恋喰いミレーの「食べ頃」相談所

梅華(うめは)

第1話

恋愛は苦手だ。

理玖は重い体を引きずって歩く。

『別れよう』

つい一時間前に告げられた言葉が頭の中をぐるぐる回る。

恋とは。

付き合うとか別れるとか、そんな言葉一つで扱っていいものじゃないはずだろう。

『こうやって言っても、食い下がったりしないもんね』

ショックで頭が真っ白になって、何も言えなくなっているだけなのに。

『結局、私の事そんなに好きじゃなかったんでしょう』

これほど好きだと伝えていたのに、冗談とでも思っていたのだろうか。

もう、疲れた。

どうして伝わらない、どうして続かない。

こんなに苦しい思いをするくらいなら、最初から好きにならなければいい。それなのに、理玖の持つ姿形のせいで、人との関わりは消えないままだ。

結んだ髪を乱雑にほどいて、理玖は頭を振った。長い髪は結んだ方がかっこいいと、彼女が言ったからやっていただけだ。

好きになってくれたから好きになった。それなのに、いつも最後は同じ言葉で人は離れていく。

『思っていたのと違うんだよね』

ぽつりと雨だれが理玖の顔を打って、理玖は空を見上げた。天気にさえ見放される、自分はなんとも哀れな存在だ。

雨足はみるみるうちに強まっていく。傘を差す気にもなれずに、理玖は髪が濡れるのも構わず歩いた。

薄暗い路地を抜ければ、築五十年の錆びかけたアパートが姿を現した。ここまでの道のりに一年くらいかかった気がして、理玖はアパートの薄い灯りに体の力が抜けていくのを感じた。

ふと足元に目を向ければ、黒い塊が転がっていた。毎日外に出る訳ではない理玖でも、違和感に気づけるほどの大きさだ。

「ごみ……じゃなくて生き物か?」

捨て犬か何かだろうか。死体だったらどこに連絡するのだったか。

「お前も可哀想になあ。環境さえ違えば」

持っているものが違えば、中身が同じでも別の生き方があっただろうに。

理玖は思わず塊を掴んだ。

まだ温かい。

「……みゃ」

かろうじて聞こえた鳴き声に、理玖は雷に打たれたように動けなくなった。

命はまだここにあった。今理玖が拾わなくては、消えてしまいそうな小さな灯。

「捨てられたもの同士、仲良くするってことでどうだ」

うちの子にならないか。

理玖は通じないだろう言葉をかけて、微かな温もりを腕に抱いた。

さっきまでの足取りと打って変わって、重りが取れたかのように軽く足が動く。

助けてやりたい。自分のためにも。

「捨てたりはしないさ。『思っていたのと違った』ことになったとしてもな」


夢を見ていた。

幼い頃好きだった、恋物語の映画を見ている夢だ。

大切な人を大切にする、そういう世界に憧れた。子供の頃の無垢な自分は、そういう世界を作る人になりたかったのだ。

(だからといって仕事にすることなかったな)

これほど恋愛下手なのだったら、恋愛小説家を目指すのではなかった。理想を詰め込んだ作品でプロデビューは叶ったものの、今となってはリアリティに欠けると編集者からの評判は散々だ。加えて実生活もこれでは目も当てられない。

「そんな頃もあったなあ」

両想いは素敵だ。見ている側も幸せになれる。

ただそろそろ理玖もいい年頃だ。小学生ならともかく、両想いになって終わりの時期は過ぎた。

大きく伸びをすれば、思いがけない温もりに手が触れた。ぺたぺたと触れば、顔のようなものがある。

「ッ!?」

勢いよく体を起こせば、そこは間違いなく理玖の部屋であった。ただ一つ、理玖の前に横たわる黒髪の少女だけが強烈な違和感を放っている。

「ううん……」

少女は丸まった体を更に縮込めて、あろうことかまだ寝続けようとする。

「おま、なっ……」

慌てて距離を置いた理玖に、少女の長いまつ毛がふるりと揺れた。ゆったりと顔を上げ、猫のように腰を伸ばして頭を振る。

「あっ、戻った」

腕や脚を確認して明るい表情になった少女は、理玖の怯えた視線に気がついてひらりと手を振った。

「おはよー、昨日はごちそうさま」

ご馳走様。それは何かの暗示だろうか。

確かに少女の体には理玖の黒のスウェットを纏う以外に布の様子が窺えない。これはもしかして、一線を超えてしまったのだろうか。

(昨日はフラれて、猫を拾って……)

