街は曙。
女子高生
街は曙。
それは、夜明け、空が白み始める時間。
それは、世界が言葉を創り、街が嘘をつき始める時間。
今日も俺は、曙の街をひとり歩く。
欠伸が絶えない新聞配達員、
早朝から陽気な曲を街に響かせ人々を幸せな眠りから覚ますゴミ収集車、
活動を終え寝床を探しに徘徊する猫、
回収される前の生ゴミを荒らして人間の仕事を増やすカラス、
クマと死人の顔色を浮かべ、駅の方面に歩いていくブラック企業勤のお兄さん、
そのお兄さんとは対照に、真っ赤な顔をして酔い潰れているおっさん。
閑静な住宅街を抜けるだけで、俺の目にはあまりに多くの情報が映る。
例えば、新聞配達員。普通の人間は、彼を目にしても「若い男」「眠そう」「顔に怪我をしている」程度しか認識出来ないのだろうが、俺は違う。
まず、この若い配達員は新聞配達をした事がない。定期購入者の家の印が付いた街の地図を手に持ち、道のど真ん中に停めた原付に跨ったまま、やけに周囲を見回しているからだ。ヘルメットから金髪の短い毛先がのぞいていた。加えて、袖を肘まで捲り、ウィンドブレーカーのファスナーは全開、いかにもやんちゃな制服の着こなしである。
この辺りの新聞配達は、随分長いこと四十代くらいの男が担当していた。顔の造形や背格好から察するに、二人は親子で、父親の新聞店を大学生ほどの息子が引き継ぐ事になったのだろう。この息子は先日、夜中の繁華街で平手打ちをされていた男によく似ていた。泣き叫んでいる半狂乱の若い女性に殴られていた男だ。否、本人であった。配達員も頬に大きな湿布を貼り付けているからだ。
俺が分かったのはこれだけではない。タイヤ痕だ。夜中に小雨が降ったためアスファルトはやや湿っており、車が通るとその車の走った部分の露が弾かれ、うっすらとタイヤ痕が浮かび上がる。バイクのタイヤ痕も然りである。そのタイヤ痕を見る限り、彼は通るべき道からずれている。前任の配達員が毎朝通っていた一本隣の通りにタイヤ痕は無く、定期購入者のいない通り、つまり通る必要のない道に彼はいたからだ。俺は息子が地図を読めるようになることを願いつつ、彼を通り越して仕事場へ向かったのだった。
他の人間にはここまでの事実を認識する力はないだろう。俺はこの力に、「超認知」と安直すぎる名前を付けている。エスパーと言えるほどの超人さも、特技と言えるような便利さもない、なんなら情報過多で脳が休まることのない無駄な力に辟易しつつも、俺はこの力を気に入っていた。
曙の街は、昼間の喧騒や夜間の不気味な静けさに比べれば、世界が、霧に包まれた湖の如く美しく見える良い時間だ。なぜならこの時間の人間は、その多くが単独行動であり、本性が程よく透けて見え、故に街に残る負の跡が少ないからだ。
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仕事のため、評価のため、人間関係のために吐く、人間たちの
多くの人間が床に着き、街が眠りに落ちる。俺の超認知をもってしても夜は確かに静かで、実に過ごしやすい時間だった。俺は知らなかったんだ。夜は静かだ、静かだから街は闇を隠してはくれない。夜は、世界の殺意が一番剥き出しになる時間だ。
俺は清掃員である。日替わり、もしくは週替わりで中心街のビルディングを転々とし、掃除する。人間の本音や本性が見え過ぎ、分かり過ぎてしまう俺にとって、単独での仕事は何より楽で良かった。
丁度一週間前、仕事で貿易会社に入った。商談相手が来るから粗相の無いようにしたい、とワンフロアのみの依頼だった。朝四時半だっていうのに、俺一人のためにフロアの全ての電気が付けられ、LEDの白い光が既にピカピカの壁や床に反射しており、俺はまるでステージに立たされた演者だった。どの部屋にも廊下にも、塵一つ落ちていなければ、窓も曇っていない。何のための清掃なんだか、と漏れかけた溜息と愚痴をなんとか飲み下し、俺は最後の一部屋に足を踏み入れた。
そこは応接室だった。扉に掛けられたプレートを見て、この部屋が商談で使われるのだと察し、俺は素直にも意気込んだ。が、目前に広がる光景に今度の溜息は堪え切れなかった。部屋の中心にはいかにも高級そうな革のソファがローテーブルを挟んで向かい合うように置かれ、壁際には大量のファイルが詰められた本棚がいくつか。今まで通りのツンとするアルコールの匂いの他に、微かに洗剤の匂いが鼻を擽った。俺がここに来たのは手配会社のミスで、既に俺の同僚が清掃を終えていたのかと疑いたくなったが、それは違う。理由は単純、洗剤の匂いがうちの会社の備品とは異なるからだ。この貿易会社に、よっぽどの綺麗好きか、潔癖症か、いずれにせよ不必要だった清掃を依頼してしまう程度の心配性の人間がいることは確かだった。
名ばかりの清掃を終え、荷物をまとめて清掃前と何ら変わりのない部屋に背を向けて、扉のノブに手を掛けたとき、俺の力が違和感を探知した。それから俺はノブを掴んだまま部屋を振り返った。どうもおかしい。この部屋には初めから洗剤の香が残っていた。それは誰かがこの部屋で洗剤を使用したからだ。
