男女比1:1000の世界に転移したらモテたけど、俺は誰も信じない(復讐相手がいるので)
@TK83473206
第1話:優しさが怖い世界
目を開けた瞬間、空気が違った。
冷たいとか、暖かいとか、そういう話じゃない。
肺に入ってくるものの“重さ”が、俺の知っている世界と微妙にズレている。
――どこだ、ここ。
立ち上がろうとして、足がもつれる。
地面は石畳みたいに硬いのに、変に整っていて、角が丸い。見上げると、空は青い。雲は薄く、やけに高い。
そのとき、背後で声がした。
「だ、大丈夫ですか!?」
振り向くより先に、影がふたつ、みっつ。
人が――女の人が、走ってくる。制服みたいな服の子もいれば、スーツっぽい人もいる。年齢もバラバラで、でも全員、同じ顔をしていた。
心配。
怖いくらいの心配。
「倒れてましたよね? 救急、呼びます?」
「お水……! あ、これ飲めます? 喉痛くない?」
「待って、触る前に許可取って、許可。びっくりさせたら……」
言葉が早い。手が多い。視線が刺さる。
俺の周りに円ができる。狭い。逃げ道がない。
「ちょ、ちょっと……大丈夫です、たぶん」
口にした瞬間、彼女たちはほっとしたように息を吐いた。
その“安心”が、なぜか俺をぞっとさせた。
知らない人の安心って、こんなに重いものだったか。
「よかった……!」
「本当に大丈夫? 顔色が……」
「怖かったですよね……一人で……」
一人で?
俺が?
そんなこと、どうして分かる。
頭の中で警報が鳴る。
――危険。
――囲まれる。
――逃げろ。
でも足が動かない。動かしたくない。
動けば、もっと注目を集める。
それに。
この状況、既視感がある。
人の輪。視線。手。
違う。
あのときは、こんな優しさじゃなかった。
――やめろ。
思い出すな。
息が浅くなる。背中が汗ばむ。
女の人の一人が、慎重に距離を取ってしゃがみこんだ。
俺の目線の高さに合わせて、笑った。
「お名前、聞いてもいいですか? できれば……その、連絡先も。家族の方とか……」
家族。
その単語で、胸の奥がひっくり返った。
家族なんて。
俺には――
喉の奥が熱くなり、視界の端が滲む。
泣きそうなのに、泣けない。泣いたら負けだと、どこかが叫んでいる。
ひどく静かな場所で、刃物が光ったときと同じ感覚。
――あの光。
教室の窓が夕焼けを反射して、机の上が朱色になっていた。
放課後。人は少なかった。
俺は笑っていた。たしかに笑っていた。隣には、親友だと思っていたやつがいた。
「なあ」
声が低かった。
冗談を言うときの声じゃなかった。
「お前さ、俺のこと舐めてんの?」
意味が分からなくて、俺は笑いながら首を傾げた。
何かの悪ふざけだと思った。いつものノリだと思った。だって親友だったから。
「なにが」
「お前が、奪っただろ」
奪った?
誰を?
何を?
俺が言葉を探している間に、やつの手が動いた。
ポケットから、何かが出た。
金属が、夕日に光った。
刃。
その瞬間、世界の音が一段落ちた。
空気が冷たくなった。
口の中が乾いた。
「ちょ、待――」
言い終える前に、刃がこちらへ来た。
俺は後ろへ下がろうとした。
でも、椅子が引っかかった。
逃げ道はなかった。
――刺される。
そう確信したとき、視界の端から人影が飛び込んできた。
「――やめて!」
母だった。
母は、走ってきて。
俺と刃の間に入って。
信じられないくらい迷いなく、両手を広げて。
そして、刃は――
次の瞬間、俺の腕は誰かに掴まれた。
床が近づいた。
倒れた。
誰かが叫んだ。
血の匂いがした。
――母が、倒れていた。
口が動いていた。
声にならなかった。
喉が壊れていたみたいに、音が出なかった。
母の目は開いていた。
俺を見ていた。
安心したような顔をしていた。
その顔が、いちばん怖かった。
だって、母は――
死んだ。
医者が何を言ったか、覚えていない。
警察が何を言ったかも、覚えていない。
ただ、あいつが泣き崩れて「違うんだ」「誤解なんだ」と繰り返していたのだけは覚えている。
勘違い。
悪い偶然。
周囲の煽り。
タイミング最悪のすれ違い。
そういうのが重なって、あいつは刃物を持ったらしい。
でも。
だから何だ。
母は死んだ。
その一点だけが、俺の世界の“事実”として残った。
それ以外は、全部ノイズになった。
――優しさも、言葉も、謝罪も、理由も。
だから俺は決めた。
もう、誰も信じない。
◇
「……大丈夫ですか? 本当に、呼吸、苦しくない?」
現実に引き戻される。
目の前の女の人が、俺を覗き込んでいる。
周りの輪はまだ消えていない。むしろ増えている。
さっきよりも距離が近い。
俺は一歩、後ろへ下がった。
みんなが、その一歩に反応して、さらに優しくなる。
「ごめんなさい、怖がらせたよね」
「距離取るね、ほんとに。落ち着いて」
「飲み物だけ置くよ、置くだけ」
置かれたペットボトルが、なぜか罠に見えた。
触ったら終わる気がする。
それが馬鹿みたいだと分かっているのに、体が動かない。
俺は、笑う練習をした。
笑顔は防具だ。
それを知ったのは、母が死んでからだ。
「……ありがとうございます」
口に出すと、彼女たちはまた安心した。
その安心が、俺の心を削る。
そのとき、遠くからサイレンのような音が聞こえた。
救急車? 警察?
分からない。
でも誰かが「管理局だ!」と叫んだ。
管理局?
意味が分からないのに、周りの空気だけが変わった。
ざわめき。
期待。
緊張。
俺はその単語に、嫌な引っかかりを覚えた。
制度。管理。
そういうものが、ここにはある。
女の子の一人が、震える声で言った。
「……男の人、ですよね?」
男の人。
まるで、珍しいものを確認するように。
別の誰かが、息を呑む音を立てた。
「本当に? うそ……」
「見つかったの……?」
「保護対象……」
保護対象。
その言い方が、俺の背骨を冷やした。
保護っていうのは、優しい言葉だ。
でも、優しい言葉ほど信用できない。
俺の頭の中で、別の警報が鳴る。
――ここは、俺の知らない世界だ。
――俺は、何かの“対象”になっている。
――人の優しさが、制度の一部になっている。
やばい。
逃げないと。
でも逃げた先に、何がある?
知らない土地。知らない常識。知らない言語……いや、言語は通じている。
それが逆に怖い。
俺はペットボトルに視線を落とした。
透明な水が揺れている。
俺の心臓の鼓動みたいに。
――母がいたら、どう言うだろう。
その想像をした瞬間、胸の奥が一瞬だけ柔らかくなって、すぐに痛みに変わった。
母はいない。
だから。
俺は、誰も信じない。
優しさが怖い。
家族が怖い。
“守る”という言葉が怖い。
そして何より。
俺の中の一番深いところが、まだあの光を覚えている。
夕焼けに反射した刃物の光を。
ここがどんな世界でも、俺が変わる理由にはならない。
母は死んだ。
だから、誰も信じない。
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