決別のために

月野 麗

忘れたくて

——なんで、なんでなの。あの人の事も。ゆるせない。ゆるしたく、ない。

そう思ったのは、今日が初めてだった。



私は向かいの校舎に見えるカップルを睨む。

頭の中に、自分でも驚くぐらい暗い想いと、僅かな安堵を抱えて。

思わず、唇を噛む。

口腔に広がる錆びた鉄の匂いは弱者の証だと、何度も負けた私は知っていた。


「ねえ、——さんは、好きな人とかいるの?」


普段なら夕焼けに照らされているはずの教室は、何故か暗かった。

振り返ってみてわかった。窓の外の灰色の雲が、重なる。また教室が暗くなる。


教室の闇に、一人の男の影が消えた。


「いや、いねえな。……でも、お前があいつを好きだということは知っている」

バレたか、と忍び寄るのをやめた男の言葉に、私は首を振る。私のことを気にかけてくれる、数少ない先輩であった。


違う、そうじゃない。私は好きだなんて、もう思ってない。もっと違うものなの。


「……私の知る語彙で表現するなら、好きだった、よ。……未練がないと言えば嘘になるし、でもかと言って『恋愛感情』があったかと聞かれると答えは否だけど」

何かが喉につかえたまま取れず、私は一言、口にする。


彼は黙ったまま話さない。

そんなに私は酷い顔をしているのだろうか。異様な静けさの中、私の声だけが響く。

「大丈夫。私は、大丈夫。それに——」


私の言葉はそこで途切れ、空へと溶けた。


静かな教室に、ピチャッ、と響く水音。混ざり合った私と先輩の影が、音にびくりとうごめいた。

窓の外の雲はもう無く、雨だけが降っている。

そう言えば天気雨には別名があったな。ぼんやり考える私の視線の先で、銀色の糸がつぅと輝き、そして、切れた。

吐息と共に、彼は言う。

「お前……あいつのためにそこまでするのか……? なぜ、あいつに……」


……あいつ……?……そこまで……?

はは。貴方は分かってない。


あの人がどれだけ私を嫌うと知っていても、私は何としてでもかつての彼との関係を知る人を黙らせる。

それが、あの人が平穏に過ごせる、唯一の方法だから。

いつの間にか握っていた手を開く。手のひらには4つ、三日月型の跡が残っていた。


「もう黙って。お願い」


私を分かろうとしないで。私という繭をこじ開けないで。

みんなに語ったことは決して嘘じゃなかった、でも繭の中に隠しているものがあるのも本当。その中身は絶対に誰にも見せない、誰にも触らせない。この中で静かに枯れて行こうとする私を邪魔するなら貴方も、貴方ももう要らない。



窓の外に浮かぶ月が、私の手のひらの三日月を、哀しいほどに照らしていた。


きっと、月も空も私の代わりに泣いてくれているのだろう。

——天気雨の別名は、天泣てんきゅう、なのだから。

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決別のために 月野 麗 @tsukino-urara

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