咳と欠席と補習授業

七乃はふと

咳と欠席と補習授業

 僕が小学生の頃、酷い風邪が流行りましてね。罹ると最悪死に至ると、テレビで何度も報道されていたのを覚えています。

 けど、小学生の時って、気になるものが沢山あって、風邪が流行ってるからって、家でジっとできなかったのです。

 案の定、小学六年生の時に僕は罹ってしまいました。

 いや〜しんどかったですね。何日も布団から起き上がれず、病院に行くのもしんどくて、しまいにはトイレに行く事も出来ないほどでした。

 熱が引いた後も、咳が止まらないんですよ。ずっとゴホゴホと。

 ちょっと収まったかと思えば、何か食べる時に咳が出たり、薬を飲もうとしたら咳で吹き飛ばした事も何度もありました。

 寝ている時も止まらないので、いつも寝不足でしたね。でも学校に行きたいと何度も親に言っては止められる日々を布団の中で過ごしていました。

 やっと症状が落ち着いた時には休んでから一ヶ月経っていました。

 学校には行けるようになったんですけれど、周りの生徒が距離を取るんです。

 酷い風邪を引いた事と治らない咳をする僕を見て、縁の無いものと思っていた風邪が嫌にも身近に感じるようになったんでしょうね。

 気持ちは分かったので、怒る事はありませんでしたが、風邪ひく前まで一緒に遊んでいた友達が遊んでくれなくなったのは、流石にショックでした。

 その後、風邪の流行が過ぎ去り、やっと前みたいに友達と遊べると思ったんですが、その輪に入る事が出来ませんでした。

 咳が止まらなかったんです。

 しかも小六だったので、中学進学が控えていました。

 そこで先生に呼び出されたんです。

 風邪で長期間休んでいたから、その補習があるとの事でした。

 行きたくはなかったですけども、重い腰を上げて補習授業を行う教室に行くと、同じく風邪で休んでいたのでしょう、咳する生徒達がいたんです。

 僕はいつも座ってる窓側の一番後ろから一つ前に座りました。


 後ろには、女の子が先に座っていました。その子は同じクラスの子ではなかったんですけど、目が合うとニッコリと微笑んでくれて、途端に頬が熱くなったのを覚えています。

 先生が教壇に置いたプリントを二枚取って一枚を後ろの子に渡しました。

 もちろん、自分の事を覚えてもらいたい為です。

 その子は受け取ってありがとうと言ってくれました。

 それだけで、当時の僕は机の下でガッツポーズしていたのです。

 補習授業が始まり、暫くして困った事態になりました。

 咳が込み上げてきたのです。

 教室内は静かで、鉛筆やシャーペンが紙の上を走る音だけ。

 ここで咳き込んでは、注目の的。それ以上に、後ろの子に咳しているところを見られたくなかった。距離を取られるのが嫌だったんです。

 背中を丸めて、飛び出てこようとする咳と格闘していると、プリントが書き進められないどころか、全身が細かく震え出してまって。

 もう我慢できないと、口を開きかけた時でした。

 丸まった背中にスーと何かが滑り落ちていく感触がありました。

 一度でなく、二度三度と。

 僕は振り向こうとしたんですが、それより早く「大丈夫?」と声を掛けられたんです。

 後ろの子が僕の震える姿を見て気づいてくれたのか、背中を撫でてくれていました。

 不思議なもので、撫でて貰うたびに、口元まで来ていた咳の元が引っ込むばかりか、跡形もなく消えていくような感覚を覚えました。

 初日の補習が終わり、僕がありがとうというと、その子は「どういたしまして」と言って教室を後にしたんです。


 それから、補習授業はつまらないものから楽しいイベントに変わりました。学生生活で一番楽しい時間とも言えますね。会うのは補習が行われる教室だけでしたけど、毎回同じ席に座り、分からないところがあれば居眠りしている先生よりも分かりやすく教えてくれましたし、それに咳が出そうになると背中を撫でてくれるのがとても、心地よかったんです。

 そうそう思い出しました。ある時、撫でてもらいたくて、咳が出そうなふりをした事があります。待っていても撫でられないので、恐る恐る振り向いてみると、目が合いました。自分の行為が途端に恥ずかしくなって、それ以後はしなくなりました。

 でも、ほんとに咳が出そうな時は、変わらず撫でてくれたんです。


 楽しい時間は一週間で終わりを迎えました。最終日でも、私はいつも通りの挨拶しかしませんでしたし、その子も特に変わった事を言う事なく、自分の教室がある方へ去っていったんです。成績は問題なくなりましたが、今度は面接の練習が待っていて、僕はそちらに時間を取られ、その子がどこにいるのか探さず、とんとん拍子に中学進学が決まり、卒業式を迎えました。

 式の最中、体育館をそれとなく見回しましたが、その子は見つけられませんでした。同学年と分かっていても、クラスが分からないので、いくら同級生でも一度も話した事のない生徒に話しかけづらかったのです。

 職員室で先生達に最後の挨拶をしていると、補習授業を受け持った先生に声をかけられました。

 僕が挨拶すると、その先生が今まで我慢していたのか、言いにくそうにこう言ったんです。

「補修のプリント。なんでいつも二枚持っていったんだ?」

 後ろの子の分ですと言うと、先生腕組みしていたんですが、二の腕に力を込めているのが、指の白さで分かりました。

 大きく息をつくと、机からプリントの束を出してきました。補修授業を受けた生徒達の提出したプリントで、勿論僕の名前もあります。

 その中に問題の答えどころか、名前も書いてないプリントがあったのです。


 僕の後ろにいた子の正体は、意外にもすぐに判明しました。その子は僕が風邪をひいた翌日に同じ風邪に罹って長い間休んでいたそうなんです。

 症状は重く、入院先の病院で息を引き取ったそうなんですが、うわごとでずっと学校に行きたいと繰り返していたと、ご両親から聞きました。


 これで僕の話はおしまいです。ちょうど開門の時間になったので、これで失礼します。

 ……はい。今日はあの子の命日なんです。

  

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