錦妖奇譚(和風ファンタジー)
糸夜拓
第1話 娘喰らふ妖の事
「あれ、こんな時間にどこに行くんだい! 危ないよう、一人でなんて!」
見知った姿に、茶屋から看板娘が顔を出した。おとせは看板娘、なんて未だに言われちゃいるが、齢はとっくに娘、というにはとうが立っている。
「ありがとう、おとせさん。三味線の先生のところに忘れ物をしちゃって。人通りが多いところだから大丈夫よう」
コロコロと鈴が転がるような、とはこのこと。高く張りのある声がおとせへと応える。
流行りの柄の着物に身を包み、家人も連れずに小走りに遠ざかっていくのは、田砂屋の愛娘だ。おしとやか、というよりは幼い頃から元気がありあまる性質で、ふんわりと気が弱そうな愛らしい顔立ちからは思いもよらぬほどに行動的だというのは、この辺りじゃ有名な話だ。
日が陰るのもじきだ。そうなると、今人が多いこの通りも急激に寂しくなるのをおとせは知っている。
「大丈夫かねえ」
おとせはすっかり人に紛れて見えなくなった姿にため息を吐いた。
「おとせさん、何ぞあったかい?」
耳に心地よい柔らかな男の声に、おとせは振り返る。いつから居たか、気付けばすぐそばに時々顔を出してくれる男が立っていた。
艶やかな射干玉の総髪姿に、藍墨茶色の釣り狐文様の着物を粋に着崩しているその若者は、常連客でもある。見知った姿に、ほっとおとせは胸をなでおろした。
「あら、しろかねさん。いえね、今田砂屋のおしまさんが三味線の先生のところに忘れ物を取りに行くって一人で通り過ぎたもんだからね」
どこの長屋に住んで、何をしている御仁かは知らぬが人懐っこく、払いも滞ったことがないので気付けばすっかり気を許してなんでも話す間柄だ。
周囲と比べて少し抜きんでたすらりと高い上背も威圧感よりぽうっと見惚れるような男気すら感じてしまう。
浪人にしてはいつだって身なりが小綺麗で良いものを身に着けているし、かといって商いをしているようにも見えぬ。詮索は恰好が悪いのでしやしないが、大方、花街出入りか、生家が裕福なのだろうとおとせは考えている。
「ああ、あのきりりと勇ましい娘さんかよ。そりゃ心配だな、あんな噂があるんだから」
「そう! そうさね。若い娘さんばかり、まるで神隠しに遭ったように姿を消しちゃあ、酷い姿で打ち捨てられているって!」
そうなのだ。
近頃、この将軍様のおひざ元は物騒な噂話でにぎわっている。無論、日頃から顔を背けずにはいられぬような殺しや心中などの話は尽きぬが、今世間を騒がせるそれと比べれば可愛いものだ。
「田砂屋の娘といえば、女だてらに武道にも通じている、と聴いたことがある。ゆえに己が身は大事ないと過信しているのやもしれぬな」
縁台に腰かけようとしていた
「あらま!
店に立ち寄ってくれた時に幾度となく会話を交わしたことがあるが、とても愛らしく、また甘味が好きらしく、自慢の団子を恥ずかしそうにしつつもそれはそれは幸せそうに食べてくれるので、勝手に愛しく妹か何かのように思っている。心配だわと眉根を寄せるおとせに、刑部が人を走らせよう、と傍に控えていた小柄な男に目配せをした。主人の指示を過たず受け取った彼は、小さく頷きそのまま人混みへと駆けだしていく。
「おとせさんも用心しなせえ、おとせさんに何かあったら江戸じゅうの男が泣くぜ」
白銀がカラカラと笑う。やだよ、この人はと心地良い世辞に苦笑すれば、まさに背を向け店から出ようとしていた刑部が振り返った。
生真面目にきりりと結ばれた口が僅かに緩む。
「その通りだ。おとせさん、少なくとも件の下手人があがるまでは、一人歩きはせぬことだ」
「ひ、ひい……ッ」
おしまはぎゅうう、と両手を握りしめ震えていた。
ガクガク震えて脚は動かない。恐怖で悲鳴すら出てきてはくれなかった。
未だ日は落ち切っていない筈の刻限だが、周囲はとっぷり夜が来たように薄暗い。
