5


 大節との再会は、一週間後だった。葬式の翌日、大節から連絡が来た。


『バタバタしてしまい、失念していました。ご香典をお渡ししたいのですが、郵送します。宜しかったらご住所を教えて頂けませんか』


 何なんだろうと思った。しばらく考えた。人情が篤い、と妙にしっくり行く言葉の表現が見つかると膝を打った。なにかがおかしいと思って、おかしくもない。それでも、なぜかとても奇妙だ。そのわけは、人がよすぎる。これに尽きると思って、やっと納得が行った。


 普通はそこまでしない。ことが終わったら、人の関係は、それまでなのだ。どこもそうだ。


 ひょっとしたら、障害者というのはそういう存在かもしれない。誰もが忘れてしまった大切なことを思い出させてくれる。


 自分も、もしかしたら? と期待を思う。


 朝食もそこそこに、待ち合わせの喫茶店に向かった。駅から徒歩十分位先の地下にあるせいか、休日でもまばらで人は少ない。既に大節は入り口付近の二人席に着いていた。注文は済んでいるらしく、もう食べ始めていた。


 「ふつうは、待つものではないのか?」と真幸は思った。けど、そもそも自分たちの関係はふつうではない。つながりのもとは、父親なのだ。顔を顰めていると、大節は「すみません」というように頭を下げた。真幸は咄嗟に首を振った。


 そして通訳の上山はいないなと気づいた。当たり前なのだが、いなくて良かったと思った。帰り際の大節と上山の様子が変だった。それが、今でも気になっている。


 真幸は、レジで注文し、ドリンクを貰った。席に着くと大節はスプーンで容器を掬って飲んでいる。「何を飲んでいるんだ?」と凝視したら、不思議そうに見つめられた。さすがにそうだよなと目線を逸らし、一口飲んだ。


 大節が注文した分の飲食物をたいらげると、スマホに打ち込んだ。真幸は失礼だなと思わなかった。この人の一つ一つの所作には意味があるように思う。待つと、真幸のスマホが震えた。RINEだ。差出人は大節冬梧。


『ご香典はいらない。かわりに、日高さんのことを聞かせてほしいとのことですよね。何を話せばいいでしょうか?』


 真幸は、なぜか動揺しながら返信を打った。


『父とは、どこで知り合ったんですか?』


『病院です』


 病院? と思いながら、それは一体いつだろうかと思って、打ち込んだ。


『今から、六年前に知り合いました』


 六年前、自分は何をしていたんだろう。真幸は顧みた。


『大変失礼なのですが、ご職業は?』


『保険会社の契約社員です』


 真幸は、年齢もききたかった。それは、失礼過ぎるなと思った。なんなら、自分の職業についても言いたい。けれど、褒められたくない。そういう話をしたくない。欲望を抑えて、飲み物を飲んで表情をごまかした。


 大節は、何でもなさそうに飄々としている。


 年齢は同じくらいだと思うが、この年齢なら、昇進はしていいはずだ。そう思うのだが、なぜ、「契約社員」と言ったのか。深く考え込むと、返信が来た。


『そんなにふしぎですかね』


『違います、正社員じゃないんだなと』


 大節が不思議そうに、大きく首をかしげた。


『というか、当然では? 障害者なのだからこれで妥当ですよ』


 真幸は、目を見張る。ガツンと脳天に衝撃が降ってきた。たしかに、と思ってしまった。でも「そうなのか?」と頭をひねった。大節から、また返信が来た。


『ちなみに、去年までアルバイトでしたが』


 どういった事情でアルバイトなのかは大節の身体障害から来るものだと推測した。不利な境遇であっても契約社員までこぎつけるのは根気がいると思った。すごい、と思って、真幸は、そう打ち込んで送信した。


 大節は、再び首をかしげていたが、表情が柔らかくなった。真幸が照れてしまうほど、嬉しそうである。


『ありがとうございます。そう言って下さる人がいなくなってしまったので』

「いなくなってしまった」が急に引っ掛かった。過去に恋人がいたのだろうか。けれどこれは、いない方がおかしい。俺から見ても、大節は人間的に魅力過ぎる。耳がきこえなくても。これは、男女に関係なく大勢に好かれるタイプの人間だ。そう思っていると返信が来た。


