流れる星は死んでいる

@otsukap

第1話 プロローグ タイタニック号の厨房に並ぶ冷たい寸胴鍋の底に眠る猫の夢

彼女は猫のようにいなくなった。

この時代につくづく愛想をつかしていたから、未来か過去にいってしまったのかもしれない。ぴょんとジャンプして。正しいことが正しいというだけで尊く、弱いものが弱いというだけで恥ずかしいおもいをしなくていい時代に。これまでにそんな時代はなかったし、たぶん未来にもそんな時代は訪れないだろう。だけど彼女にはそういう時代を生きていてほしかった。

ぼくは彼女を探さなかった。ぼくは週刊誌の記者をしていたから、行方をくらませた人をみつける方法を100とおりは知っていた。でも、いまさら彼女の居場所がわかったところで、ふたたび、なにか新しいことがはじまる予感は抱けないだろうし、おもいで話にひたる年でも、まだなかった。それにぼくが見つけようとすればするほど、彼女はさらに遠い場所へ旅立ってしまう気がした。まるで猫みたいに。


彼女に出会うまで、ぼくは金持ちになりたいと願ったことはいちどもなかった。

それはぼくが幸福な幼少期、平凡な学生時代、そして愚かな社会人生活を送っていたからだ。父は「幸せはカネで買えないのに、カネばかりを集める金持ちは哀れなものだ」とよく口にしていた。

でもウソだった。

週刊誌記者は、名刺ひとつでいろんな人に会える。いろんな金持ちにも出会った。そこで学んだのは、世の中の99%はカネで買えるということだった。それは世の中の99%の人たちがカネで心を売る貧乏人だったから。カネで買えないものを見つけられる人は1%しかいなかった。見つけられた人は決まって金持ちだった。金持ち万歳!


「友人がサッカー選手と付き合っていました。いつも避妊してほしいと頼んでいたのに、彼は拒みました。友人が彼に妊娠を告げると、彼が雇った弁護士に脅され、7万円の示談金で中絶させられ、秘密保持契約も結ばされました。契約のなかには、彼がベッドのなかで監督を無能呼ばわりしていたことまで含まれています。こんなの不公平です。法律はカネのある人しか守りません。だれも彼女と赤ちゃんを守ってくれませんでした。だからお願いです、力を貸してください。彼もこの世から〝中絶〟させてください。友人は2回中絶したので、彼も2回は中絶させたいです」

 週刊誌の記事にはよく「Aの親しい知人」がでてくる。たいていは本人を指す。だけどこの件はちがった。本人は乗り気ではなく、告発を主導したのはあくまでも友人だった。


 新宿・歌舞伎町の外れにある24時間営業の喫茶店「カンタベリー」で待ち合わせた。

宗教画のステンドグラスを模したガラスが新宿の夜の灯りを受け、円柱をあやしく、青く照らす。店内はひきたてのコーヒーの香りでいつも満たされていた。店員とは顔見知りで、奥のソファ席に案内してくれる。半個室のつくりでほかの客から見えず、取材にうってつけだった。

 天井には、システィーナ礼拝堂のフレスコ画『最後の審判』のコピーが描かれている。天井が低い分だけ、本家よりも審判の日も間近に迫っている緊迫感があった。ぼくは真実という武器で、おろかな罪人を、世間という法廷にひっぱりだす。それも毎週毎週、飽きずに被告人を探し回る。秩序や風紀の乱れに憤っているわけではない。週刊誌なので、毎週つくらないといけない。ただそれだけの理由で。神様からすれば、世界の終末まで待たずに、審判を安売りする週刊誌は憎き商売敵だろう。

彼女の髪は照明をうけると鈍く緑に光った。目じりは上向き、警戒心の強い大きな黒目は忙しくぼくを観察する。顔には幼さが残っており、まだ大人とはいえなかったけど、大人のように振る舞うのには慣れていた。襟が広めなクラシックなワンピースの裾を気にしながら、革張りのソファに優雅に腰をおろす。

おどろいたことに、彼女はマスクをつけていなかった。

2021年の夏、新型コロナウイルスが猛威をふるっていた。

マスクをつけていなければ、牢屋にぶち込まれそうな風潮だった。でも彼女は赤いリップがうまくぬれたのを自慢するように、素顔のままで、ハンディファンをあてて涼しんでいた。

「こういう告げ口みたいなのは控えたかったのですが、彼の所属するチームには半ダースの弁護士がいるのに、おかしなことにみなさん彼の味方なんです。新聞社に何通も手紙を書きました。でもどこからもお返事をいただけません」

