針の箱舟

うちはとはつん

針の箱舟


雨の降るポートランドの空港に降り立った途端。

人探し屋の俺は、見知らぬ数千の意識とリンクして熱を帯びた。


埋め込み型の無線チップが、脳の深部でチリチリと音を立てる。


「……くそ、ノイズがひどいな」


俺はこめかみを指で押さえたが、無駄だった。

この街では、歩道ですれ違う者の「昨夜の夕食の味」が、自分の舌の上に再現される。


信号待ちをしている隣の女の「失恋の痛み」が、自分の胸を締め付ける。

無数の不可視の針が空を飛び交い、俺の神経を、誰のものかも分からぬパケットで串刺しにしていった。

「論理隔壁」を通して聞いているので、まだモニター越しに見る観客のような安全圏でいられるが……


「早いとこ済ませて、帰りたいぜ」


捜索依頼された娘の名は、ノアノアノアノア。

キラキラを通り越して、呪術的なものがまといつく名前だと思う。

娘の心配をするなら、まずはふざけた名前を付けるなと言いたい。


衛星軌道からの探査ログによれば、彼女はこの「針の箱舟(ポートランド)」の中心部で、最も強い混線の中に身を投じている。


俺は、ノア(長いのでノアと呼ぶ)が最後に見ていたであろう、風景のデータをチップにロードした。

すると視界が歪む。

自分が見ている街並みに、ノアの記憶が二重露光のように重なり始めた。


(ああ、気持ちいい……)


ノアの思考が、俺の脳内でささやく。

俺は舌打ちをした。

彼女を探すためには、彼女の周波数に合わせなければならない。

だがポートランドでは、違法な「ブースター」が出回り出力がデカすぎる。


合わせれば合わせるほど、俺自身の「私」という輪郭が、雨に打たれたインクのように滲んでいく。

そんな恐れを俺は抱いた。


「この依頼やめとくか、どうする……」


しばし逡巡した後、俺は落書きだらけの路地裏へと足を踏み入れた。


濃密な混線地帯。

「埋め込み型」の機能を全開放した若者たちが、互いに抱き合うこともなく、ただ数センチの距離で立ち尽くしている。

互いの全神経をハッキングし合っている。


彼らの皮膚は、過剰なデータ通信の熱で桜色に火照っていた。

れてすえた匂いが、通りに充満している。


俺の掌がチリチリと痛む、背中を通る中央神経で捉えた「シンパシー」が誤作動して、末端神経に影響を及ぼしていた。

嫌な兆候だが、経験上これが捜索対象に近づいていることを、俺に教えていた。

ノアが近い。


「ノア……」


俺がノアの名を呼んだとき、「娘を見つける」という使命ではなかった。

俺の脊髄に突き刺さる、ノアの「自由になりたい」という強烈な飢え。


そして、その飢えを共有した、俺の身悶えするような快感。

俺は足をもつれさせながら、発熱した人ゴミの中を泳ぐように進んでいく。

路地の突き当たり、かつては広場だったであろうゴミ溜めは、今や巨大な「肉のサーバー」と化していた。


「……あれか」


俺の視界の中で、二重露光されていたノアの記憶が、ついに現実の風景とピタリと重なった。

視界のすみに、ノアの好きなアモルファス蝶が舞う。

いや、俺が好きな蝶だったか?


ノアは、広場の中央にそびえ立つ、古びた電波塔の基部に「接続」されていた。

いや、接続という生易しいものではない。

彼女の背中からは、無数のコードが、しめ縄のようによられて伸びていた。

塔の鉄骨を侵食するように巻き付いている。


彼女の周囲には、色とりどりの若者ジャンクたちが、まるで聖母を囲む殉教者のように円陣を組んで立ち尽くしていた。

彼らは自らの埋め込みチップを全開放し、ノアという巨大なハブを介して、互いの意識をドロドロに溶け合わせている。

ユートピアだ。


「ノア!」


俺は論理隔壁を最大出力で展開し、ノイズの暴風雨の中を突き進む。

一歩進むたびに、重力がのしかかるように体が重くなる。

見知らぬ誰かの「幼少期の恐怖」や「絶頂の快感」が、針のように俺の神経を刺してくる。


ようやく辿り着いたノアは、もはや「娘」と呼ぶにはあまりに神々しい。

彼女の皮膚は、過剰なデータ通信の熱で透き通るような桜色に輝き、その下を青白い光のパケットが高速で脈打っている。

目は見開かれているが、瞳孔はディスプレイの砂嵐のように絶え間なくノイズを吐き出していた。


「……おじさん、だれ?」


彼女の声は、口からではなく、俺の脳内に直接「ダウンロード」された。


「迎えに来た」

「迎えに?」

「東京行きの便は今押さえた。今日中に変えるぞ」

「変える?」


「ああそうだ替えるんだ」

「取り替えるのね」

「何を言って?」

「だっていま叔父さん、今替えるって言ったわ」


「俺はお前の叔父さんじゃないぞ」

「じゃあ何なの?」

「俺は……」


俺は何でここにいるんだ?

その問いかけに、俺のバックグラウンドで数百万の回答が浮かんでは消えていた。

それはポートランドの人口を越える数。

他者の思考からのフィードバック。


自分を失いかけている。分かっているが、自分を手放しかけている。

理解した。俺の目の前にいる女も、もうノアじゃない。

たくさんのノア。


ノアノアノアノアノアノアノアノアノアノアノアノアノアノアノ

ノアノアノアノアノアノアノアノアノアノアノアノアノアノアノ

ノアノアノアノアノアノアノアノアノアノアノアノアノアノアノ


ノアの羅列が、ゲシュタルト崩壊を起こして、ただの波形に変わっていく。

まるでアモルファス蝶のよう。

構造に当たる光(意思)によって、切り替わっていく。


ポートランドの雨は止まず、激しく振り始める。


「俺は……ノアノアノアノア?」

「……そうよ、おじさん。私を、ひとりにしないで」



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