オタクの神に拾われた話

アリスの裏

第1話 好きなものを好きと言え

 夜の池袋はネオンと騒音に満ちている。巨大なビル群の谷間に、終電間近の雑踏が流れ、その片隅で俺はコンビニのレジに立っていた。


 一八歳、フリーター、家庭なし――これが今の俺だ。高校二年の終わりにドロップアウトし、進学も就職もせず、親もいない一人暮らし。経済的には保険金のおかげで不自由はしていないものの、だからといって遊んで暮らす気にもなれず、こうして深夜のコンビニでバイトをしている。


 それが俺、椎名。特に取り柄もなく、友達もおらず、趣味はアニメとゲームくらい。端的に言えば、典型的な内向的オタク青年だ。


 ……我ながら、地味だし冴えない人生だと思う。


「いらっしゃいませー」形だけの掛け声を出しながら、俺は店内を見渡す。この時間ともなると客足はまばらで、店内には俺一人だけ。店長は深夜はバックヤードに引っ込んで仮眠している。そんなわけで、俺は暇を持て余していた。


 レジカウンターには、一冊のライトノベルが伏せて置いてある。先程までそれを読んで時間を潰していたのだが、客が来たらマズいので表紙を下にして隠していたのだ。万が一にも客にオタク趣味がバレたら恥ずかしい、なんて考えてしまうあたり、我ながら小心者というか自意識過剰というか……。


 ちらりと店内を確認する。自動ドアの向こう、ガラス張りの入り口から見える通りには、人影が一つ二つあるだけ。今のうちに続きを読んでしまおうか。


 俺はそっと文庫本を手に取った。表紙には派手なアニメ絵の美少女。タイトルは――まあ、それはいいだろう。要するにラブコメものの最新刊だ。


 ページを開き、活字を追う。この作品、ネットで話題になっていたから買ってみたのだが、主人公のダメっぷりに妙に共感してしまう。周囲に馴染めず一人で諦観している感じとか、「ああ、わかる」と何度呟いたことか……。


「……ぷっ」思わず吹き出しそうになるのを堪えた。作中のボケに笑いそうになったのだ。誰もいないとはいえ、職場で何やってんだ俺。


 そう思って顔を上げた、そのとき――。


「ねえ」


 不意に、カウンター越しに人影が立っていた。


「うおっ!?」


 驚いて尻もちをつきそうになる。いつの間に!?


 慌てて顔を上げると、そこには少女が立っていた。いつからそこにいたのか、まったく気配に気づかなかった。まるで幽霊か忍者だ。


 年は……俺と同じくらいか、少し下にも見える。小柄で細身、白い肌に、肩口で切り揃えた黒髪。大きな瞳がこちらをじっと見つめていた。


「……い、いらっしゃいませ」狼狽しながらも、とりあえず店員の台詞を口にする。


 少女はふっと笑ったように見えた。よく見ると、目の下に薄くクマがある。華奢で、どこか壊れそうな雰囲気をまとっている。だがその目は、妙な光を帯びているように感じられた。


「読んでて、面白い?」


 突然、少女が言った。澄んだ声だった。


「え……?」


 面食らう俺に、彼女はカウンターの上に肘をつき、身を乗り出すようにしてもう一度尋ねた。


「その本、面白いの?」


「あ、ああ……まあ……」


 視線が手元の文庫本に注がれているのに気づき、俺は慌ててそれを隠すように裏返した。まさか客にラノベ読んでるのを見られるなんて……最悪だ。顔が熱くなるのを感じた。


 少女はじっと俺を見つめている。気まずさに耐えかねて、「ありがとうございます」とレジ対応に移ろうとした。が――。


「買わないよ、それ」


 少女はレジに商品を持って来てなどいなかった。手ぶらだ。つまり客じゃない?