小さな川にかかる橋から、こちらへ向かってじわりじわりと歩を進める男が、にたりと笑った。
遠目にみたところは、ただの浪人だった。と言っても、独りで人通りが少ないところを歩いている時に通りがかってほしくない者であるには違いない。だが、ただの浪人、の方がまだましだ、と思うのだ。
「皮ァ……肝ォ……」
しゃがれた声が二重に聞こえる。ひとつはにたりと笑った口から。
もうひとつの声は、手入れのされておらぬ月代のあたりにぱかりと開いた大きな割れ目から。
ギザギザと尖った獣の歯のような何かと、飛び散る唾のようなものまで見えてしまって、もう気絶せずに立ち続けるのが精一杯だ。
おとせさんが心配してくれたのに。
茶屋の、姉のように慕う看板娘が思い浮かぶ。
最近増えているからと言われた拐かしは何だった。
そう、まるで神隠しに遭ったように姿を消しちゃあ、酷い姿……親や家人は言葉を濁していたが、稽古先での噂話で耳にしていた。
皮をはがれ、肝を抜かれた状態で、……五体満足ではないのだと。
嗚呼、もう駄目だ。
激しい後悔が涙と共に溢れてくる。
言う事を聞いておけばよかった。
失せ物が何だというのだ。命あってのことだろうと。
その時だ。
「おお、気丈に耐えたもんだ。さすが、田砂屋のおしまだなあ」
低く耳ざわりのいい声が、背後から。
え、と驚いた途端に、強張っていた身体が動いた。
振り返ると触れるほどに近いところに男が立っている。銀糸のような髪は宵闇にも浮かび上がるようにぼうっと光って見え、きりりと切れ長の目元に見えるは紅の色。
人ならざる色を持つ、美丈夫だった。
彼はにやりと笑い、節くれだった指で軽くおしまの額を押す。
「あ」
彼女の記憶は、ここまでだった。
魂が抜けたように膝を折り崩れ落ちかけた彼女を、白銀の髪の男がやすやすと抱きとめ、柳の影へと座らせる。
その間にも、妖は距離を詰めていた。その距離、もう手を伸ばせば届く位置。
「おうおう、こいつぁどこの手のもんだ? 名も貰っていねえような下っ端じゃねえか」
藍墨茶色の釣り狐文様の着物が、じわりじわりと色を変え、それは、青みがかった銀白色の小袖へと瞬きの間に変じていた。
その身体全体が、ほのかに光っている。そこで初めて、浪人が怯んだように背後へ数歩引いた。
丸腰のはずが、銀をまとう男はすらりと刀を引き抜くような仕草をしたかと思えば、その手に闇に溶け込むような漆黒の刀身が現れいでていた。
刀身が、光を反射するかのようにギラリと光る。それを見て、さらに浪人がじりりと背後へ下がった。
「ちいっとばかり遊んでやろうなあ。不味そうだが腹の足しにはなるだろう」
目を細めた男が舌なめずりをする。
「あ゛あぁアアじゃまをする、するなあ……ァぁあ」
浪人の頭の割れ目から、勢いよくぬめった何か……それは、舌のような何か……がそれはまさに男を巻き取らんと飛び出し伸びてくる。
「腰が引けてるくせに、威勢はいいなあ。ああ、悪いが舐められるのは趣味じゃねえよ」
避けるそぶりすら見せずに軽く男が手を振る。とたん、長く伸びた舌はバラバラに刻まれてぼたぼたと地面に落ちた。
「ぎゃあああ……!」
「ほれ、逃げるなら逃げろよ。追いかけるのは大好きだぜ」
低い声が挑発するようにそう囁く。そこに、
「白銀、遊ぶな。手ェ抜くな。さっさとけりをつけんか!」
「おう、刑部。わかっちゃあいるが、小者過ぎて玩具くらいにしかならんぜ、こいつは」
白銀から刑部、と呼ばれたのは長い黒髪の男だ。背でくくられたそれは、角度によっては赤銅のような輝きを帯び、瞳には獣のような細い光彩が見えた。
彼は気絶した娘を庇うように背にしてすらりと立っている。闇に溶け込みそうな漆黒の羽織りと袴が、白銀とは相反する気配を纏っている。
白銀がヘラリと笑って、地面をのたうち回る妖に向けて黒い刀を軽々と振った。
「ギャッ!!」
悲鳴は短く一度きり。すぐに、周囲を包んでいた黒い霧が掻き消えていく。
