世界一の暗殺者、未来から来た「嫁(5歳)」に懐かれる 〜死にたくなければ、パパになって足を洗え〜

サボテンマン

第1話 暗殺者の足にしがみついた「嫁」

 酸性雨がネオンの光を乱反射させ、路地裏のアスファルトをどす黒く染めていた。  レンは愛銃の熱が冷めるのを待たず、コートの襟を立てて歩き出す。標的の心臓を撃ち抜いてから、わずか三分。二十二世紀の東京、その片隅に位置する「特別隔離区」において、死体のひとつやふたつはゴミと同義だ。


「……終わった。これより帰投する」


 耳の裏に埋め込まれた通信チップに呟き、レンは足早に闇を抜ける。  

 

 人殺しに明日はない。あるのは、今日という日を生き延びたという、不快な充足感だけだ。


 だが、その歩みは不意に止められた。  ゴミ箱の影から飛び出してきた小さな影が、レンの左足に全力でしがみついたからだ。


「……なんだ、ガキか」


 レンは即座に腰のナイフに手をかけたが、相手のあまりの小ささに動きを止めた。  銀色の髪を雨に濡らした、五歳かそこらの少女だ。ボロボロのワンピースを着た彼女は、震える手でレンのズボンを握りしめ、顔を上げた。


「……やっと、見つけた」


 震える声だった。だが、その瞳には奇妙なほど強い意志が宿っている。  

 少女は大きな瞳から涙をこぼしながら、レンに向かってこう言った。


「パパ……! 会いたかった、パパ!」


 レンの脳内に、身に覚えのない記憶を検索する回路が走る。だが、どれだけ探しても、自分に子供がいるなどという事実は出てこない。そもそも、女と深い仲になったことさえ、ここ数年は一度もない。


「人違いだ。俺に子供はいない」


 冷たく言い放ち、レンはその手を振り払おうとする。しかし、少女はさらに力を込めてしがみついてきた。


「間違えてないわ。レン……レン・カシマ。識別番号はAX-0941。好きなコーヒーはブラジル産の深煎り。一分前の狙撃、三発撃つつもりで二発にしたでしょう? 三発目は、標的の背後にいた無関係な子供を巻き込むから」


 レンの背筋に、氷のような戦慄が走った。  


 本名も、組織の識別番号も、そして数分前の暗殺の細かなディテールも。それは、この世の誰一人として知るはずのない情報だ。


「……お前、何者だ。どこの組織の回し者だ」


 レンは少女の首元にナイフを突きつける。だが、少女は怯えるどころか、悲しげに微笑んだ。


「今は、ただのミーナ。……信じられないのは無理もないわ。でも、今のあなたに選択肢はないの。三秒後、右のビルの三階からスナイパーが狙ってくる。……伏せて!」


 反射的だった。レンは少女を抱きかかえ、濡れた地面に転がった。  直後、レンの頭があった場所を、音もなく高エネルギーのレーザー弾が通り抜けた。


「……ッ!?」


「次、左の角からドローンが二機来るわ。パパ、予備の電磁グレネードを二個、同時に起爆させて!」


 少女――ミーナの言葉には、迷いも狂いもなかった。  

 レンは混乱した頭のまま、彼女の指示通りに装備を起動する。


 死の雨を潜り抜け、レンが彼女を連れて自分の隠れ家に逃げ込んだのは、それから一時間後のことだった。


 狭いワンルーム。埃っぽい空気の中で、ミーナは当然のようにソファに座り、濡れた服を脱ぎ始めた。


「言ったでしょ、パパ。あなたの死ぬ運命を書き換えに来たって」


 小さな背中を見せながら、彼女はレンを振り返る。その表情は、幼い子供のそれではない。どこか慈愛に満ちた、大人の女性の眼差しだった。


「これから忙しくなるわよ。……覚悟してね、旦那様」


 暗殺者の平穏は、唐突に、そして決定的に崩れ去った。

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