思ったのは、大節が職員から動物園マップのパンフレットを受け取らなかったことだ。真幸はパンフレットを二人分、受け取った。真幸は、大節に渡そうした。
『手になにかを持っていると落ち着かないんです。すみません、自分は要らないです』
なぜかショックを受けた自分に真幸は驚いた。
大節は、大きな案内図を眺めた。そして真幸に向かって、控えめに左右にゆっくり手を振った。その動作は馴れ馴れしいのに関わらず、大節がすると馴れ馴れしくない。なぜか心地よい。「なぜだ?」と思った。
『自分が行きたいのは、ここの浮世池です』
浮世池と聞いて、真幸は記憶の蓋が開きそうになった。黙って大節の後をついて行くと、『真幸さんは、動物を見たいですか?』と聞いてきた。
真幸は子供扱いされたような気持ちになったが、大節の表情にからかう様子は無かった。至極、真面目な顔付きだ。真幸は、その生真面目さに吹き出したくなった。
「あ」と思い至った。大節は、一つ一つ考えて気を遣っているのではないかと。自分も細かいところまで気にする方だが。しかし、大節の方が自分より気を遣っているようだった。何となく気になり、「疑問を口に出してみようか」と思った。何て聞けばいいのか戸惑ったが、大節が立ち止まったので、真幸も立ち止まってスマホに打ち込んだ。
『失礼かもしれないですが』
大節が首をかしげた。周囲を見ながら、人通りの少ない方へ立つ。何となく察した。
『しょっちゅう、どこを見ています?』
大節は、更に首をかしげた。でも目を見張らせたままだ。
『俺は、仕事で、上の気持ちを考えています。しつこいくらい。なぜかと言えば、前にいた職場がブラックだったからです』
大節が息を呑んだ。
『だから、常に自分が有利になれるように、発言も細かく考えています。二度と過労でぶっ倒れたくないから』
真幸はゆっくり大節を見た。大節は切なそうな目で見つめ返す。それから自然に視線を外して、打ち込んだ。
『出来る範囲で、全体を見て考えています』
想像以上だった。大節は渇いた声で自嘲するように笑った。
『まぁ大変ですよね。そこまでするのか? とも。でも』
真幸をうかがうように見つめる。
『勉さんがやっていたから。だから、俺もやれるんです』
真幸は大きく動揺したが、納得感があった。思い出せば。かつて、父は周囲を窺うお人よし過ぎる人間だった。そうだった。
『さて。どうします?』
『俺は動物も見て回りたいです』
大節は頷き、ゆっくり歩き出した。
今日は風が冷たい。園内の動物は余り見えない。大節は目がいいのか、動物を繁みや木の枝の隙間、隅っこの端から見つけて、指をさした。真幸もその方向を見る。動物たちは、つぶらな瞳をして木や茂みの上にのぼっている。その度に、真幸は、「ホントにいた!」とびっくりする。大節は、嬉しそうだった。真幸は、照れくさいような気持ちになった。柔らかい四肢の中に澄んだ目をじっと見つめると心が解けていくようだった。
この園の目玉、レッサーパンダに着くと、家族連れの行列で一杯だった。大節が「行きますか?」と指さす。真幸は首を振った。
『浮世池に向かう前に、行きたいところがあります。いいですか?』
真幸は頷いた。
建物の前で大節はスマホで時間を確認してから入った。建物の前に「管理事務所」とあった。しかし「ライブラリー」ともあって、目指すところはそこだろう。
案の定、大節はライブラリー室に入り、一礼した。一礼された職員は「あ!」と笑顔を見せた。大節は意に介せず、新書の本が並ばれているコーナーを眺めている。一冊取って、バラバラとめくって思案していた。職人の一人が筆談ボードを見せて、大節の表情が一瞬、硬直した。すぐに笑顔に変わって、大節はスマホで打ち込み、それを見せた。女性職員が朗らかな笑みを見せた。すかさず、大節は本へ視線を落とす。職員はにこにこと真幸に頭を下げてから、そっと立ち去った。大節は本に集中していた。やがて『お待たせしました。行きましょう』と大節は真幸に言った。
真幸は、こんなところまで来るのだから、ただの本好きだと思った。しかし、それだけではないのはわかっている。尋ねるのが怖い。自分は何を尋ねたいのか? 自分の何かを一遍に、引っ掻き回されて、引っ繰り返される。
