第四章 二〇年前

01 転校生

 二年四組に美少女がやって来たのは、四月がほとんど終わる頃だった。


望月絵美子もちづきえみこです。よろしくお願いします」


 各パーツが絶妙な形とサイズで、ほぼ左右対称の顔立ち。透き通るような肌に、茶に近い色合いの流れるような長髪。太っていなければ痩せ過ぎてもいない、健康的に見える体型。そしてそれらの要素にピッタリな、耳に心地好い美声。

 誰もが息を呑んだ。勿論それは、星崎百合子ほしざきゆりこも同様だった。


 ──お、同じ人間か?


「え、可愛い」


「綺麗」


 男女問わずそんな声がちらほらと聞こえてきた。


「望月さんはN県から引っ越して来たの。もしかしたら関東こっちと何かしら違う事があって戸惑ったりもするかもしれないから、皆親切にね」


「望月さん彼氏いますかー?」


 担任の三上みかみが言い終わるや否や、クラスのヒエラルキートップで常に中心人物でもある熊井剛くまいごうが、軽い調子で尋ねた。


「こら」


「えー、今質問タイムじゃないんスかあ?」


「誰がそんな事言った? そういう事は後で個人的に聞きなさいよ」


 一部生徒の間で笑いが起こった。絵美子は微笑んでおり、特に困惑したり嫌がったりしている様子はなかったが、熊井の事が好きではない百合子には不快だった。


「じゃあ席は、こっちから見て一番左側の列の一番後ろね」


「はい」


 絵美子は多くの視線を集めながら自分の席まで辿り着くと、目が合った左隣の女子生徒に軽く頭を下げてから椅子に腰を下ろした。


 ──こりゃ、しばらく騒々しくなるだろうなあ……。

 

 百合子の予想通り、噂の美少女を一目見ようと四組を訪れる生徒たち── 性別・学年・コース問わず──の姿は、五月の中旬になっても後を絶たず、見かねた学校側から注意と指導が入る程だった。



 ある日のよく晴れた昼休み。

 百合子はクラスメートの大森恵おおもりめぐみ福峰ふくみねいづみの三人で、コの字型の第一校舎の窪み部分にある中庭で雑談していた。

 二年生の誰と誰とが付き合っているらしい、誰は誰が好きらしいなどという話題で盛り上がっていると、一番熱心に噂を口にしていたがふと真顔になり、


「ところで百合子さあ、うち前から気になってたんだけど」


「うん?」


「あんたぶっちゃけ、日之山保ひのやまたもつとはどうなのよ?」


「……は? え!?」


 全く予想していなかった質問内容に、百合子は面食らった。保とは一年時から同じクラスで、あくまでも友人として仲のいい男子だ。


「そうそう、わたしも気になってたんだよ!」


 ニヤリと笑ういづみの隣で、恵も興奮気味に同調し、クイッと赤縁眼鏡を指で押し上げた。


「百合子ちゃん、他の男子とは用がある時以外に喋ったりしないのに、日之山君相手だと違うものね!」


「あ、あのねえ……」


「あ、噂をすれば!」


 いづみが顎で示した先には、第一校舎の中庭に面する二箇所の出入り口を繋ぐコンクリートの通路を歩く保だった。


「何処行くのかな」


「校庭側から出て来たし、教室戻るんじゃない?」いづみは百合子にチラリと振り向いた。「呼んでみるぅ?」


「何でよ……」


 保が正門側の出入り口に姿を消すと、恵といづみは体ごと百合子に向き直った。


「で、どうなのよ」


「どうなの? 百合子ちゃん」


「どうもこうも、保とは入学してクラスが一緒になって、席が近かったから話すようになって……それだけだよ。ただの友達」


 百合子の言葉に嘘はなかった。入学当初の教室の席はあいうえお順で、〝日之山〟の後ろが〝星崎〟だった。どちらが先に、何の用で話し掛けたのかは覚えていないが、気付くと気の置けない仲となっており──たまに口喧嘩もするが──それは二年進級時に再び同じクラスになってからも変わらなかった。

 学校外で遊んだ事は今までに一度もないが、学校内では二人だけで行動する事もある。そのため、時々いづみのように勘違いする人間もいるが、百合子にとって保は良き異性の友人で、それ以上でも以下でもない。そしてそれは保も同じはずだ。


「えー、そうなのー? 何だつまんなーい」


「恋愛感情ありなら応援したかったのに」


 いづみと恵は顔を見合わせ、「ねー」と声を揃えた。


「それはどうも。でも、本当に違うからね」


 百合子は念を押しておいたが、友人二人が信じてくれたかどうかはわからなかった。



「何か耳鳴りがするんだけど」


 いづみが両耳を押さえながらそう訴えたのは、中庭から校舎内に戻り、後方のドアから教室に入った直後だった。


「耳鳴りって、キーンって感じの?」


 いづみは恵の問いには答えなかった──いや、答える余裕がなかったと言うべきだろうか。足がフラつき、両耳を押さえたまま苦しそうに顔をしかめてその場に蹲ってしまった。


「いづみ!?」


「いづみちゃん!?」


 百合子と恵はしゃがみ込むと、いづみの体に手を伸ばした。


「どうしたの!?」


「な、んか……貧血、起こした……」


「保健室行こう」百合子はすぐに立ち上がった。「恵、手伝って」


「貧血だって?」


「大丈夫!?」


 近くにいたクラスメートたちが様子を伺いながら集まって来た。


「いいよ、俺が連れて行く」


 クラス一背が高く筋肉質な松野まつのが名乗り出た。百合子と恵は、いづみに声を掛けながらゆっくり立ち上がらせると、松野が背負いやすいように手伝った。


「じゃ、ちょっくら言ってくるわ」


 百合子は頷いた。「有難う、松野君。お願いね」


「おっ、流石は松野、柔道部期待の星!」


 教室前方から様子を伺っていた熊井がどこかからかうような響きで言うと、一緒に談笑していた別のクラスの男子たちの間で小さな笑いが起こった。松野は小さく手を挙げて応えると教室を出てゆき、彼と仲のいい二人の男子生徒がドアを出て少しの所まで見送った。


 ──呑気な奴。


 百合子は完全に他人事な熊井たちに怒りを覚え、何事もなかったかのように再び談笑を始めた彼らを睨み付けた。

 直後、いづみたちと入れ違いで、保と絵美子が一緒に入って来た。


 ──あれ、そういえばあいつ、いなかったか。


「本当に大丈夫か?」


「ええ、有難う」


 保は絵美子を気遣うように、彼女が自分の席に着くまでそばにいた。


「あれ、何だよ日之山ぁ! お前望月さんと一緒だったのかよ! いつの間に仲良くなってんじゃん?」


 目ざとく気付いた熊井がからかうと、百合子の苛立ちは更に増した。


 ──少しは黙ってろ、ボケ。


「階段の途中で会ったんだよ」保は特に気にした様子も見せず、自分の席に戻りながら普段通りの口調で答えた。「耳鳴りが酷いって言うからさ」


「耳鳴り? いづみちゃんと同じだわ。しかも貧血まで起こしちゃったから、今、松野君が保健室に連れて行ってくれたの」


 恵が言うと保はこちらに振り向き、


「ああ、すぐそこですれ違って聞いた」


 百合子は何気なく絵美子を見やった。具合が悪いせいなのか、俯きがちで、何となく顔色が優れないように見えた。

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