決闘調整局
ひろ紙
決闘調整局
窓のない部屋に、淡い白色光が満ちていた。壁も机も床も、すべて均一な白色で塗られている。私は白い制服を着て、机の前に座り、今日も申請書を処理していた。
目の前のスクリーンには、今日の申請が表示されていた。
【申請番号】2777-7342-11
【申請者】A居住区住人(42歳・男性)
【相手方】A居住区住人(38歳・女性)
【争点】A居住区共用庭園の「夕日の見えるベンチ」の優先使用権
【申請者の要求】毎日午後5時から7時まで、対象のベンチを相手方よりも優先して使用する権利
【相手方の反論】自身も同時間帯に対象のベンチを使用したい
【提案決闘方法】チェスによる対局
【備考】両者ともチェスの経験は初級者レベル
チェスの実力が同等であることを確認する対戦データが添付されていた。公平性の審査に問題はなさそうだ。私は承認ボタンを押した。
科学技術の飛躍的発展によって、世界はかつてない豊かさを手に入れた。エネルギー問題は解決し、物資は無尽蔵に近いほど生産されるようになった。生活は保証されているため、誰もが好きなことだけをして生きてよい。嫌なこと、勉強や、仕事、対人関係のわずらわしさ、すべて放棄する自由が保証されていた。
社会制度を維持するための職員は適性検査と志願制によって選ばれる。どれも高い倍率を誇るが、その中で最も人気のあるのが、治安維持省における決闘調整局だ。
そう、好きなことをする自由があるといって、自由同士が衝突した場合は別である。同じ土地を使いたい。同じ資源を独占したい。同じ人と暮らしたい。同じ静寂を保ちたい。各人の自由を尊重する以上、衝突は避けられない。
どちらを優先するかは、決闘で決める。それが、この社会のルールだった。
私は決闘審査官になるための難関を突破し、日々誇りを持って働いている。
次の申請は多対一のケースだった。
【申請番号】2777-7342-12
【申請者】B居住区在住の居住者集団(7名)
【対象者】B居住区在住の音楽家(31歳・男性)
【争点】夜間の作曲活動による騒音問題
【提案決闘方法】7名対1名の料理対決
7名の中には、料理人も複数人いたため、私は適切なハンディキャップを設定した。音楽家には調理補助ロボットの使用を認める。
三日後、私は自分が承認したこの決闘を視察した。会場では、音楽家が当局から貸与されたロボットを冷静に操作し、丁寧に料理を仕上げていった。一方、7名の住民側は、複数いる料理人の主導権争いになり、まとまりがつかず、結局中途半端な味の料理を出した。
結果は、音楽家の勝利となった。彼は夜間の作曲活動を継続する権利を手に入れた。
7名の敗者たちは、何も言わずに去っていった。これがルールだ。決闘の結果には従う。
見物人の老年の男性が、呟いた。
「昔はな…話し合って時間を決められたものだ…」
すると、彼の隣にいた女性がたしなめた。
「黙りなさい。それで大変なことになったのは知っているでしょう」
私はその会話を聞きながら、歴史資料の一節を思い出していた。
『大調整時代中期、第73地区にて「夜間静穏化委員会」が結成される。委員会は話し合いを重ね、夜間の騒音規制案を作成。同意しない住民に対して、社会的圧力、資産凍結、最終的には居住権剥奪を実行。委員会内部でも方針を巡って分裂、過激派が実力行使に…』
そんな事を考えていると、業務用端末が緊急アラームを鳴らした。
「A地区、裏路地にて闇決闘の通報。至急、現場判断の指示を乞う」
端末のモニターには、古いビルの裏路地が映し出され、そこには二人の男と、それを取り囲む数人の観客がいた。男たちは、殺傷能力のない決闘用武器ではなく、どこからか持ち込んだ錆びた鉄パイプを握りしめていた。額からは血を流している。
「やめなさい。当局の許可のない決闘は重罪です」
周囲をパトロールしていた治安維持ロボットが警告を発する。
その声に、男の一人が血走った目で叫んだ。
「許可なんて待っていられるか。こいつは俺の女に手を出したんだ。今すぐここで、どっちが真の所有者か決めなきゃ気が済まないんだよ」
「その問題は、昨日の段階で『詩の朗読対決』による決闘をすることに、あなたも合意していたはずです」
治安維持ロボットが該当の決闘申込書をモニターに提示すると、もう一人の男が吐き捨てた。「詩なんて書いてられるか。どっちが強いか、今ここで血を流して決める。それが自然だろう」
決闘とはいえ、方法は無制限ではない。例えば、殴り合いのような、死の危険をはらむ決闘方法は禁止されている。彼らは理解していないのだ。暴力を認めてしまうと、負けた側に「怨恨」という強い毒を残し、それは平和な社会への大いなる脅威となりうる。それを防ぐために、当局は「適切なハンディキャップ」と「平和的な勝負」を介在させる。言うまでもなく、これを完全に実現できるのは国家だけだ。