「え、えっと……夜中ですし、長居は……」俺は営業スマイルを貼り付けつつ、遠回しに退店を促そうとする。だが少女は動かない。


「ねえ、その本好きなんでしょ?」


 彼女は俺の隠した文庫本を指さした。顔から火が出そうだ。どうして見知らぬ女の子にこんな羞恥プレイを食らわねばならんのだ。


「べ、別に……普通ですよ、はい」


 消え入りそうな声で答える。正直に「大好きです!」と言える度胸はなかった。だってキモい奴と思われたくないし……。


 すると少女は、ぱちりとゆっくり瞬きをして、まっすぐに俺の目を見据えて言った。


「好きなものを、好きだと言え」


 まるるで真冬に冷水を浴びせられたような感覚が背筋を駆け上がった。


 少女の声は淡々としていたが、その言葉は鋭く俺の心臓を射抜いた。


「え……?」


 思わず聞き返してしまう。何を言われたのか、一瞬理解できなかった。


 好きなものを、好きだと言え――だって?


 そんなの、子供じみた……いや、正論すぎる主張だ。たしかに俺はさっき、好きなラノベを読んで笑っていたくせに、赤の他人の前では誤魔化そうとした。それはつまり、好きなものを胸を張って好きと言えてないってことだ。


 図星だった。だから何も言えない。


「……君には関係ないだろ」


 ようやく絞り出した言葉は、不貞腐れた子供みたいになってしまった。情けない。


 少女は「ふふっ」と小さく笑った。バカにしたようにも、嬉しそうにも聞こえる微妙な笑い。


「あるよ。だって私は“オタクの神”だもん」


 ――はい?


 オタクの、神?


 唐突すぎて、脳の理解が追いつかない。オタクの神? なにそれ新興宗教? 怪しすぎる。


 まるで漫画かラノベのヒロインみたいな台詞だが、現実で言われても困る。


「えーっと……夜も遅いですし、冗談はこのくらいに……」


「冗談じゃないよ。本気。本気で言ってるの」


 少女は頬杖をついたままニコニコしている。その笑顔はどこか危うい輝きをはらんでいた。


 ヤバい客が来てしまったか。クレーマーとかそういう類ではなさそうだが、深夜だし、このまま居座られるのも困る。


「あの、とりあえず店内での立ち読みや座り込みはご遠慮くださいね?」マニュアル通りのフレーズで牽制する。


 しかし少女は動かない。それどころか、すっと細い指が俺の胸元――名札のあたりを指した。


「椎名くん、18歳。……ふうん、高校中退してフリーター、両親は事故で他界。保険金で生活に余裕はあるけど自立のためにバイト……。へえ?」


 俺は心臓が止まるかと思った。


「なっ、なんでそれを……!? つーか個人情報!?」


 名札には苗字しか書いてない。年齢や家庭環境なんて初対面の相手が知っているわけがない。


「私は神様だからね。そのくらい知ってるよ」


 さらっと言ってのける少女。


 ゾッとした。電波系……いわゆるヤバいタイプの人間だ。かかわってはいけない。


「申し訳ありませんが、お引き取りを――」


「あ、待って。そろそろ時間だ」


 こちらの言葉を遮り、少女はひょいと身を翻した。時間? 何の?


 少女はこちらに背を向けたまま、ひらひらと手を振った。


「また後でね、椎名くん」


 そう言い残し、彼女は店を出て行った。


 ぽかんと見送る俺。自動ドアの閉まる音がやけに大きく響いた。


 ……なんだったんだ、一体。


 深夜のテンションで変な女につかまってしまったか? 「オタクの神」とか言ってたけど、要は俺の趣味に説教を垂れたかっただけの暇人か……。そう思おうとして、しかし胸の内に渦巻くもやもやは消えなかった。


 「好きなものを、好きだと言え」


 彼女の言葉が反芻される。そのたびに心臓がちくりと痛む。


 図星すぎて何も言えなかった自分が情けない……いや、だが。


「あーもう!」


 頭をかきむしった。深く考えるだけ無駄だ。どうせ一見さんのイカれた女の妄言だ。気にするな、忘れろ。


 そう自分に言い聞かせ、俺は閉店作業に取り掛かった。



 バイトを終え、裏口から外に出ると、ひんやりとした夜風が頬を撫でた。ビルの谷間から見上げる夜空には、星は見えない。代わりに街の明かりが霞んで輝いていた。


 時刻は午前二時過ぎ。人通りはさすがに少なく、酔っ払いがふらついている程度だ。


 俺はコンビニの制服の上にジャンパーを羽織り、人気のない路地を抜けて表通りへ向かう。家までは歩いて15分ほどだ。池袋駅近くの雑居ビルの一室を借りている。古いが家賃は安く、俺みたいな一人者には十分だ。


