レール&ラン
秋原タク
第一章 ナイフダンス
01
『お願いです、僕も殺してください』
□□
鉄臭い。
そう思い目を開くと、弱々しいオレンジの光が網膜をあぶった。
背中にゴツゴツとした感触を覚えながら、どうやら横になっていたらしい身体を起こす。
そこは線路だった。
正確には、地下鉄の線路上というべきか。高さ七メートル、幅五メートルほどの、半円状に掘削されたトンネル空間。天井に埋め込まれた照明灯が、湾曲した長い赤茶のレールと枕木、敷き詰められた砂利を照らしている。
どうしてこんな場所に?
そう、見慣れない景色に困惑しながら、ゴウと空洞音が響く中、ぼ――『彼』は、ゆっくりと砂利の寝床に立ち上がる。
見れば、自身の恰好も見慣れたものではなかった。病院で着るよう、上下一体型の水色の検査着を素肌の上から纏い、足にはゴム製のスリッパ、左手首には銀色のブレスレットが隙間なく装着されている。ブレスレットは外せそうになく、表面に『2045,00119880』と謎の数字が刻印されていた。
寝ぼけ眼を擦り必死に記憶をたどってみるが、こんな場所に来た覚えも、こんな恰好をした覚えも、やはりなかった。
思い出せる最後の記憶は、家族四人で旅行に出かけようとした前日まで。そこから先の記憶が、まるでモヤがかかったかのように擦れている。
これは夢なのかもしれない。
そう思いたくなる、
◇
「起きたようじゃの」
ふと、不意に届いた重低音。整った顔立ちの少年――
声をかけてきた体格のいい老男性に、沈んだ表情で両膝を抱える少女。どこか落ち着きのない大人の女性に、線の細い気怠そうな中年男性と、まさに老若男女といった面々。
四人が四人とも、まるで示し合わせたかのように、ユウイチと同じ恰好をしている。
「とりあえず、こっちに。電車が来たら大変じゃ」
状況がわからない以上、老男性の言葉に従うことしかできず、ユウイチは四人がいる場所、線路の内周に位置する壁際まで、恐る恐る足を運ぶ。
「どうじゃ? 身体の調子は」
「は? まあ、特には」
唐突な問いかけに、ユウイチが露骨に眉をひそめ、素っ気なくそう答えるも、
「そいつはなにより」
老男性は意に介せず微笑んだ。
「儂は
言って、あぐらのまま頭を下げる老男性――立川。
警察官。なるほど、年齢に適わぬ体格はそのためか。
白髪のオールバックの下、真っ直ぐにコチラを見据えるその瞳もまた、立川の熱い正義心を物語っている。
浮浪者を見るような目で立川を睨んでいたユウイチは、警察官、という単語に態度を一変。突然、上司に媚びる部下のように腰を低くし始めた。
「い、いえ、とんでもないです。あのー、ところでココはいったい……」
「ふむ。やはり知らんか」
チラリとほかの三人を見やって、立川はため息をひとつ。
「儂たちも十分ほど前に起きたばかりでの。自分の名前や経歴は思い出せるが、皆が皆、なぜココにおるのか、なぜこんな恰好をしとるのか、肝心のその部分がとんと思い出せんのじゃ。ところどころ記憶が曖昧になっとる。だからまあ、皆で起きるのを待っとったのは、単独行動を避けるほかに、なにか手掛かりを知っとらんか聞き出す意味合いもあったんじゃよ」
「ああ、そういうことだったんですね」
「それで、どうじゃ? 君たちの――」
「あ、自己紹介が遅れました。俺、三浜ユウイチって言います。それで」
慇懃に、白々しいほど好青年然とした態度でユウイチが自己紹介をすると、立川はコチラを見上げたまま「ふむ」と両腕を束ねた。
「それは難儀じゃのぅ。なら下の名前で呼ぶべきか……して、ユウイチくんはどうじゃ?記憶のほうは?」
「言われてみると、俺も基本的なこと以外は曖昧です。なんか、くだらない用事で出かけようとしてたところまでは、なんとなく覚えてるんですけど」
「やはりか。儂も、仙台のホテルに泊まっておったところまでは、なんとか思い出せたんじゃがな。そこから先がどうしても思い出せん……まさか、皆が揃って同じ恰好をし、夢遊病よろしく無意識にココへ来た、というわけでもなかろうに」
となれば、考え得る可能性はひとつ。
「『誰か』が、俺たちをココへ運び込んだ……?」
「そう考えるのが妥当じゃろうな。その犯人の目的はおろか、儂たちをココに運び込んだ手段すらわからぬが。まあ、起きたとき頭痛や倦怠感は見られなかったから、少なくとも、睡眠薬などで眠らされたわけではなさそうじゃがの」
「でも、それじゃあ犯人は、どうやって俺たちをココに」
「――そ、そんなことよりさ」
と。落ち着きなく辺りを見回していた大人の女性が、口早に割り込む。
モデルのようなスタイルに綺麗な長茶髪、蠱惑的で美麗な容貌と、文句の付け所がない美人だが、困ったように焦るその様子は、どこか愛らしい小動物を思わせた。
「これで全員起きたんだし、早く出口を探しましょうよ。あたし、そろそろ限界で」
「限界? なんのことじゃ、
「そのぐらい察してよ、もう!」