私が合図を送ると、治安維持ロボットから麻酔弾が放たれ、男たちは崩れ落ちた。
「無許可決闘の現行犯です。決闘管理法17条違反により、両名を矯正施設へ」
男たちの手からこぼれ落ちた、血のついた鉄パイプを私は冷ややかに見つめた。調整局を通さない決着は、ただの野蛮な殺戮に過ぎない。
闇決闘の摘発を終えて局に戻ると、上司が待っていた。
「申請番号2777-7342-20を見たか。制度そのものの廃止を求める、不届きな内容だ」
【申請番号】2777-7342-20
【申請者】A居住区住人(18歳・女性)
【対象者】決闘調整局
【争点】決闘制度そのものの正当性
【申請者の要求】決闘制度の廃止と「相互譲歩による紛争解決協議会」の設立
【提案決闘方法】公開討論(審査員は無作為に選ばれた市民100名)
「これは、規則第3条違反で棄却すべきです」
「その通りだ」上司はうなずいた。決闘制度そのものや、決闘調整局の審判への異義は認められていない。
この制度が確立される前の時代を、私たちは学校で学んでいる。人々は「話し合い」や「相互理解」という名目で、果てしない議論を繰り返していた。
お互いの妥協点を模索する「分け合い派」の人々は、美しい理想を語る。しかし話し合いが決裂した時は悲惨だった。世論操作、仲間割れ、密告、社会的排除。そして最終的には、暴力だ。
二十世紀から二十一世紀まで、戦争、粛清の嵐が世界規模で幾度も起こった。すべては「話し合い」が失敗した結果だった。国家間の交渉が決裂し、経済制裁が効かず、最後には銃口を向け合ったのだ。
特に二十二世紀初頭には、どんなことでも、話し合い、分かち合うという思想が蔓延し、今日では「大調整時代」と呼ばれている。公式記録では、その期間に人口の2割近くが「思想の不一致」によって命を落とした。非公式の推計では4割を超えるとも言われている。
個人レベルでも同じだった。裁判は何年も引き延ばされ、弁護士だけが肥え太る。感情的対立は世代を超えて続き、復讐の連鎖が止まらなかった。
決闘制度は、その愚かさを終わらせるために生まれた。明確なルール、事前の公平性審査、速やかな決着。負けた者は要求を完全に放棄する。これ以上に平和でクリーンな解決法があるだろうか。
「彼らは学んでいない」上司は静かに言った。「人間は、自分が100持てる可能性があるなら、99で満足することなどできない。完全な合意など幻想だ。最終的には力ずくで押し通すしかない。ならば、最初から公平なルールの下で力ずくで決める方が、ずっとましだ」
私は黙って頷いた。言うまでもない、自明なことだ。だが、時々こうして自らの使命を確認をすることで、より崇高な職責を感じることができる。
一息入れるために外へ出ると、ちょうど夕日が沈みかけていた。通りがかった共用庭園の「夕日の見えるベンチ」には、チェス決闘の勝者である男性が座っていた。彼は規則に従い、午後5時から7時までベンチを独占している。
ベンチの近くを通り過ぎる女性、決闘で負けた方は、視線を逸らして速足で去っていく。内心の不満はあれど、決闘の結果を尊重する。これが秩序だ。
もし話し合いで時間を分け合ったらどうなったか。 最初はうまくいくかもしれない。しかし、どちらかが少しでも時間をオーバーしたり、 約束を破ったら、 そこから不信が生まれ、やがてはまた争いになる。そのことは嫌と言うほど歴史が証明しているではないか。
自室に戻り、私は明日の申請書類に目を通した。その中に、興味深いケースがあった。
【申請番号】2777-7342-32
【申請者】歴史研究者(72歳)
【対象者】教育省
【争点】初等教育における歴史教科書の記述
【申請者の要求】大調整時代の「話し合い運動」について、より史実に即した肯定的な記述の追加
【提案決闘方法】歴史史料に基づく論文審査(専門家審査員5名)
私は却下理由を入力し始めた。「申請内容は、実証された歴史的事実の歪曲を求めるものであり、決闘による審査の対象とするには不適切である」
ふと、私は子供時代の記憶を思い出した。学校の歴史の授業で、大調整時代の凄惨な映像を視聴したときのことだ。
教師が言った。「彼らのいう『分け合い』が、なぜこのような結果を生んだと思いますか」
クラスメートの一人が答えた。「人間は完璧じゃないからです」
「その通り」教師はうなずいた。「不完全な人間が、完璧な合意を求めるのは無理です。だから、不完全ながらも最も公平な方法、決闘が必要なのです」
その後、画面には別の映像が映った。整然とした現代の街並みだ。
「決闘制度確立後、紛争解決時間は平均97%短縮。決闘関連死者数は、大調整時代の紛争死者数の0.3%に激減。社会的不満の蓄積指数も、歴史的最低水準を維持…」
人間は完璧じゃない、あの時は深く考えなかった。しかし今、審査官として働く私には、その言葉の重みがわかる。
