第3話
食事を終えたリナ(仮の名として、俺は便宜上そう呼ぶことにした)は、満腹感と暖かさからか、船を漕ぎ始めていた。
極度の緊張と長期間の飢餓状態から解放され、限界が来たのだろう。
「寝室へ行くぞ」
俺が抱き上げようとすると、彼女は慌てて首を振った。
「そ、そんな! 歩けます。それに……これ以上、殿下の手を汚すわけには……」
「黙れ。お前の足は凍傷で感覚がないはずだ。無理をして壊死(えし)させたいのか?」
有無を言わさず抱き上げると、彼女はまた小さく身を縮こまらせた。その反応がいちいち、俺の神経を逆撫でする。
恐怖による従順など、俺は求めていない。
用意させた客室――といっても、この領主の館で最も日当たりが良く、警備が厳重な部屋――に入り、俺は彼女を天蓋(てんがい)付きの巨大なベッドに下ろした。
「あ、あの……」
「なんだ」
「……床は、どこでしょうか?」
リナは真顔で部屋の隅を見渡していた。
俺は眉間を押さえたくなるのを堪(こら)える。
「なぜ床を探す」
「え……? 奴隷は、床か小屋で寝るものだと……ベッドなんて使ったら、殺されます」
彼女の瞳に嘘はない。それが彼女にとっての「世界の理(ことわり)」なのだ。
俺は低い声で告げた。
「ここでは俺が法だ。俺がベッドで寝ろと言えば、そこが寝床になる。わかったか」
「は、はい……!」
リナは恐る恐る、最高級の羽毛布団の上に座った。まるで薄氷の上にいるかのような緊張ぶりだ。
「横になる前に、少し肌を見せろ」
「……え?」
「治療だ。凍傷だけじゃないだろう。体中、血の匂いがする」
風呂に入ったとはいえ、こびりついた傷の痛みまでは消えていないはずだ。
リナは一瞬、躊躇(ためら)いを見せたが、諦めたように震える指でドレスの背中の紐を解き、肩から布を滑らせた。
――瞬間、俺の全身から魔力が噴き出した。
バリバリバリッ!!
部屋の窓ガラスが振動し、花瓶の水が一瞬で凍りつく。
「ッ……!?」
リナが悲鳴を上げそうになるのを、俺は理性で何とか抑え込んだ。
だが、視界が赤く染まるほどの激怒はどうしようもなかった。
彼女の白い背中は、無残な地図になっていた。
鞭(ムチ)による蚯蚓腫(みみずば)れ。焼き鏝(ごて)を押し当てられた火傷の痕。刃物による切り傷。
古い傷の上に新しい傷が重なり、肌の本来の色が見えないほどだ。
これは「折檻」や「罰」ではない。明確な「拷問」であり、憂さ晴らしの破壊行為だ。
(……殺す)
思考が単純化する。
この傷をつけた者たちを、一族郎党、根絶やしにする。それも、ただでは殺さない。彼女が味わった苦しみの千倍を与えてからだ。
「……汚い、ですよね……」
背中を向けたまま、リナが消え入りそうな声で言った。
「ご主人様……いえ、前の家の家族は、私を殴るのが日課でした。私が魔力を持たない『無能』だから、生きている価値がないと……」
「……そうか」
俺は努めて穏やかな声を出し、彼女の背中に掌(てのひら)をかざした。
無能? こいつらが?
(節穴どころの話ではないな。これは……)
傷跡の奥底に、奇妙な紋様が見える。
「封印」だ。
彼女の莫大な魔力が外部に漏れないよう、何者かが呪術的な封印を施している。その副作用で、彼女は魔力を使えないように見えていただけだ。
しかも、この封印は術者の魔力を吸い取るようにできている。彼女が弱っていたのは、食事を与えられなかったからだけではない。生命力そのものを削り取られていたのだ。
この封印を解くのは骨が折れそうだが、まずは外傷だ。
「熱くなるぞ。驚くなよ」
俺は国家予算レベルの超高純度マナポーションを惜しげもなく取り出し、傷口に振りかけた上で、最高位の治癒魔法を発動させた。
カッ、と部屋が光に包まれる。
「あ、ぁ……っ!」
リナの背中から黒い煙のようなものが昇り、傷が見る見るうちに塞がっていく。
数年分の古傷さえも、俺の魔力による強制的な細胞再生によって消滅していく。
数分後。
そこには、雪原のように白く滑らかな背中だけがあった。
「嘘……痛く、ない……」
リナが自分の体を抱きしめ、信じられないという顔をしている。
慢性的な激痛から解放された彼女の顔に、初めて安堵の色が浮かんだ。
「今日はもう眠れ。明日になれば、もっと良くなっている」
「……殿下は、魔法使い様なのですか?」
「ああ。世界で一番強いな」
子供にするような言い方で答えると、リナはふっと小さく笑った。
ほんの一瞬だったが、それは花が咲いたように美しかった。
「ありがとうございます……おやすみなさい、アレクセイ様」
彼女は糸が切れたように倒れ込み、泥のように深い眠りに落ちた。
俺は布団を肩まで掛けてやり、その寝顔をしばらく見つめていた。
そして、静かに部屋を出る。
扉を閉めた瞬間、俺の表情から一切の感情が消え失せた。
「……影」
俺が虚空に呼びかけると、黒装束の男が音もなく跪(ひざまず)いた。俺直属の諜報部隊だ。
「あいつの『実家』を特定しろ。家族構成、資産、交友関係、過去の悪事……すべてだ」
「はっ」
「特に、あいつの背中に封印を刻んだ魔術師を見つけ出せ。そいつの手足は俺が直接もぐ」
廊下の空気がピキピキと凍りつき、氷柱が下がる。
「『処分』の準備を始めるぞ。俺の宝石に傷をつけた罪の重さを、たっぷりと教えてやる」
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『呪われた怪物皇子』と恐れられる俺が、路地裏で震える「石ころ」を拾った結果 ~実は世界を救う「宝石(聖女)」だった彼女を溺愛したら、彼女を捨てた祖国が滅びかけた件~ kuni @trainweek005050
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