偽物世界の勇者物語

三枝 優

第1話

 僕は山田健一郎、十七歳。ごく普通の、どこにでもいる高校生だった。特に目立つこともなく、友達と騒ぐわけでもなく、部活動に熱中するでもなく、ただ漠然と毎日を過ごしていた。趣味はゲームとラノベを読むこと。好きなタイプは二次元にしか存在しないと諦めていた。女性と話すのは苦手で、クラスの女子と目を合わせるだけで顔が赤くなるような、内向的でシャイな人間だった。


 あの日も、いつもと変わらない日常のはずだった。学校から帰り道、お気に入りのラノベの新刊を手に、僕は足早に家路を急いでいた。ちょうど交差点に差し掛かった時、信号は青。いつものように横断歩道を渡ろうとした、その瞬間――。

 けたたましいブレーキ音とともに、左折してきた大型トラックが、僕の目の前を塞いだ。一瞬、世界がスローモーションになったように感じた。巨大な車体が迫り、強烈な光が視界を埋め尽くす。

 思考する暇もなく、鈍い衝撃。全身を貫く激痛。

 意識が薄れていく中、最後に見たのは、ひっくり返ったラノベの表紙と、空に広がる青い空だった。


 次に目覚めた時、僕は見知らぬ場所にいた。

 木々のざわめき、鳥のさえずり、土の匂い。どこまでも広がる深い森の奥。

「……ここ、どこだ?」

 身体を起こすと、全身に違和感がある。痛みはないが、どこか軽いような、生まれ変わったような感覚だ。突然の状況に混乱していると、頭の中に直接響くような、優しい声が聞こえてきた。

『ようこそ、異世界へ、山田健一郎。あなたは不慮の事故で命を落としましたが、私が新たな生を与えました』

 透き通るような声の主は、光り輝くドレスをまとった女神だった。信じられない現実。異世界転生――まさか、自分がラノベの主人公のような状況に陥るとは。

『あなたには、この世界で生きていくための特別な力と、ささやかな贈り物を与えましょう。どうか、この世界に救う魔王を倒してください。そうすれば元の世界に戻ることも可能でしょう』

 女神の言葉と共に、僕の視界の前に、光り輝く剣が空中に浮かんでいた。僕は導かれるようにその剣を手に取る。

 すると、その光はフッと消え去った。

『その剣は勇者の剣。その剣でこの世界の闇を払ってください』

 それ以降、女神の声は聞こえなくなった。


女神が消え去った後、僕は森の中をさまよった。いくら歩いても、見慣れた景色は現れない。食料もなく、喉の渇きと疲労が僕の体力を奪っていく。夕暮れが迫り、森が暗くなるにつれて、不安と恐怖が募った。このままでは、野宿どころか、明日を迎えることすら危ういかもしれない。絶望の淵に立たされたその時、遠くから人の声が聞こえた。

「エルザ、もう日が暮れる。今日の採取はこれで切り上げるわよ」

「ちぇっ、もう少しいけると思ったんのみ。健脚のあんたには敵わねえわ」

声のする方へ、僕は必死に駆け寄った。


茂みの中から現れたのは、二人の女性だった。

一人は、プラチナブロンドの髪をなびかせ、皮の鎧とガントレットを身につけた美女。その凛とした佇まいは、まさに冒険者という言葉が似合う。それがエルザだった。

もう一人は、漆黒のローブに身を包んだ、黒髪の美女。手に持った杖が、夕日に鈍く光っていた。落ち着いた表情と、どこか神秘的な雰囲気が漂う。それがシズだった。

 二人は僕の姿を見ると、一瞬驚いた顔をしたが、すぐに警戒を解いたようだった。

「おや、こんな森の奥で、ずいぶんと珍しい格好をした者。あんたは誰だい?」

エルザが僕に近づき、屈んで顔を覗き込む。その瞳は力強く、少しも臆することなく僕を見据えていた。

「顔色が悪い。道に迷ったのですか? ここは人里離れた場所ですよ」

 シズは冷静な声でそう言い放つが、その表情には微かな心配が浮かんでいた。

 僕はどもりながら、自分が異世界から来たこと、道に迷って途方に暮れていたことを話した。二人は僕の話を真剣に聞き、少し考え込んだ後、エルザが口を開いた。

「異世界からねぇ……信じられねえ話だが、あんたの格好を見るに、嘘をついているようには見えねえな。まあいい、あんた、どこか行く当てはあるのか?」

「……いえ、どこへ行けばいいのかも、全く分かりません」

 僕が力なく答えると、シズが静かに言った。

「でしたら、私たちと一緒に来ませんか? 私たちはこの近くの都市国家で活動している冒険者です。人手はいくらあっても困りませんし、あなたも、この世界で生きていくための術を学ぶ必要があるでしょう」

 エルザも頷いた。「そうだな。あんた、体は小さいが、なんだか面白い雰囲気を纏ってる。使えるようになるか、見込みはあるぜ。しばらく一緒にやってみねえか?」

 かくして、僕はエルザとシズに誘われ、冒険者ギルドへと向かうことになった。


 ギルドで簡単な登録を済ませ、僕たちは早速、薬草採取や木材の収集といった素材採取の依頼を受けることになった。この世界では、冒険者とは主に、人里から離れた危険な場所での素材採取や、交易路の護衛、未踏地の探索などを生業とする者たちのことを指すらしい。危険は伴うが、この都市国家の発展には欠かせない仕事だと聞いた。

 最初は慣れない森での移動や、見たことのない植物に戸惑うばかりだった。エルザは僕が道を外れないよう先導し、シズは危険な植物や地形、あるいは毒のある動植物について教えてくれた。僕はといえば、ただ言われた通りに薬草を摘み、木材を集めるのが精一杯で、足手まといに感じることもしばしばだった。

 それでも、僕は真面目に、そして一生懸命に働いた。汗を流し、時には転びながらも、少しずつこの世界のことに慣れていった。エルザは僕のそんな姿を見て「案外やるじゃねえか」と笑い、シズは静かに「健一郎くんは、きっとこの世界で役立つ存在になるでしょう」と励ましてくれた。

 二週間ほど経った頃には、効率よく素材を見つけ、採取するコツを掴めるようになった。何よりも、エルザやシズとの会話が自然にできるようになり、彼女たちとの間に確かな絆が芽生え始めているのを感じた。僕の内向的な性格は相変わらずだったが、彼女たちといる時は、どこか心が軽くなっている自分がいた。


 そんなある日、僕たちが冒険者ギルドで次の依頼を探していると、一人の女性が僕たちに近づいてきた。

「あの……もし差し支えなければ、あなた方が冒険者の方々でしょうか?」

銀色の髪が太陽の光を浴びて輝き、清楚な修道服に身を包んだその女性は、まさに絵画から抜け出してきたかのような美しさだった。彼女は、遠い東の国から来たという聖女、マリーと名乗った。

「どうか、この私を、少しの間で構いませんので、仲間にしてはいただけませんか?」

 マリーの懇願に、エルザとシズは顔を見合わせた。そして、僕もまた、その出会いが、僕たちの冒険に新たな彩りを加えることを、この時はまだ知る由もなかった。

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