次の日、上司が私を呼んだ。部屋には年老いた男が、上司の机の前に座っていた。何かを諦めたような顔をしている。彼も白い服を着ていたが、それは調整局の制服ではなく、ただの白いスーツだった。
「こちらが、2777-7342-32の申請者だ。十年前まで、決闘局の職員をしていた」上司が淡々と言った。
男は何か諦めたような、疲れた顔をしていた。
「調査してみたら、彼はある『分け合い派』結社のメンバーであることを認めた。こちらからは、結社の情報提供と引き換えに、不起訴にすることを提案している」
決闘制度を否定する「分け合い派」の中には、実力行使をいとわないテログループも存在するため、当局の監視対象になっている。
男は目を閉じて、私に問いかけた。「一つ教えて下さい。あなたはこの制度が完璧だと思いますか。 本当に人道的で、公平だと思いますか」
「決闘は最も公正な方法です」私は迷いなく答えた。「限りなく力の差がなくなるよう、適切なハンディキャップが公平に設定され、勝敗が明確につけられます。その後は一切の争いがなくなります」
「公平に設定ね」男は口を歪めて続けた。「あなた達はわかっていない。決闘で公平に決められるのは、『誰がより欲しいか』ではなく、『誰が決闘に勝つ能力があるか』です。欲しいという気持ちの強さと、決闘に勝つ能力は別物です」
私は何も答えなかった。この議論は何度も聞いている。
「あなたは毎日、人々の争いを処理しています」男は続けた。「夕日のベンチ、犬の散歩道、どこに住むか…これらは本当に決闘で決めるべきことでしょうか。話し合って、時間を、気持ちを分け合うことはできないのでしょうか」
上司が静かに言った。「話し合いは不確実だ。永遠に続くかもしれない。決闘はすっきりと終わる」
「すっきりと終わるでしょうか」男の声に熱がこもった。「負けた者は完全に要求を放棄しなければならない。それで心の中のわだかまりも消えるでしょうか。完全に白黒つける社会のどこかに、無念の思いを蓄積させているのではありませんか」男は私を見つめた。「あなたはどう思います。本当にこれでいいのですか」
私は少し考えて、こう答えた。「他により良い方法があるなら、教えてください。歴史が示しているように、話し合いだけでは解決しないことが多すぎます」
男は深く息を吸った。「時間はかかるかもしれません。でも、分け合うこと。譲り合うこと。それが人間の本来の姿ではないでしょうか」
「人間の本来の姿は、際限ない欲望だ」上司が立ち上がった。「討論は終わりだ。あなたは情報を提供し、その後は静かに暮らすことを許される。もう二度と、制度を否定する活動をしてはならない」
男はうなだれながら、力なく立ち上がった。警備ロボットに連れて行かれる去り際に、私に一言言った。
「あなただって、少しずつ心に溜まっていく割り切れないものがあるでしょう。それがあふれる時、この制度が本当に公平だったと思えるでしょうか」
男が去った後、部屋に残った静寂を破るように、上司がため息をついた。「哀れな男だ。真面目な職員だったが、ある決闘がきっかけで精神のバランスを崩した」
「どんな決闘でしょうか」
「妻と離婚問題で争い、決闘で負けた。子供との面会権を完全に失った彼は、以来、制度を恨むようになった」
「そうでしたか」
「人間は感情に流されるのだ」上司は独り言のように呟いた。「感情に流されてしまうからこそ、我々は機械のように公平でなければならない。さもなければ、この社会は崩壊する」
数日後、私は共用庭園で、あのベンチを巡る隣人二人と偶然会った。男性がベンチに座り、女性が少し離れた場所に立っている。
女性が私に話しかけてきた。「審査官さん、聞いてください。彼が昨日、時間を15分もオーバーしたんです」
男性が立ち上がって反論する。「たった15分だ。天気が良くて、つい」
私は端末を操作して、静かに言った。
「過去の違反履歴はありませんから、今回は警告のみです。次は決闘で得た権利の剥奪になりますよ」
そう告げると、男性は女性に頭を下げ、肩を落として去っていった。
その姿を見ながら、私は元職員のあの男の言ったことを思い返していた。
確かにこの制度は完璧ではない。だが、人間が完璧ではない以上、制度だけ完璧なものを作ることはできない。
また、あの男は、大切なことに気づいていない。
決闘は「救済」ではなく「切断」なのだ。本質的には、納得など必要ない。必要なのは、議論を強制的に終了させる鋭利な正義の剣だ。
人類が「分け合い」という名の呪いから解き放たれ、この穏やかな静寂が保たれるのであれば、私の心に溜まるわずかな澱など、安い代償ではないか。
私は襟を正し、次の申請書の承認印を押した。この音が響くたび、世界からまた一つ、争いの種が消えていく。
決闘調整局 ひろ紙 @hirokami
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