 ふと、先ほどの少女のことを思い出した。結局なんだったのだろう。脳内お花畑な電波少女? それともドッキリか何かだったのか? 現実であんなこと言い出す奴がいるなんて、漫画じゃあるまいし。


「オタクの神、ねえ……」


 小さく呟く。思い返すと奇妙な子だった。あの年で深夜に一人で出歩いてるのも変だし、俺の個人情報を知ってたのも尋常じゃない。いったい何者だったのか……まあ、二度と会うこともないだろう。世の中には変な人間もいるってことだ。


 そう自分に言い聞かせ、俺は歩調を速めた。


 マンションのエントランスに入ろうとして、足が止まった。


 暗がりの中、人影がうずくまっている。


 ドキリとする。この時間にこんな所で誰かがしゃがみ込んでいるなんて。不審者か? それとも酔いつぶれた人?


 警戒しつつ近寄ってみる――そして、見覚えのある黒髪に息を呑んだ。


「おかえり、椎名くん」


 顔を上げた少女が笑う。間違いない、先ほどの「オタクの神」だ。


「な、なんで……!?」


 心臓がバクバクと高鳴る。恐怖? 動揺? いや、混乱だ。どうして彼女がここに? 俺を待っていたとでもいうのか?


「あのさ、急で悪いんだけど――今日から私もここで暮らすから、よろしくね♪」


「はぁ!?」


 思わず大声が出た。


「ちょ、ちょっと待て! 君、何言って――」


「言ったでしょ。私はオタクの神様。だから椎名くんの傍にいるの。当たり前でしょ?」


 涼しい顔で少女は言う。全然当たり前じゃないし意味が分からない!