少女に関する記憶は何もない。

「ああ、心配しないで。君の記憶は残ってるから」

さっきから何の話をしているのだろうか。

「お前は……」

「ああ、それ。ダメだよ、女の子のことを『お前』なんて言っちゃ」

唇に人差し指がすっと立てられて、視線が吸い寄せられた。桜色の薄く形のいい唇が、動く姿を見たような。

『ああ、生き返る』

日常でそれほど聞くことのない、心の底から漏れたような声。その声は、この唇から発されたものではなかったか。理玖の朧気な記憶がパズルのように繋がっていく。

「おま……あなたは、誰なんだ」

キョトンとして、少女は首を捻った。

「誰、と言われても。君に拾われた猫でーす」

へらへらと笑ってまた手を振る少女に、理玖は苛立って低い声を出す。

「猫が人になるわけないだろう。物語じゃあるまいし」

「プロの作家先生がそれを言うかね?」

少女は呆れたように天井を仰ぎ、理玖の布団に仰向けに転がった。

「ダメだぁ、こりゃフラれるわけだ。ないない、教育がなってない」

子供のように布団に脚を打ち付けて、少女は不服さを全身で表している。

(いや、ちょっと待て)

プロの作家だということも、フラれたということも、この少女が知っているはずがない情報だ。

「仮にお前が昨日の猫だったとして」

「そうだけど?」

「……『仮に』そうだとして、お前はどうして人間になったんだ」

暴れていた脚を揃えて、少女は勢いよく起き上がった。艶のある黒髪は、布団で暴れたはずなのに乱れひとつなく少女の体に行儀よく集まっていく。猫のようなツリ目気味の碧色二つが、理玖を真っ直ぐに見つめていた。

「それは、『食べた』からだよ」

「……食べる?」

「うん。君の恋を食べて、満たされた。だからこの姿に戻ったってわけ」

指を二本立てて満面の笑みを浮かべる少女と、発された言葉の意味はちぐはぐだ。

「……はぁ」

訳が分からない。真剣さに欠けるこの少女が、一体どれほどの真実を抱えているのか推し量ることは不可能なように思えた。

「現にほら、辛くないでしょう? いつもはフラれた次の日に起き上がれないほど泣いている君が、平気そうなんだもん」

ここ、と胸の辺りを示す少女につられて胸に手を当てた。

確かにそうだ。フラれる度に理玖は再起不能なまでに落ち込んで、一日を部屋で丸まって過ごすのが常だった。

彼女を失う悲しみと、ありのままの自分を受け入れてもらえないことの絶望。どこをどうしたら上手くいっていたのかと、たらればを考えて身動きが取れなくなる。

「恋の悲しみ、苦しみ。嫉妬や執着、すれ違い。上手くいく恋の味は甘くて美味しいけれど、こういうスパイス系の味が堪らないんだよね」

少女は細長い指を両手で丁寧に折っていく。

「食べるのは感情の味だけだから記憶は残るよ。それに、今回の恋は君のネタにはきっと向かないだろうし」

少女の視線を遣った先に、理玖の著作が山積みになっている。

「なっ、おま、読んだのか!?」

「それなりに美味しかったけど、ちょっと甘ったるかったかな。それと、私には美麗っていうちゃんとした名前があるの。お前なんかじゃありませんー」

生意気に舌を出す彼女にまた苛立って、理玖は追い払うように手を振った。

「わかった、わかったから。もう用が済んだんだったら出て行ってくれねえか」

半ば頼むように顔を覗き込めば、美麗は目を丸くする。

「出て行くって、どこに?」

「さぁ?」

そんなことは理玖の知るところではない。

「理玖、美麗と約束したよね」

「約束?」

丸い目にはみるみるうちに涙が溜まっていく。ここに誰かがいれば、全員が理玖を悪者にしそうなほどに愛くるしい顔に、涙の粒をこぼしていく。

「嬉しかったんだよ。『うちの子に』してくれて、『思っていたのと違っても捨てない』って言ってくれて。美麗は素敵な人間のパートナーになれたんだって幸せだったのに」

本当に、出て行かなきゃだめ?

