第4話

​「最も滑稽で、最も不潔な願望の核心について、語り始める時が来た。

​ それは、愛。あるいは性愛。あるいは、人間の魂が肉体という不条理を越えて他者と融合しようとする、あの身悶えするような『欲望』の正体についてだ。

​ まずはこの場において、美や肉体という、君たちが最も忌避し、最も無機質な記号へと変換しようとしている概念を、生々しく、血の通った言葉として奪い返さねばならない。

​ 本来、他者を愛する、あるいは他者に欲情するということは、自らの肉体を、全宇宙という名の暗闇に無防備に晒す、命がけの跳躍であったはずだ。そこには、相手の肉体が放つ抗いがたい芳香があり、指先が触れ合った瞬間に走る、戦慄すべき電気的な拒絶がある。愛とは、自分ではない他者の肉体が持つ『絶対的な他者性』、すなわち、自分の思い通りには決して動かぬ、自分を傷つけ、自分を否定しうる、あの強固な物質性との絶望的な格闘である!

​肉体とは、呪いであり、同時に唯一の真実だ。

​老い、病み、汗をかき、醜く歪み、それでもなお、その不完全な肉体という檻の中から、他者の肉体へと手を伸ばそうとする。その、滑稽なまでの、そして高貴なまでの『執着』。その摩擦の中にこそ、人間の生という名の、一瞬の、しかし永遠の火花が宿る。

 ​しかし、諸君はどうだ。

​ 諸君らは、肉体を憎んでいる。自分の肉体が放つ生臭さを恐れ、他者の肉体が持つ、自分を拒絶しうる重みを、病的に忌避している。だから、最も安全で、最も冷淡なフィルターを通した、記号化された美しか愛することができない。

​ 諸君らが異世界に夢見ている『愛』とは、何だ。

​それは、肉体のない愛だ。それは、他者のない性愛だ。それは、傷つくリスクを徹底的に排除した、精神の近親相姦である。

​ 美しさとは、崩壊の淵に立ちながら、それでもなお自分を貫こうとする、その肉体の『綻び』の中に宿るものだ。

 ​諸君らは、他者の肉体が怖いのだ。

​ 他者の肌の温度が、他者の心臓の鼓動が、自分という脆弱な自意識を粉々に砕いてしまうことを、死ぬよりも恐れている。愛とは、相手の前に、自らの無力さと、自らの醜悪さを、余すところなく晒すことだ。その恥辱の極北において、初めて魂と魂は、一瞬だけ、触れ合うことができる。

​ だが、諸君らは、その恥辱をショートカットした。

​ 諸君らがその『異世界』という名の精神的自慰室において、最も愛用し、最も依存している、あの『愛玩化された異性』という名の記号の正体を、微塵切りにしてやろう。

​ 見てみたまえ。諸君らの脳内で都合よく再生される彼女たちの、その吐き気を催すような『無菌性』を!

​ エルフであれ、騎士であれ、聖女であれ。彼女たちは、共通して一つの、極めて重大な欠落を抱えている。それは、『反論する意志』の完全なる抹殺である。

​ 諸君。本来、愛とは、自分とは全く異なる、強固な自意識を持った『敵』との遭遇であった。他者とは、自分の思い通りには動かぬものだ。自分が望まぬ時に沈黙し、自分が求めた時に拒絶し、自分が最も触れてほしくない傷口を、容赦のない言葉で抉り出す。それが他者だ。それが人間だ!

​ しかし、諸兄らがその物語の中で侍らせている彼女たちは、どうだ。

​ 従順。

 無条件の好意。

 そして、諸君の存在そのものに対する、絶対的な肯定。

 ​笑わせるな! それは愛ではない。それは、ただの奴隷だ。

 ​それは諸君の『こう言われたい』という願望が、物語という名の反響板を介して戻ってきた、空虚なエコーだ。貴様らは、他者を愛しているのではない。他者の姿を借りた『自分への称賛』を、鏡の前で一人、貪り食っているだけなのだ!

​ 反論しない。拒絶しない。疑わない。

​ この『無菌化された他者性』。これこそが、貴様らがこの現実において、一人の人間とも向き合えなくなった、最大の原因である。

​現実の人間は、面倒だ。現実の人間は、金がかかり、時間がかかり、そして何より、こちらの自尊心をズタズタに切り裂いてくる。だから貴様らは、その『摩擦』から逃げ出した。そして、あらかじめ調教された、沈黙する異性たちの群れに、魂を売り渡したのだ。

 ​それは、死体愛好と何が違うというのか!