「おい、生捕りが基本だろうが」
刑部が不服そうに眉と声を跳ね上げた。
だが、白銀は笑いながら亡骸の前にしゃがみ込みながら刑部を振り返る。
その背後に、ふわりふわりと揺れる無数の狐尾が見えた気がして、刑部が口をへの字に曲げた。
「生捕りの必要もねえだろうが。狸殿、お前だって、加減して生かして捕るのは難しかろうよ、こんな小者。おひいさんには俺から報告しておいてやらあ」
「狸殿じゃねえ、刑部と呼べと言っている! あ、こら! 核を」
狸殿は狸殿だろうが、と揶揄う口調で言って寄越しながら、白銀が無造作に浪人のぱっかりと頭上に開いた第二の口に手を突っ込んだ。
グチュリ。
いやな音がして、白銀が拳をその口から引き抜いたとたん、紙が燃えた後の灰のようにさらさらと崩れて妖が消えていく。
「核を抜いたら宿主の亡骸は残ったりするもんだが、骨一つ残りゃしねえ。どうにも死骸が使われていたか」
白銀が拳を広げ、第二の口から掴みだしたものをつまみ上げた。
それはほのかに光る炎のような……妖の核、と彼らが呼んでいるものだ。
「……そのようだな。墓暴きは下級の名無しの妖ごときが考え付けるものではない。やはり背後に何か在るか」
刑部が頷いた。
ここしばらく、妖が原因と思われる事件が増えている。
『こちら側』の仕事は、少ない方が世には良いのだが、残念ながら忌々しくもこの白銀と組んでの『こちら側』の仕事が増えている。
忌々しいこの男と組むことを我慢し受け入れているのは、ひとえに、敬愛する主君の為。
「……刑部。肝はおそらくこの妖が喰らっていたのだろうが、皮はどう考える」
「は」
「狙われたのは、柔らかで傷一つない商家や武家の女子だろう。皮を集める理由は何だろうな?」
赤い瞳がなぞかけのように呟いたかと思えば、白銀は妖の核をひとのみにして喉を鳴らした。
刑部は顔をしかめる。
「相変わらずの、悪食……ッ!」
「まあ、人の飯の方が美味いがな」
美味いが腹が膨れねえからなあ、と笑って、白銀が首を軽く振った。
とたん、纏っていた銀の色が勢いよく消えていく。
まるで芸人の早着替えを見ているように、銀に輝いていた小袖は藍墨茶色の釣り狐文様へと戻り、髪は射干玉の総髪姿へと転じる。
チ、と舌打ちをした刑部が軽く足を鳴らす。
とたん、靄が彼を包み、霧が晴れた後にはやはり、赤銅に輝く長髪は消え、黒い羽織りに着流し姿の同心が立っているだけだった。
「どうにもきな臭えなあ。使役の妖がまがいなりにも俺やてめえの縄張りに入るたあな」
「まあ、確かに。いずれにしても、錦様に報告を急がねば」
「おひいさんの耳を汚したくねえ話題だがな」
皮だ、肝だ、なんてよう、と肩をすくめた白銀に、それはそうだが、と刑部が眉間に皺を刻んだ。
「もうし、娘さんしっかりしなせぇ」
声をかけられ、おしまはハッと目を覚ます。
あたりは日暮れ手前、夕焼け色に染め上げられており、見回り番に囲まれ、覗き込まれていた。
「何ぞあったかい? 大丈夫か? 最近は娘を狙った物騒な事件もある、独りでこんなうら寂しいところを歩いちゃあいけねえよ」
言われて、ぞわりと恐怖が身体をこわばらせる。
おぞましいものを見たのだ、と、訴えようとして、だが、靄がかかったように何も記憶に残っていないことに気付く。
「あら……? 私は、何を……」
恐ろしい思いをして、美しい方に救われたと思ったのに。
あの、美しい銀をまとう方にさすが、田砂屋のおしまだ、と言われたのを覚えている。
そう考えてから、あれ、あの方は、とあたりを見渡すも、色香が滴るがごとき色男の姿はついぞ見当たらぬ。一体何がと首を傾げる間に、その面影も雲に隠れた月が如く、さらりと消えてしまった。
錦妖奇譚(和風ファンタジー) 糸夜拓 @siyohira_r
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