幸福は、まだ遠く
箸代守
1
真幸は、休日の正午前、自宅の居室で朝ご飯を食べていた。極度の疲れでずっと寝ていたので、ぼーっとしている。
TVに向かってリモコンのボタンを押す。
部屋の奥の隅にある、四十二インチの大画面。既に映像は流れている。北欧の映画だ。
突然、真幸によって、画面は、一時停止し、数シーン巻き戻される。
再生された映像では、洋館の寝室で、車いすの男性が、驚いている。なぜなら、その向かい側には背の高い男性が立っているからだ。その男性は、車いすの男性にとって、忘れがたい人だった。だから、再び出会ったこと自体に、信じられない顔をしている。
真幸は、何度も、この映画を視聴している。
この二人の絆は恋愛関係といったものじゃない。だから、真幸はこの映画が好きだ。しかし、そのような関係は現実では起こりえない。それゆえにフィクションなのだろうと思った。ほしいと思っても得られない、それだから強く胸に打つ。
再会。運命の巡り合わせ。これは、クライマックス直前の場面だ。別れたはずの彼らの再スタートの開幕を暗示するものでもある。
真幸はこのシーンを、何度も、見ている。
片方が朗らかに茶目っ気たっぷりに微笑み、両手を広げ、何かを訴えている。もう片方は座ったまま、大げさに、緩く、首を振る。
互いの表情はどちらも嬉しそうだ。
真幸は、こういう笑いの輪の中に、自分が立っている場面を想像できなかった。
『アルフォンス。俺がいなくて、やっぱり恋しかったろうね?』
『エリオット。馬鹿言え、この通り、五キロも肥えたさ。おまえの分も食べてやった』
車いすが腹を大きく見せ、わざとらしく叩く。その瞬間に、二人して、どっと笑いが起こった。ドアの隙間から見守っていた使用人たちは、彼らを知っている。だからこそ、感激で泣く。しかし、とてつもなく嬉しそうに。その内の男性が慌ててギターを持ってきて、でたらめに弾き出す。弾き出した使用人は、歌え! と目配せし、示し合わせた使用人の男女らは、高らかに歌う。
扉の向こうの彼らは、同時に肩をすくめる。
「どうする?」
「どうもこうも。おまえが得意だろう?」
背の高い男がほくそ笑み、歌った。使用人の歌声にどうにか合わせた風に。車いすの男性の顔には笑みが広がっている。そして、ふっと意地悪く、笑ってから、メロディ通りに合わせた声で歌い出し、突如、場は引き立つ。場の空気は車いすの男性が支配してしまった。
車いすの男性は、片目をつぶり、背の高い男性に挑発的に笑った。意図が通じた時、二人してニヤリと笑う。その途端、片方が、がむしゃらに踊る。段々、動きは洗練される。
使用人たちは笑う。中心の歌声は更に大きく、広がる。踊りの動きが盛んになると、車いすの男性が気押された。力が自慢の使用人が、車いすをさっと押し、ぐるぐる回る。
これで二人は対等だ。負けじと競い合う二人に、周囲が喝采するばかりか、囃し立てる。
これは、歌なのか踊りなのか、わからない。どっちが勝っても負けても嬉しいのはたしかで、どっちでもいい。
場は輝きを放つ。俗な賑やかさだ。けど、神々しい。真幸は、リモコンを操作する。大画面はまた巻き戻された。
真幸は、六分の一に切り取ったゴーダ・チーズを口に入れた。咀嚼の後、少量の白ワインを飲み、目をつぶった。甘さの混じった塩味がきく。辛さを含んだ酸味も同時に口内で広がる。
肩を落とし、スマホを触る。並んでいるアイコンの中で、カレンダーを開いた。
今日は、九月十六日。その翌日以降は、週五日出勤だ。明日以降のスケジュールを五日分把握し、先週まで進んだ業務の完遂率をざっと振り返った。
真幸はこめかみに指をあてて思案した。どのみち忙しいと、結論付けた。息をついた。誰かが代わってくれたらいいのに。
避けたくても避けられない女がいるのだ。仕事の肩書きが、彼女を無敵にしていた。ねっとりとした所作を思い出すと、身震いをした。
頭を両手で抱えると、溜息をまた深くついた。それから着信が入った。
祖母の名前が表示されている。
「どうしたの?」
祖母からの返答は無い。真幸は、首をかしげた。しばらく無言が続いた後、祖母が話す。真幸は、大きく両目を開き、眉間にしわを寄せた。祖母の恐縮する声色で、真幸は、返事したが、つっけんどんになってしまう。
「ごめん、おばあちゃん。おばあちゃんにとって、あいつは他人なのに」
祖母の声がますます緊張を帯びた。余裕が持てない、と真幸は思った。だが、出来ない。しかし、これは自分の役目だ、と真幸は思ってしまった。真幸は、自分がやる、と祖母に伝えた。けれど、祖母は聞く耳を持たない。埒が明かない、と溜息をついた。聞こえないようにしたかったが、祖母が怯えたかもしれない。
「じゃあ、病院で会おう。大都病院だね?」
祖母の涙ぐんだ声に、真幸は苛ついた。
「あいつのために泣く必要なんて無い」と、突っ返したくなったが、耐えた。あいつを父と呼ぶには、遠くへ葬り去ってやりたかった。
通話を終了し、真幸は目を閉じた。テレビは、再生を止めたままだったがやがてプツッと消えた。
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