耳を真っ赤にしてうつむき、「うぅ」と股間を両手で押さえる女性――今槻。
うつむくことによってその姿勢が前かがみとなり、今槻の豊満な胸元と乳房がチラリと顔を覗かせた。ダボダボの検査着が仇となった形。
今槻の前に立っていたユウイチは途端、目の色を変えると、気付かれぬよう手で顔を覆い、指の隙間から乳房を凝視した。
ある部分がムクムクと肥大化していく。
端整な外見に反する下劣なその顔は、しかし、三浜ユウイチの本質を如実に表していた。
「ヒヒッ。若いなー、おい」
静観していた細身の男性が、ユウイチの股間を見つめたままそう、嘲るように口を開いた。視線に気づいたユウイチは、慌てて下腹部を両手で隠す。
すると。うつむいていた今槻が、自分に言われたものと勘違いしたのか、涙目になりながら痩身をキッと睨め付けた。
「生理現象に若いもクソもないでしょ? ……えっと、たしか」
「
皮肉をたっぷり。薄気味悪い笑みを見せつけた後、ゆらり、と亡霊のように立ち上がると、細身の男性――幽切は「まあでも」と続けた。
「アンタに言ったものだとしても、たいして意味は変わらねーか。便所の話でも股間の話でもなく、アンタはちと若すぎる。現状把握ができてなさすぎだ」
「現状把握?」
首をかしげる今槻に、幽切は両肩をすくませて言った。
「今槻の姉さんは、ココから簡単に脱出できると思ってんのかい?」
「姉さんって……アンタのほうが年上でしょ、見るからに」
「んなこたどーでもいい。で、どーなんだよ?」
「そりゃあ、簡単にいけるでしょ。線路伝いに歩いていけば、いずれ駅のホームに」
「どんくらい経った?」
「はい?」
「時間だよ。オレたち全員が起きてから、もう何分経ってる? 体感でいいから教えてくれ」
「いきなり言われても……えっと、そうね、大体二十分ぐらい?」
「ヒヒッ。二十分も電車が通らねー地下鉄なんて、日本にあると思うかい?」
幽切の言葉に、その場にいる全員がハッと息を呑む。
地下鉄とは基本、人口や交通量が多い都市部に作られるものだ。テロレベルの緊急事態でもない限り、二十分も電車が通らない、なんてことはありえない。
薄暗い線路の先を見つめながら、幽切は語る。
ボサボサの前髪の奥。痩せこけた眼窩の中で不気味に光るその両眼は、この異常な状況を心から愉しんでいるようだった。
「さらに言うなら、人為的であれなんであれ、オレたちはココで『眠って』いたんだ。そこの筋肉爺さんが、お盛んな坊主たちを運べなくなるほどの長時間な。電車が通ってねー時間は、二十分どころの話じゃなくなる――終電後でちょうど電車が運行してねー、って可能性もゼロじゃねーが、交通機関には回送がある。それが一本も通らず奇跡的に眠っていられた、なんてのは、それこそ考えが若すぎるってもんだ」
「……ココは、そもそも地下鉄じゃない、って言いたいの?」
「その通りだ今槻の姉さん。オレは、地下鉄に似たまったく別の『施設』だと睨んでる。簡単には脱出できねー、悪趣味な施設だってな」
幽切はそう、乾いた唇を歪ませるのだった。
簡単には脱出できない施設。
たしかにそう仮定すれば、無事に『起きられた』疑問は解消される。電車が往来する地下鉄ではないから、犯人も安心して自分たちを放置していったのだ。
「まあ、そう考えると犯人の目的が余計わからなくなんだけどな。拉致って、着替えさせて、地下鉄もどきに放置する……やりてーことがサッパリ見えねー。殺す気なら拉致るときにでもとっくに殺してるはずなのにな。オレたちに殺し合わせて、そのサマを楽しむ気だとしても、監視カメラの類や武器は見当たらねーし」
「――とりあえず、じゃ」
と。思案顔で話を聞いていた立川が、膝をパンと叩き、立ち上がった。
「幽切さんの疑念も
立川の問いかけに、幽切は「お好きに」と肩をすくませ、ほかメンバーも首肯する。
そう、ココが本当の地下鉄である可能性は、まだ消えていないのだ。
それでも、腰を上げる彼らの面持ちは、決して明るいものとは言えなかった。
幽切の仮説を信じたわけではない。けれど、知らぬ間に運び込まれていたというありえない不可解が、妙な検査着を着せられていたという薄気味悪さが、本来ならば一笑に付されるだけの仮説を冷ややかに裏付け、猜疑心を産み落とした。
ココは、本当に地下鉄なのか? と。
無論、危機感はある――だが、地下鉄という見知った空間を目にし、ユウイチたちはどこか安堵してしまったのだ。知っている場所なら、殺されていない以上いずれ脱出もできる、と。今槻の楽観視も、おそらくはソレが理由だろう。
そうして。事ここに至って事態の深刻さに気付いたらしい一同は、先頭を切って歩き出した立川のあとを追い、薄暗いトンネル内を進んでいく。
「あ……おしっこ、ちょっと収まったかも」
今槻の場違いな報告に、わずか心を軽くしながら。
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