「いやいやいや、困るから! ていうか君、名前は……?」


「名前? うーん、そうだね……じゃあ特別に名乗ってあげる。」


 少女は立ち上がると、小さく咳払いした。


「二階堂ミサキ。それが私の名前。よろしくね、同居人くん♪」


 俺は呆然と立ち尽くした。


 二階堂ミサキ……? 初めて聞く名前だ。当然だ、彼女とは今日出会ったばかりなのだから。


 なのに、この妙な既視感はなんだろう。ミサキ……ミサキ? どこかで……。


「って、そうじゃなくて! 勝手に人の部屋で暮らすな!」


 我に返った俺は慌てて叫ぶ。だがミサキと名乗った少女はクスクスと笑うばかりだ。


「大丈夫だよ。椎名くんの許可ならもう取ってあるから」


「はぁ!? 取ってないだろ! 今言い出したばかりじゃ――」


「椎名くん自身じゃなくて、もっと上の許可ね。ほら、神様だから」


 ウインクしてみせるミサキ。


 開いた口が塞がらないとはこのことだ。話が通じない。強引とかいう次元じゃない。


「それじゃ、お邪魔しまーす」


 ミサキは俺を押しのけるようにしてマンションのエントランスの自動ドアをくぐり、中へ入っていく。


「あっ、おい!」


 慌てて追いかける。というか何でオートロックを突破してるんだ!? 俺が開けた隙に入られたか。


 半ばパニックになりながらもエレベーターに乗り込み、自室のある4階で降りる。廊下を進み、部屋の前に立つと——


「鍵、開けて?」


 当然のように言うミサキ。


「……本気で言ってるのか?」


「本気だよ。ほら、早く♪」


 笑顔でせがまれ、俺は観念した。こうなったら家に入れて、事情を聞いて、ちゃんと追い出すしかない。


 震える指で鍵を開け、ドアノブを回す。玄関の灯りを点けると、1K六畳の安アパートが姿を現した。


「狭いけど……まあいっか」


 靴を脱ぎながらミサキが呟く。


「いっか、じゃない! 良くないから! まさか本当に上がり込むとか……」


 俺の抗議もどこ吹く風で、ミサキはずかずかと室内に上がり込む。勝手知ったる他人の家のように。


「ふーん、これが椎名くんの部屋なんだ」


 キョロキョロと見回しながら奥へ進むミサキ。大したものは何もない。ベッドと小さな机、服が散らかったクローゼット、そして本棚にはラノベやゲームが並んでいるくらいだ。


「生活感ないねー。女っ気もないし」


「ほっとけ!」


 図星を刺されてついカッとなる。


 ミサキは本棚の前で立ち止まった。そこに並んだオタク趣味全開のコレクションを見つめ、やがて振り返って言う。


「ね、やっぱり好きなんじゃん。自分の好きなもの、いっぱい持ってる」


「……それがどうしたよ」


 開き直ったように答える。もう隠しようもないからだ。


「なのに、どうして隠すの?」


 ミサキの声は静かだった。


「誰にも迷惑かけてないのに、自分が好きなものに誇りを持てないのは悲しいよ」


「……っ」


 痛いところを突かれ、言葉に詰まる。


「私はね、椎名くん。好きなものを好きって言える世界を作りたいの」


 振り返ったミサキの瞳は真っ直ぐ俺を見据えていた。


「好きなものを、好きだって叫んでいい世界を。誰にも遠慮したり、恥ずかしがったりしないで……そんな風に生きられたら素敵でしょ?」


 まっすぐすぎる瞳に射竦められ、視線を逸らせない。


「な、なんだよそれ……理想論だろ。そんなの……無理に決まって——」


「無理じゃないよ」


 静かだけど、はっきりと断言する声だった。


「無理なんかじゃない。私はそれを証明しに来たんだから」


「証明……?」


「そう。だって私は神様だから」


 またそれか、と呆れそうになるのを手で制される。


「ね、椎名くん。一緒に証明してみようよ。好きなものを好きって言って、何が悪いのか」


「一緒にって……お前と?」


「そう。私と一緒に」


 俺の目の前で、ミサキが柔らかく微笑んだ。


 それはとても綺麗で、一瞬見惚れてしまうほどで——だけどどこか儚げで、すぐに消えてしまいそうな笑みだった。


「……わけわかんねえよ。勝手にしろ」


 俺はそっぽを向いてそう吐き捨てた。


 正直、頭がついていかない。これは夢か何かなのか? 突拍子もなさすぎて現実感がない。


 だけど、目の前にいる少女の存在感だけは嫌でも突きつけられる。


 彼女は俺の部屋にいて、俺に語りかけ、同居を宣言した。そして俺はそれを強く拒絶できていない。


 それが何故なのか、自分でもよくわからなかった。


「さて、と」


 ミサキが手を打った。


「遅いし今日は寝よっか。私、疲れちゃった」


「いやいや、寝よっかじゃなくて!」


 まだ納得も合意も何もしてないんだが!?


「大丈夫、何もしないから。同じ布団で寝ようとか言わないし」


「当たり前だ!!」


 勝手に盛り上がるな! というかどこで寝る気だこの人!?


「私はソファでいいよ。それに朝には出て行くかもしれないし」


「え……?」


 今なんて言った? 朝には出て行く?


「内緒。それじゃ、おやすみ、椎名くん」


 ミサキはソファに倒れ込むように横になると、俺の返事も待たずに目を閉じてしまった。


「ちょ、ちょっと……」


 返事がない。ただの屍のようだ……って、ツッコミを入れてる場合じゃない。


 いつの間にか部屋には静かな寝息が満ちていた。


 俺はしばらく呆然と立ち尽くしていたが、やがて大きなため息をついた。


 ……どうしてこうなった。


 考えても仕方ない。明日になれば彼女もいなくなって、全て夢でしたってオチかもしれない。そもそも俺は疲れてるんだ。疲れた頭で考えてもまともな答えは出ない。


 諦めてベッドに倒れ込む。寝て起きたら、この不可解な夜も終わっているだろうか。


 ちらりとソファを見る。小さな体を丸めた少女が、穏やかな寝顔をこちらに向けていた。


 ……まったく、大胆不敵というかなんというか。初対面の男の部屋でよく寝られるな。


 呆れ半分、感心半分。それから、少しだけ……ほんの少しだけ、嬉しさが混じっている自分に気づいて、自己嫌悪した。


 俺は布団を頭まで被り、目を閉じる。


 こうして、自称“オタクの神”との奇妙な共同生活が始まった。

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