『日高さんに、よく励まされていました。あの人がいなければ、今の自分は存在しません』


 メッセージを読みながら、真幸の身体の中の血液が逆流するような心地になった。ここでも、父親。


 違うだろう? あんたが、父を変えたんだ。そうに、決まっている。


 カフェラテを一口飲んだ。


『ご謙遜を仰らずとも。大節さんの日頃からの努力でしょう』


 大節は、途端に、眉間に皺を寄せた。首を振りかけて、少し迷ってから、大節は大きく首を振った。


『あなたが日高さんを嫌悪するのは俺でもわかります。しかし、あの人がいなければ、今の俺は無い。これはれっきとした事実です』


 真幸は頭上に隕石が降って来たかのように衝撃で動けなかった。あり得ないと一つこぼして「あり得ることは無い」と呟いた。


 しばらくして、真幸のスマホが振動した。


『今日は、これで失礼します。申し訳ありませんでした』


 なぜ謝る? と思った。動揺が落ち着かない。


『あなたのことは日高さんからよく聞いています。それだから、自分は、どうしたらいいかわからない』


 とっさに、真幸は「なら俺の年齢も知っているな」と思い、半ば無意識で打ち込む。


『すみません、大節さんのお歳は?』

『二十九歳です』


 真幸はプライドが打ち砕かれたような気持ちになった。握り拳をつくって、うなだれた。


『すみません、もうこれで。また落ち着いたら、連絡をください』


 大節は打つが速いか、立ち上がり、食器皿と紙コップを片付け、ジャンパーを羽織る。真幸と目が合うと頭を少し下げる。そして、大節は店を出た。


 その数分後に、真幸も店を出た。


 フラフラとした足取りで、駅から見える展望台タワーに向かった。「この行動に他意は無い」と真幸は思う。しかし、展望台タワーの最上階までエレベーターで何十階まで到達すると「本当に、父はひどい人間だったのか?」と繰り返し自問自答した。


 エレベーターが到着すると、真幸は息をついた。ここは、父が。しょっちゅう俺を連れて来てくれた。入場料がタダだから。


 目の前には、曇天の空のパノラマ。


 父は晴れ男だった。小雨でも、突然、日が差し込み、晴天になる。どう言うわけかわからない。しかし、父が死んでから、やたら晴れの日が続いていたなと思った。今は、もうすっかりいない。初七日が過ぎている。だから、重苦しいほどの曇りなのか?


 どこかに座りたいと、真幸は思って、座席を探す。あの辺りに座るところがあったと思い出し、歩くと、大節がいた。


 大節の隣に人がいる。二人。距離感で、男女のカップルだとわかった。手話をしている。女の方がお喋りなのか、盛んに手話をしている。大節は、なぜか手を動かしていない。カップルの男の方が女の方に向かって手を動かしている。それでも、女は大節に食って掛かるように、しょっちゅう話しかけている。


 どういうことだ? と思って、真幸は立ち止まって注視した。助けるべきか、どうなのか。見つめすぎると、女が露骨に嫌な顔をした。大節が後ろを振り向き、真幸に気づいた。


 目が合うと、大節が縋るような目つきをした。真幸は、「助けるところだ」と察した。真幸はスマホを取って、送信した。


『こっちに来ませんか? よければの話ですが』


 スマホの返信を確認した大節が、真幸を見て大きく頷いた。二人のカップルに見向きもせず、真幸に向かって歩く。カップルの中の女が真幸を睨んだ。咄嗟に、「隣は彼氏じゃないのか?」と睨み返した。真幸は自分の外見が女にどんな印象を与えるか、知っている。あえて、不遜に鼻で笑った。その次の瞬間に、大節が女との間の壁になった。真幸は、女の醜い顔を見ずに済んだ。


 エレベーターで降りた後、大節が、「助かりました」と打ち込んだ。とても疲れている表情をしている。


『あいつら、うざいんですよね。無視しているのに、突っかかって来る』


『大変ですね、モテる男も』


 大節が、キョトンとした顔をし、吹き出した。大節はじろじろと真幸を見る。真幸は不愉快ではない。不快な目付きじゃなかった。


『いやいや。安河さんの方がイケメンだ』


『身長が足りませんけどね』


 大節はますます吹き出し、げらげらと笑った。笑い過ぎて腹をさすると、途端に腹の虫が鳴る。沈黙していると「……きこえました?」というように大節がユニークな笑顔と共にうかがった。これが大節のキャラクターなのだろうと真幸は思った。父はどんなわけがあって、大節といたのだろうかと思った。


 ふと沈黙が訪れると、大節はさっと頭を下げて、『ありがとうございました』とRINEに送って来た。確認の目配せをすると、もう一度、微笑み、礼をした。


 こちらが何かを言う前にするっと素早くその場を後にした。真幸は、しばらく立ち尽くしたまま、大節がいなくなった後を目で追っていた。もっと話したかったと思ったことが不思議だと感じた。

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