英雄殺しの勇者

紀春

プロローグ 忌まわしきあの日

​また、あの日の夢を見る。

忌まわしき、あの日の…


俺は走っていた。目的の場所に​近づくにつれ、

微かだった剣戟の音が、激しい鉄の悲鳴へと変わる。

間に合ってくれ。そう願いながら俺は走った。

​「お師匠様!」

​大勢の敵に囲まれ、大盾一枚で立ち尽くす師匠の姿。

その姿を認めた瞬間、俺の内に醜い感情が芽生えた。

​(……良かった。間に合った!…!)

​死を目前にした師匠を前に、俺の口角はニヤリと吊り上がる。

有象無象の雑魚どもを、鞘のまま叩き伏せる。剣を抜く価値もないゴミ共だ。

俺の、俺だけの師匠に触れるな。

​やがて、俺の他に立っているのは、たった一人の影だけになった。

​傷だらけになってもなお、倒れぬ絶対の恩師。

いつか越えてやると誓った背中が、そこにある。

俺は、ようやく剣の柄に手をかけた。


 

​……やめてくれ。もういい。

もう見たくない。



​止まらぬ記憶の中で、俺は地を蹴った。

剣を振り下ろす。

師匠の腕が舞い、大盾が地面に転がる。

​師匠が膝をついた。

抵抗する力は、もうない。

とどめの一撃を放つため、俺は剣を正した。

​その時、師匠は――笑った。

​なぜ笑う。

まあいい、今はどうでもいい。

この一撃で、俺の勝ちだ。

​剣を突き出した。

ズブリ、と。

「見事だ!ライズよ!」

血を吐きなが、師匠は言った。


​肉を断つ感触が、両手から脳を焼く。

硬い筋肉を貫き、骨を避け、その奥へ。

肋骨の間を滑り込み――心臓を貫いた。

​ドクン、ドクン、ドクン。

​剣を通して伝わる、師匠の鼓動。

力強い、生(せい)の証。

それが、次第に、弱く、間遠くなっていく。

​ドクン……ドク……ン…………

​止まった。

​(やった)

(勝った)

​強敵を倒した高揚感。

全身を駆け巡る、脳が痺れるほどの達成感。

俺は、強い。俺は、ついに――

​『よくやったわ、ライズ。ありがとう』

​脳裏に、あの甘い声が響いた。

その瞬間、霧が晴れるように視界から「敵」が消え、師匠の顔が現れる。

​「な……何を……」

​血まみれの師匠。真っ赤な自分の手。

「やった」じゃない。「勝った」じゃない。

俺は、師匠を殺してしまった。

​だが。

絶望する俺の心の奥底で、冷徹な別の声が囁く。

​(……本当に「あいつ」のせいか?)

操られていたから?

逆らえなかったから?

いいや、違う。

​あの瞬間、俺の剣に迷いはなかった。

あの瞬間、俺の心は確かに、師匠を貫く快感に震えていた。

師匠という絶対者を越え、その命を奪うことを、俺の「本能」は歓喜とともに受け入れていた。

​「ああ……あああああ……ッ!!」

​声にならない悲鳴が漏れる。

師匠は、最後まで笑っていた。

俺の内の「獣」を見透かし、慈しむ「ついに殺せた」と心の底で笑った、もう一人の自分。

​それが、何よりも彼を汚し、責め立てる。

魔法のせいじゃない。自分自身が、師匠を殺したがっていたのだ。



​あの日から、ライズは笑うことを忘れた。

あの日から、ライズは二度と剣を握れなくなった。

​一瞬でも師匠の死を望んでしまった自分を、一生かけて呪い続けるために。

師匠が命を賭して封印してくれた「獣」を、二度と目覚めさせないために。

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