第20話 : 偶然という名の偏り
この国の芸能界において、「数字」は絶対的な神託である。
しかし、その神託が理解不能な狂い方を見せ始めた時、それは「成功」ではなく「怪異」へと姿を変える。
【異変:理解を超えた熱狂】
月曜日の朝、芸能事務所のオフィスは祝杯のムード……とは程遠い、奇妙な静寂に包まれていた。
デスクに並べられた端末には、前回の美優の撮影カットに関するデータが並んでいる。
「……おかしいだろ、これ。解析班が匙を投げたぞ」
中堅スタッフが頭を抱える。SNSの拡散速度は、過去に類を見ない「垂直の伸び」を見せていた。広告費も投じず、派手なスキャンダルもない。ただのグラビア一枚に対して、種族を問わず、全大陸から反応が返ってきている。
しかも、そのコメントの質が異常だった。
『理由はわからないけれど、涙が止まらない』
『懐かしい。失ったはずの故郷の匂いがする』
『彼女を、守らなければいけない気がする』
「マーケティングの理論が通用しない。ただの『好感』じゃないんだ、これは。もっと……重くて、逃れられない『強制力』のような何かだ」
スタッフたちは、成功を喜びきれないまま、モニターに映る美優の笑顔を、まるで呪物でも見るかのように遠巻きに見つめていた。
【摩擦:無意識の拒絶】
現場の空気も、目に見えて歪み始めていた。
いつものように、エルフや魔族のアイドルたちと楽屋を共にする美優。だが、彼女が部屋に入った瞬間、賑やかだった会話がふっと途切れる。
「……ミユ。ごめん、ちょっといいかな」
親友の一人であるエルフのセラフィナが、申し訳なさそうに距離を置く。彼女は美優の近くにいると、魔法の集中力が散漫になり、理由のない眩暈(めまい)に襲われるのだという。
魔族のリリアは、美優が視界に入るだけで、牙が疼くような苛立ちを隠せない。ヴァンパイアのミランダに至っては、不自然なほどに美優と視線を合わせないよう、常に鏡の裏へと隠れてしまう。
「私……何か、変なことしたかな……?」
美優は自問する。嫌われているわけではない。むしろ、皆が自分を気遣ってくれているのはわかる。だが、彼女たちが美優を見る目は、まるで「美しすぎる毒」を恐れる、本能的な防衛反応そのものだった。
【予兆:龍族の沈黙】
その頃、リナは龍族の聖域から、数百年ぶりとなる「思念波(テレパス)」を受け取っていた。
送り主は、一族の最長老。その声は、深淵の底から響くように重く、震えていた。
『……リナよ。世界の揺らぎを感じるか。言葉が、その意味以上の質量を持ち始めている。……忌まわしき“人間”が、目覚めの近くにいるのではないか?』
『……言霊ではない』
長老の声が、初めてわずかに揺れた。
『言霊は「言葉に宿る力」だ。しかし、今観測されているのは――
言葉が生まれる前の揺らぎだ』
リナは息を呑む。
『かつて、人間がまだ“人”であった頃……
世界は、音と配列で記述されていた。
我らはそれをカタカムナと呼ぶ』
『意味を持たぬ音が、意味を決定する。
意志よりも先に、現実を定めてしまう言の型だ』
『もしそれが目覚めつつあるのなら――
それは力ではない。世界の設計図そのものだ』
「……長老。それは……」
『何もするな。介入も、停止も許可せぬ。まだ、現実に“何も起きていない”からだ。しかし、見届けよ。その言葉が、世界に穴を開ける瞬間を』
リナは震える拳を握りしめた。揺らぎの中心が美優であることは、もう疑いようがない。だが、一族の法ですら、この「静かなる予兆」を裁く術を持っていなかった。
【爆発:祈りの静寂】
その午後、美優は急遽、予定されていた地方の小規模なイベントに出演することになった。本来なら、新人の宣伝活動に過ぎない目立たない仕事だ。
しかし、そこで「偶然」という名に偽装された「運命の偏り」が爆発する。
朝からの土砂降りは、美優がステージに立った瞬間に嘘のように止み、雲の隙間から一筋の神々しい光が彼女を射抜いた。さらに、共演予定だった人気アイドルたちが交通トラブルで次々とドタキャンし、結果として美優が一人でセンターに立ち、長い時間を繋がなければならない状況になった。
美優が歌うわけでも、魔法を見せるわけでもない。ただ、そこに立ち、言葉を紡ぐ。
「……皆さん、今日は来てくれて、ありがとう」
その瞬間、広場を埋め尽くした数千の観客が、一斉に静まり返った。
歓声も、拍手もない。ただ、種族を問わず、人々がその場に立ち尽くし、理由も分からぬまま涙を流していた。
それはエンターテインメントの熱狂ではなく、失われた神を拝む「祈り」に近い静寂だった。
美優は、向けられる無数の瞳の中に宿る異常な熱量に、背筋が凍るのを感じた。
(……怖い。何かが、おかしい)
【ラスト:強い言葉】
イベント終了後。空になった控室で、美優は独り、鏡に向かってぽつりと零した。
「……私が来なかった方が、よかったのかな。あんなに皆を泣かせて……」
その瞬間、バチン、と音を立てて照明が落ちた。
会場に満ちていた異常な余熱が、まるで吸い込まれるように消え、空気が「正しい位置」へと無理やり戻されるような冷気が走った。
誰も、それが美優の「言葉」による現象だとは気づかなかった。ただ一人、影の中で彼女を見ていたリナを除いて。
帰り道、二人は並んで歩く。
夜風に吹かれながら、リナがかつてないほど真剣な声で切り出した。
「ミユ。お願いがあるの」
「……リナ?」
「しばらく……“強い言葉”を使わないで。こうしたいとか、ああなればいいとか……そういう感情を、言葉に乗せないで」
「強い言葉……? どういう意味?」
リナは答えず、ただ美優の手を強く握った。その手の震えが、何よりも饒舌に危うさを物語っていた。
その頃、世界の果て。
数千年前、人間という種族が消滅したと同時に沈黙したはずの、古い魔導観測装置が、暗闇の中で青白い光を放ち、静かに再起動を始めていた。
針は、**『言霊(コトダマ)の再臨』**を示して、激しく振れていた。
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