​ 魂の衝突を、肉体の拒絶を、そして分かり合えぬ絶望を。それらすべてを削ぎ落とした先に残るもの。それは、愛などではない。それは、ただの『処理可能なデータ』だ。諸君らは、他者の肉体を求めているのではない。自分を傷つけない『安全な風景』を、ハーレムという名のパノラマ写真として眺めているだけなのだ。

 ​自分という名の独房の中で、他人が描いた『都合のいい恋人』を壁に貼り付け、それを抱きしめて泣いている。だが、その壁は冷たい。その抱擁には、重みがない。なぜなら、そこには諸君を『嫌う自由』を持った人間が、一人もいないからだ。

 私は諸君らを嫌っている。​嘲笑い、諸君を『不快だ』と切り捨てる権利を持った、本物の、生きている他者だ。」

​(話者は、演台に置いた小説を、裏拳で無造作に、しかし激しく叩き落とした。)

​「諸君らがその『異世界』という名の、無菌化された精神的自慰室において、ヒロインと称される人形たちに囲まれているとき、その光景を支えている唯一の、そして最も醜悪な支柱について語ろう。

​それは、『欲望に責任を持たない関係』だ。

​ 本来、この地上において、一人の人間を欲し、一人の人間を愛するということは、その相手の『全人格』を、その過去も、その業も、その老いも、その理不尽なまでの自意識も、すべて丸ごと引き受けるという、途方もない『責任』を背負うことと同義であったはずだ。

​ 他者を愛するとは、相手の瞳に映る自分の醜さに耐え、相手の言葉によって自らの自尊心が切り刻まれるリスクを冒し、それでもなお、相手の『不自由さ』を愛おしむという、地獄のような自己犠牲の果てにようやく成立する奇跡なのだ。

​ しかし、諸君らがその物語の中で享受している『愛』はどうだ。

​ そこには、責任がない。そこには、代償がない。

 諸君らの前に差し出される異性たちは、諸君らの都合に合わせて現れ、欲望に合わせて微笑み、飽きれば背景へと退いていく。彼女たちには、君たちを困らせる『生活』がない。絶望させる『裏切り』がない。失望させる『肉体の衰え』さえ、設定という名の防腐剤によって、永遠に隠蔽されている。

​ 笑わせるな! それは愛ではない。それは『消費』だ。

​ 他者の姿を借りた『自分を肯定するための燃料』を、ただ消費しているだけなのだ。その燃料が切れれば、また別の『ヒロイン』とやらに乗り換える。そこには、積み重ねられる歴史も、深まるはずの絆も存在しない。あるのは、ただ、自尊心を一時的に満たすための、記号の交換だけだ。

 ​責任を伴わぬ欲望は、生命を堕落させる。相手を、自分の思い通りに動く『人形』へと貶めることは、同時に、自分自身をも『人形の持ち主』という、孤独な虚像へと変質させることに他ならない。

他者と関わることの苦痛から逃げ出した。他者の肉体が放つ、あの制御不能なエネルギーに曝されることを恐れた。だから、あらかじめ毒を抜かれ、牙を折られ、自分に奉仕することだけを運命づけられた『設定の剥製』たちを、楽園の住人として迎え入れたのだ。

​ 他者を自分の欲望の付属品に変え、自らもまた、その付属品の持ち主に成り下がった、その魂の怠惰を嫌悪する。

​ 聴け。他者の重みを、その不自由さを、その愛おしき理不尽さを渇望するはずの『魂の飢え』が、暗闇で上げる絶望的な呻き声だ。諸君らは、自分という名の唯一の窓を閉ざし、他人が用意した、傷つかない、汚れない、決して死なない、沈黙する異性たちの幻影を抱きしめているのだ。

​ さあ、その『人形たちの楽園』という名の、不潔な虚飾を今すぐ焼き捨てろ。

 ​諸君らは、人間に欲情する勇気がないのだ!

 欲情する。それは、相手の不条理を、相手の肉体が持つ生々しい重みを、そして相手が自分を拒絶し、軽蔑し、裏切る権利を持っているという事実を、丸ごと引き受けることだ!

​ 人間に欲情するとは、傷つくことを前提として、己の全存在を他者という名の深淵へ投げ出す、命がけの蛮勇のことだ。相手が、自分の思い通りにならない『一人の人間』であることを認め、その不自由さを、その勝手さを、その毒を、愛おしむことだ。

​だが、それを捨てた。

​ 他者の肉体が放つ熱を恐れた。他者の言葉が自分の空っぽのプライドを傷つけることを恐れた。だから、設定という名の防腐剤に浸された、絶対に自分を傷つけない、絶対に反論しない、あの『物語の亡霊』たちを、安全な檻の中で愛でることを選んだ。

​それは愛ではない。それは、ただの臆病者の自慰だ!

​ 自分を拒絶する力を持たぬ者を、いくら愛でたところで、そこに何の生命の躍動がある。

 自分の意志を持たぬ人形に、いくら欲情したところで、そこに何の美がある。

​ 諸君らは、他者の『他者性』から、完全に逃げ出したのだ。

​『可愛いから好きだ』。

『優しいから好きだ』。

『自分を全肯定してくれるから好きだ』。

​ 笑わせるな。それは、自分にとって都合のいい『機能』を愛しているに過ぎない。貴様らは、相手が人間であることを、心の底から憎んでいるのだ。相手に感情があり、歴史があり、そして自分を拒絶する自由があることを、貴様らは一瞬たりとも許容できない。

​ だから、異世界へ行く。

 だから、設定の奴隷を買い占める。

​ 人間を愛する勇気がないから、人間ではない記号に、その去勢された欲望をなすりつけているだけなのだ。その姿の、なんと惨めで、なんと不潔なことか!」

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