第1章 第2話 幼なじみと名字呼び
昼休みの教室は、相変わらず騒がしかった。
誰かが机をずらし、誰かが笑い、誰かがスマホを覗き込む。
その全部が、梅月梓にとっては当たり前の風景だった。
「ねえ梓、今日の体育どうする?」
隣の席から、安藤紗千が顔を寄せてくる。
茶色いウェーブの髪が揺れて、ほんのり甘い匂いがした。
「どうするって?」
「リレー。どうせ本気出すでしょ?」
「出さないって。目立つの嫌なんだけど」
そう言いながら、梓は自分でも分かっていた。
いざ走れば、無意識にスイッチが入ってしまうことを。
「はいはい。そう言いながら一番になるやつ〜」
紗千が笑う。
「ならないし」
「出た、“ならないし”。ほら来たよ」
紗千の視線の先――
石神達也が、席に戻ってくるところだった。
今日も相変わらずの無表情。
ツンツンした髪に、どこか眠そうな目。
なのに、教室の空気を一段落ち着かせる不思議な存在感。
「……梅月」
名前を呼ばれて、梓はぴくりと眉を動かした。
「なに」
「さっきの数学、答え違う」
「え?」
ノートを覗き込む。
……本当だ。符号が一つ逆だった。
「うわ、最悪」
「そこ直せば合ってる」
それだけ言って、達也は自分の席に戻っていく。
「相変わらず名字呼びなんだねぇ」
紗千が、にやにやしながら肘でつついてくる。
「別にいいでしょ」
「よくないでしょ。幼なじみなんだから名前で呼べばいいのに」
「……向こうがそう呼ぶんだから仕方ないでしょ」
梓はそう言いながら、どこか釈然としなかった。
小さい頃は確かに、名前で呼ばれていた気がする。
でもいつからか、距離を測るみたいに「梅月」になった。
理由は、分からない。
「ま、石神くんは不器用だからねぇ」
紗千は楽しそうに言ってから、急に表情を変えた。
「それよりさ。爆くん」
「……また?」
教室の向こうで、爆遊矢が派手に腕を振っている。
「なあなあ!今日の放課後ヒマな人〜!」
「声でかい」
「元気だなぁ……」
工藤樹土――むっちゃんは、席に座ったままぼそっと言った。
「ハラミ」
「そこかよ」
梓が思わず笑うと、爆くんがこちらに気づいて駆け寄ってくる。
「梓〜!今日さ、ちょっと面白い話あるんだけど!」
「面白いってろくなことないやつ」
「失礼だなぁ。ほら、最近話題のやつ」
「……なに?」
爆くんは声を潜める。
「MIYU²Campus」
その名前を聞いた瞬間、
なぜか胸の奥が、きゅっと縮んだ。
「またそれ?」
梓はできるだけ平静を装った。
「ゲームでしょ?」
「ただのゲームじゃないって!抽選で選ばれた人しか触れないやつ!」
「はいはい」
「信じてない顔だな〜」
「信じる要素がない」
達也が会話に割って入る。
「そういうの、変なの多いからやめとけ」
「え〜、石神までそんなこと言う?」
「……嫌な予感がする」
それだけ言って、達也は視線を逸らした。
(嫌な予感、って何)
問いかける前に、チャイムが鳴る。
⸻
放課後。
梓は紗千と並んで帰り道を歩いていた。
「さっきの爆くんの話、どう思う?」
「どうも思わない」
「即答」
「だって怪しいし」
「でもさ」
紗千は前を見たまま、軽く笑った。
「梓って、そういうの結局首突っ込むよね」
「……そんなことない」
「あるある。正義感強いもん」
「違うし」
反論しながら、心のどこかで否定しきれなかった。
⸻
家の前に着くと、玄関から小さな足音が聞こえた。
「……?」
ドアが開く。
「おかえりー!」
勢いよく飛び出してきたのは、小さな女の子だった。
「まゆ……」
梅月まゆ。
血のつながった妹で、
梓にとっては世界で一番守りたい存在。
「ねーね、今日ね!えほんよんだの!」
「そう。ちゃんと座って?」
「うん!」
梓はその頭をそっと撫でる。
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
――この日常が、ずっと続くと信じていた。
その夜、
梓は知らなかった。
すでにその世界の“向こう側”から、
静かにこちらを見ている視線があることを。
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