第23話 出会いと別れ

ダビデが倒れてから、魔界には「奇跡」のような時間が流れていた。

新魔導王ソルによる改革は目覚ましく、種族間の垣根は取り払われ、かつての「処刑場」は若き魔導士たちの活気ある学び舎へと姿を変えていた。

​カイとセーラは、森の奥の小さな教会で慎ましく式を挙げた。

ソルやセル、そして七魔神たちも駆けつけたその日は、魔界の歴史で最も温かな一日だったと言われている。

​しかし、その幸福の裏側で、カイの右腕の「痣」は、確実にその根を深く張っていた。

​それから一年。

カイとセーラが住む森の邸宅に、喜びの報せが届く。

​「カイ……! 私、お腹に……赤ちゃんができたみたい」

​セーラが慈しむように微笑み、自分の腹部に手を当てた。

カイはその言葉を聞いた瞬間、喜びで彼女を抱きしめようとした。だが、その直後。

彼の右腕の「痣」が、これまでにないほど激しく熱を帯び、ドクドクと不気味な鼓動を始めた。

​「……っ!? あ、あああああッ!!」

​カイは悲鳴を上げ、セーラを突き飛ばすようにして距離を取った。

右腕の紋章から、黒い触手のような魔力が噴き出し、意志に反してセーラの腹部へと伸びていく。

​「カイ……!? どうしたの、その腕……!」

​「来るな! セーラ、離れろッ!!」

​カイの右腕にある『循環』の術式は、エルセデスの呪いによって変質していた。

本来、世界を救うための「魔力の浄化」を行うはずの右腕が、近くにある「新しい命」を最高級のエネルギー源として感知し、無意識に吸い尽くそうと暴走を始めたのだ。

​カイは自分の右腕を左手で必死に抑え込むが、指が肉に食い込むほど力を入れても、アークを「喰おう」とする右腕の捕食本能を止められない。

​「やめろ……! こいつは、俺の……俺とセーラの子供なんだッ!! 誰がお前に食わせてやるか!!」

​カイは歯を食いしばり、自分の魔力回路を強引に逆流させた。

自分の腕を内側から破壊してでも、息子へ伸びる魔力の触手を止めるためだ。

​バキバキと右腕の骨が軋む音が響く。

カイは自らの生命力を代償にして、アークの命を吸おうとする右腕の「口」を無理やり塞ぎ込んだ。

​「……はぁ、はぁ……。セーラ……逃げろ。……俺がそばにいたら、この子が生まれる前に……俺の右腕が、この子を殺しちまう……」

​カイの右腕の痣は、すでに肩の近くまで侵食していた。

それは、彼がもはや「人間」としても「父親」としても、平穏に暮らせる限界を超えたことを示していた。

「……カイ。頼みがある」

​ソルの玉座の間。カイは震える右腕を抑え込みながら、親友に最期の「願い」を託していた。

セーラの胎内に宿った命——アーク。だが、カイの右腕にある「循環」の毒は、すでにその小さな命を侵食し始めていた。

​「このままじゃ、アークは生まれる前に俺の毒に食いつぶされる。……だから、あいつの中に流れ込んだ魔力を、俺が全部『封じ込める』」

​「封じ込めるって、そんなことしたらアークは魔力が使えない体になるぞ! 魔界で魔力がないなんて、死ぬより過酷だ!」

​ソルの叫びに、カイは苦しげに顔を歪めた。

「ああ。……だから、あいつを王都から一番遠い、ゴミ溜めのスラム(外縁区)へ隠してくれ。あそこなら、誰の目も届かない」

​カイは、自分が毒に飲まれて「怪物」になる前に、アークを自分たちの過去から切り離そうとしていた。

​セーラの決断と、哀しき嘘

​「――嫌よ、そんなの認めない!!」

​扉を開け、セーラが部屋に飛び込んできた。彼女はその小さな手で、カイの胸ぐらを掴んだ。

「なんで勝手に決めるの!? 私たち三人で、どこか遠くへ逃げればいいじゃない! 私が、全力で二人を守るから……っ!」

​「……セーラ。俺の右腕はもう、限界なんだ。俺がそばにいれば、お前もアークも、俺が殺してしまう」

​カイは優しくセーラの髪を撫でた。

「ソルに頼んである。アークが生まれたら、信頼できる奴に預けて、スラムで『ただの人間』として育ててもらう。……お前は、あの子を遠くで見守ってやってくれ」

​「……カイ、あなたはどうするの?」

​「俺は……この毒と一緒に、地獄の底まで行くさ」

​セーラは泣き崩れた。

彼女は、アークを守るために「母親」であることを捨てる決断を迫られた。



​数ヶ月後。

嵐の夜、スラムの片隅でアークは産声を上げた。

だが、その背中には、カイの右腕と同じ禍々しい「循環の萌芽」が浮かび上がっていた。

​「……すまない、アーク。……いつか、この呪いを力に変えられる日まで、耐えてくれ」

​カイは自らの命を削るような封印術をアークに施した。

赤子の魔力は完全に消失し、ただの「ひ弱な人間の子供」へと姿を変える。

​ソルの手配により、かつてカイに恩のあった義足の魔族、バシュタが赤子を引き受けた。

「……わかった。この子は俺が、一人前の『しぶといゴミ拾い』に育ててやるよ。……あばよ、カイ」

​バシュタがアークを抱え、闇の中に消えていく。

それを見送るカイの右腕は、すでに肘まで黒く変色し、理性を食い破ろうとしていた。

​「……ソル。約束だ。……アークが十六になったら、あいつを学園に呼んでやってくれ。……その時、あいつが俺を殺せるほど強くなっていることを、祈ってるぜ」

​時が経ち

​カイは右腕の毒に飲み込まれ、理性を徐々に失い「魔物」に近い状態となり、魔界の最下層にある「禁忌の監獄」に幽閉された。セーラは行方をくらました。

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ソルの塔 らおん @Laon

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