浮世池に到着した。すぐ近くに軽食屋があり、飲み物を購入した。
ベンチに座り、真幸はカフェラテをちびちび飲む。大節はぐいっと飲みほすなり、ベンチに紙コップをそっと置いて、池の周りを歩く。池は、都会には見えないくらい壮観な眺めだった。池の水は濃い藍色を湛えていて、きれいだ。記憶と変わりないだろう。すっかり忘れている。
大節は何をしているのだろうかと真幸は、首をひねった。何かが、あるのだろう。それが何なのか。真幸は、大節に聞いていいのか、逡巡した。
大節が戻ると、真幸は思い切って尋ねた。
『日高さんの骨を撒くのに、いい場所を探していました』
真幸の身体は再び硬直してしまう。
大節はそんな真幸に気づいた。
風が大きく吹きすさぶった。大節は無感動に池に生じた波紋を見た。子供が小石を投げたらしい。親が石を連投する子供を止めている。一つ生まれた波は幾重に連なる。
『自分はここで。骨、わざわざありがとうございました。おばあさまにも伝えてください』
大節はそう言って深々と頭を下げた。固まって動かずにいる真幸に対して、大節はどこまでも親切だ。真幸は不甲斐ない自分を呪った。それを知ってか知らずか、大節は労わるように笑う。気にしなくていいというような。それは真幸が日高の息子だからなのだと、やっと気づいた。
大節はまた一つ深く頭を下げて、行きと違う方の出口へ向かって消えた。
真幸は数分経って、意を決して、大節の後を追うことにした。恐らく近くにいる。なぜならば? 真幸は一度、父親にここへ連れて来てくれたことがあったからだ。それも小学生の時、忙しい時間の間を縫って幾度も。
真幸の父は動物をあれこれ見ている間、浮世池で待っていた。浮世池の前で父はココアを飲んでいた。
真幸の心の中で疑問が噴き上がる。大節もまた、父とここに来たのだろうか、と。
大節を追っかけようと走り、しかし五分も経たず、あっさり見つけ、真幸は脱力した。
大節は、池の周りでなく人が通らない日陰の地面を小さなスコップで掘り出していた。その傍らにチューリップの球根、と記載しているパッケージに目を引いた。大節が振り返った。大節は視線を感じやすいのかもしれない。真幸は無言で立ち尽くした。
大節は数秒だけ考え込んで改めて土を掘り続けていた。真幸を気にしていない。大節がスマホを操作し、腐葉土の袋を掘った土の中に流し入れ、混ぜるのに没頭している。
真幸は、「この人は何なのか」と思った。大節の行動は真幸がいようがいまいが、関係ないようだ。それが真幸には助かっている。
立っているのも疲れていると、真幸は地べたの上に体育座りをした。大節はヤンキー座りをしていたが、しばらくしたら地面に座り込んだ。
十五分位して大節はチューリップの球根をスマホで計測しながら、間隔を作って、三つ植えていた。あらかた球根を植えると、大節は、片手を払ってから布袋を出した。骨を手の平に移して、ばら撒いた。そして、更に土をかけた。トントンとスコップの背で叩くと、パッケージに栄養液とある容れ物を傾けた。
大節は大きく息をついて、立ち上がった。腰を叩き、やれやれと肩を竦めた。その後に球根を植えた地面に向かって、手を合わせた。それから、じっと見つめていた。
父と話しているようだった。
大節はゴミと使用した道具を集め、ビニール袋に突っ込み、リュックサックらしき袋に入れて、背負った。真幸とかち合ったが、大節は大股で真幸の前を遮った。「勝手に付いて来たんでしょ?」と言いたげに。でも大節は何も言っていない。すべては真幸の想像だ。
大節がやっていることは誰にも迷惑はかかっていない。
けれど、それを受け入れられない自分に胸が騒ぎ出す。
大節がいなくなっても、真幸は地面の上で体育座りをし続けていた。やがて馬鹿らしくなって立ち上がった。呼吸を繰り返し、早まる鼓動を感じた。
ふと真幸は大節が植えた箇所へ、目を凝らす。そこに近付きたくない。何をするか自分でもわからない。わかるのは今考えていることを実行したら大節に嫌われる。しかし、大節はいない。周囲を振り返っても人の気配はしなかった。もう少し先には人がいそうだが。
ぐっと身体に力を入れて真幸は、その場から立ち去った。
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