 ぼくは笑おうとしたけど、彼女はいたって真剣だった。冗談をいったわけではなかった。この国にまだ文明の灯がともっていると本気で信じていた。

正直にいえば、ぼくもそれほど乗り気ではなかった。

彼の過ちが罪と呼ぶほどのものとはおもえなかった。男同士だから肩を持ったのかもしれない。お互い独身で恋愛関係にあったのなら、どこまでいっても2人の問題だろう。彼は二十歳そこそこの若者で、政治家や上場企業の経営者ではない。人気商売の面があるとはいえ、恋人への仕打ちを世間に知らせる社会的な意義があるとはおもえなかった。そう伝えるとか彼女は「こういうクズは、同じことを繰り返します。いまも新しい女性がまた被害にあっています」といった。

「ほかの被害者を知っているの?」

「知りません」

「じゃあ、どうして彼が同じ過ちを繰り返すといえるんだ」

「お言葉を返すようですが、どうして繰り返さないといえるのですか? 彼は悪いと1ミリもおもっていません。カネがあれば示談にするだけで、永遠に事件を闇に葬れると味をしめています。弁護士が脅して、口外禁止の契約書にサインさせ、中絶させるまでが彼のプレイの一環です。法律がお金持ちを守るのなら、弱い者を守るのがジャーナリストの使命でしょう」

 ぼくは自分がジャーナリストとはおもえなかった。毎週、コンビニの棚に並んだ週刊誌をみても、世界を変えるたいそうな仕事をなしとげた気はしない。

さらに小遣い稼ぎに勤しむ人のために、コンビニの棚は縮小され、フリマアプリの梱包材に置きかえられた。創造物の対価を支払わずに、ひとさまの善意にただ乗りするだけの会社が急成長していた。貧しい時代には、いやしい想像力と不躾な行動力を備え、先人が積みあげてきた社会模範に甘える小人たちが時代の寵児だともてはやされる。

ジャーナリズムに期待するなら、民主主義のコストとして、もっとカネをはらってほしかった。でも、こんな時代に訴えるのはナンセンスかもしれない。

「もしもカネがあれば、もっと別の方法があったでしょう。カネがなくても、だれか一人でも心があれば、彼女にこんな仕打ちはしなかった。誰も弱い人を助けたりはしません。もう週刊誌にすがるしかありません。わたしたちだって、これが最悪の方法だとは知っています」

「最悪の方法って、ひどいいいかただね」

「だってそうでしょう?」

「違うよ。週刊誌に頼むのは下から3番目の悪手」

「いちばんは?」

「沈黙」

「にばんは?」

「弁護士ドットコムに登録している先生に依頼すること」

彼女は笑った。

ぬるくなったコーヒーに口をつけ、「猫舌なの」といった。


 ぼくは記事を書いた。

 彼女の話には信ぴょう性があったし、彼女の友人から証拠も預かった。

だけど肝心の彼とのメッセージアプリの生々しいやりとりは、ぼくの会社の顧問弁護士から制止された。記事はとても歯切れの悪いものになった。秘密保持契約を破れば、彼女は莫大な損害賠償(1000人分の中絶費用ぐらい)を負担しなければならない。そんな信義則に反する契約はそもそも無効だし、不平等な契約を押しつけただけでも、彼は批判されるべきだ。でも顧問弁護士は譲らなかった。自らも秘密保持契約で散々金儲けしてきたのだから、それこそ〝信義則〟に反するのだろう。


雑誌が発売されると、サッカー選手の雇った弁護士からは事実無根だと抗議文が送られてきた。彼は自信満々にSNSで記事を全否定した。所属クラブも訴訟の準備中だとの声明を発表した。ちょっとした噂しか知らないのに記事を書いたとおもったのだろう。

中絶した彼女のもとには謝罪のかわりに、「もし示談をやぶったら、オマエも家族も一生、借金漬けにしてやるからな」と脅迫まがいのメッセージが送られてきた。

秘密保持契約には、示談後に彼から送られてくるメッセージについての取り決めはなかった。そんな間抜けがいるとは弁護士も考えが及ばなかったのだ。

それでぼくは続報に、彼からのメッセージを載せた。

こんどは会社の顧問弁護士からもお墨付けをえた。弁護士は「この仕事をしていると、人の愚かさのちょっとした権威になれますね」といった。そう、ぼくら週刊誌記者は人類の愚行百科事典をつくっているのだ!

二つ目の記事で、中絶可能な時期が刻々と迫り、不安に押しつぶされそうな彼女に強引に結ばせた高圧的な示談(彼は偽名で中絶同意書にサインしていた)に争点がうつった。これは恋愛感情のもつれではなく、男性の歪んだ女性観や無責任な言動、クラブぐるみの隠ぺい体質、また女性にばかりしわ寄せがくる日本の性教育や中絶制度にも問題があるのではないかと読者の反応が変わった。

第二弾の記事は大反響だった。

Webに転載したら300万PVをこえ、新たな被害者も名乗りでて告発してくれた。彼女の予想どおり、彼は同じ手口でほかの女性とのもめごとを封じていた。それで第三弾の記事を執筆した。

ぼくらは、彼をみたび〝中絶〟させたわけだ。

 それはぼくがはじめて、ひとりで掴んだスクープだった。

 記者になって、すでに1年が経っていた。

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