顔を覗き込んだのが完全に裏目に出た。こんなの、理玖が悪かったことにしかならないではないか。それに、もう認めざるを得ない。美麗は、確かに昨日拾った猫なのだ。

「わかった。うちにいていいから、ちゃんと説明してくれ」

美麗の表情が輝いて、理玖は溜息をついた。


「それで、おま……ミレーは、何者なんだ」

ようやく名前を呼んだことに満足したのか、得意顔で美麗は立ち上がる。

「私は世に数多ある恋を食べてエネルギーにする、その名も『恋喰い』なのだ」

ビシッと理玖に突きつけたピースサインが、さらに胡散臭さを助長していた。恋を食べるということも、エネルギーにするということも理解ができない。

「……だとして、どうしてうちの前で倒れてたんだ?」

それは、と目を泳がせる美麗をじっと見つめれば、「言わなきゃだめ?」ともじもじする。

「うちに住む以上は隠し事はなしだぞ」

「ううん……笑わない?」

「物による」

「……から」

急に自信なさげに小声になる美麗に理玖が近づけば、美麗はすっ飛んでカーテンの後ろに隠れてしまった。

「失敗したの!うまく狩りができなくて、お腹がすいて」

「それで倒れてましたってか」

グリーンのカーテンから顔だけをのぞかせて縦に頭を振る美麗が滑稽でならない。やたらと上から目線で話してくるやつだが、案外と不出来な方なのかもしれない。

「恋喰いは妖怪だから、独り立ちするまでは里から出ちゃいけないの。ようやく独り立ちの歳になって里から出られたのに、なかなか美味しい恋が集まらなくて」

理玖が拾っていなかったら危なかったらしい。

「死なないけど、ずっと元の姿に戻れなかったかも」

カーテンからおずおずと出て理玖の小説に手を伸ばすあたり、居候にしてはかなり厚かましいやつだ。

「それで、俺の失恋はごちそうだったのか」

「うん!」

満面の笑みで答えられれば、嫌味の言葉すら吹っ飛んでしまう。

そうか。美味しかったのか。それならいい。

「訳あるか!」

「っ!」

驚いて跳ねるあたり、仕草がいちいち猫っぽい。

「理玖にはね、本当に感謝しているんだ」

美麗は読みかけの本を棚に戻して、手を後ろに組んで真っ直ぐに理玖を見つめた。

「だからお礼がしたいの」

「礼、か」

感謝されるのは悪い気分ではない。

「この美麗先生が、理玖の恋愛指導をしてあげる。次の恋にも、お仕事にも役立って一石二鳥でしょ!」

恋愛指導。それは具体的に、何をしようというのか。

「うまくいく恋には知識と経験が必要なの。まずは沢山事例を知らなくちゃ」

美麗は理玖の机の上にあったメモ用紙に大きく文字を書いて理玖の目の前に掲げる。

「恋愛……相談所?」

この女は一体何をしでかすつもりなのだろう。

「待て待て、まさか店をやろうっていうのか?」

「ご名答。今の理玖に足りないのは感情の種類。理玖の小説は甘いだけで、スパイスが全然足りないんだよね」

黙って聞いていれば失礼なことを言ってくれる。

「それなら、別に店をやらなくたっていいだろ。小説やドラマだって十分なはずだ」

「ううん、リアルだからこそ価値があるんだよ。例えば理玖の場合。どうして『思っていたのと違う』のか、他人に言える?」

理玖は美麗越しに電球を見つめた。過去にフラれた言葉が蘇る。

顔の割に、普通の人間だったから。もっと自信があって、女性をリードするような人だと思っていたのに、顔以外はただの人だった。逆のギャップとでも言うのだろうか、「つまらない」という言葉を理玖に合わせて丁寧に分解したような表現に理玖は毎度精神をやられている。

今回だってそうだ。自分から声をかけておいて、こちらが思ったのと違ったらすぐに手放そうとする。

「恋愛小説で夢見たっていいだろ。現実でうまくいかないからこそ、思った通りになる世界が必要なんだよ」

うーん、と美麗は顎に指を当てた。

「言い方を変えよう」

美麗はふわっと笑顔を見せた。

「私の食事のために、恋愛相談所を手伝ってほしい」

理玖は黙って美麗を見つめた。

「どうせそんなことだろうと思ったよ。俺がそれで『はいわかりました』って言うとでも?」

「うーん、だって理玖の恋は終わっちゃったでしょう。じゃあ他の人を当たらないといけないし……」

何の建前もない状態で誰かに突撃するのはあまりにも厄介だ。この恋の妖怪を引き取ってしまった以上、理玖はその面倒を見るしかない。

軽い気持ちで他人に自分の境遇を重ねるのは以後控えよう。理玖は固く心に誓った。

「仕方ねえ、今回はつきあってやる。ただし、俺は絶対に厄介事には巻き込むな、いいな?」

厳しく言いつけても、美麗は「はーい」と軽い返事をして手を上げた。

「よろしくね、美麗のマスター」

「だぁから俺を巻き込むなっての!」

マスター呼びされるほど働く予定はないし、そもそもどうやって店をやるつもりなのかもわからない。

大体、美麗の言っていることを真に受けて大丈夫なのだろうか。すべてが作り話で、理玖が騙されている可能性だってあるのだ。

それにしても、と理玖はスマホの画面を見つめた。

失恋した割には落ち着いていることも、思い出して胸が痛まないことも。目の前の少女が成したことであると、頭の片隅で信じている自分がいる。

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