___なぜ。
普段から部屋を消毒しておくのは理解できる。大企業であれば尚更だ。しかし、洗剤。床や壁、机に洗剤を撒けば、バケツや雑巾も同時に必要になる。洗剤を使用する目的は、除菌ではなく、汚れの洗浄だ。清掃員が入るというのにわざわざその直前に面倒なそれを社員自ら行うことがあるだろうか。
次第に心拍が速まり、昂まり、煩くなるのを感じたが、俺は必死にそれを抑え、冷静を装い、用具の入った鞄を肩から下ろした。俺は疑ったのだ。この部屋で人が殺されたのだと。他にどう説明してくれよう。長年の埃やシミ、嘔吐やウイルスなどのただの汚れならば、自分で片付けずにそのまま清掃会社に引き継げばいい。そのための清掃員なのだから。加害者は自分で部屋を清掃した上で清掃会社に依頼した。完璧な証拠隠滅のために。
まず俺は血痕を探した。単純だが拭き忘れを見つけられればそれが証拠となるからだ。しかし、この部屋はたった今俺が綺麗さっぱり上書き清掃してしまった。自らの手で証拠を消したのだ。お得意の超認知を奪われた俺は必死に記憶を辿った。
一つ。部屋にいたのは三人。革張りソファの凹みとその配置から察するに、貿易会社、つまりは加害者側が二人で、殺されたのはおそらく商談相手の人間。壁に掛けられたカレンダーの昨日の日付に、赤い×印が付けられているのが目に入った。商談は、本当は今日これから行われるものではなく、既に終わっているのだ。動機は商談不成立の揉み消し。詳しいことは全くもってわからないが、よっぽど大切な商談だったのだろう。
二つ。凶器は銃。最初に部屋に入った時、床を拭きあげた跡がソファから放射線状に水跡を残していたのを思い出した。当初はなんとも思わなかったが、あれはソファに腰掛けた被害者を銃で撃ち、傷口から飛び散った血液を水拭きした故に違いない。ここは貿易会社だ。銃と銃弾の密輸など、朝飯前なのだろう。
三つ。加害者は、否、殺人犯はかなりの手練れである。人が確かに死んでいるはずなのに、俺の超認知をもってしても物的証拠が見つからない。これでは警察に告発しようにも証拠不足で突き返されてしまう。
窓の外に目をやると、既に日は昇り、街には目覚めの時が訪れていた。
それから一週間が経過した。俺は毎日ビルに通っている。なにもお忍びで証拠を探しに行っているわけではない。毎日俺に清掃依頼が来るのだ。早朝、二階のワンフロアのみ、俺一人、それが貿易会社の所望する清掃条件だった。件の殺人部屋のこともそうだが、この奇妙な仕事を疑問に思い、俺の所属する清掃会社に問い合わせを行ったところ、どうもこの貿易会社はお得意様らしく、俺が担当になる以前も別の清掃員に毎日依頼をしていたそうだが、その清掃員が諸事情で働けなくなったため、次の担当者として俺があてがわれたんだとか。
ビルに通って三日で俺は全てを認知し、理解した。
清掃の前任者はその事実に気付き、消されたこと、
そして俺が真実に気が付いたことに、気付かれたこと。
清掃に入って五日、貿易会社の社長だという男が直々に挨拶に来た。部外者の、下っ端清掃員に、だ。世間一般に高身長とされる俺よりも上背があり、ガタイがよく、きっちり決めたスーツ姿に
全てがバレているのだと、俺は察した。殺人部屋(毎度応接室に殺人痕があるから俺はそう呼んでいる)を毎日
証拠に、俺の清掃経路が日に日に断たれている。俺の渡されている鍵ではエレベータは動かなくなったし、各フロア、倉庫に入るために設置されている自動扉も開かなくなった。俺が自由に行動できるのは清掃を依頼されている二階だけ。なみなみと水の注がれたバケツは殺人部屋の前にいつも置かれている。まるで、「ここだけ掃除してろ。」そう言われているようだった。
鞄に仕舞ったはずの密輸入品リストは、家に帰ると忽然と消えていたし、ビルに入る際、護身用に持っていた携帯ナイフさえも気付けば抜き取られていた。
恐ろしかった。静かに背後に迫り来る死が、剥き出しになった人間の本能が。
何も知らず、気付かず、言われた通りに掃除だけしていれば、俺は夜の街を好きなまま生きていけたのに。
夜は死後の世界に似ている。音が消え、嘘が消え、罪さえも消える。殺しが行われるのはいつもその時間で、俺はその間布団に包まり息をするのに精一杯だ。
曙は生前の世界に似ている。嘘が生まれ始め、罪は形を成さず、街は薄い皮膜のように柔らかい。人々が人間らしくなり始める時間、俺が息を吸えるようになる時間だ。
夜が明けると曙が来るのではない。
いつも、曙は夜から逃げている。
息を切らしながら、俺に平穏と仕事を届けるのだ。
陽が落ちるとビルの二階の灯りだけが消える。多分、誰かの命の灯火も消えている。
曙の街は俺を確かに包み込んでくれる。平穏の太陽が今日も昇る。じきに人間が可愛い嘘を吐く時間がやってくる。今日はまだ誰も死んでいない。
カレンダーに×印が付けられる限り、俺は仕事へ向かう。
今日も二階の床はきっと綺麗だ。
街は曙。 女子高生 @hanakappa2525
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