第2話
「諸君が『異世界転生』という名の阿片窟に、自らの魂を切り売りしてまで求めているもの。その核にある醜悪な願望について、さらに深く、容赦なく踏み込んでいく。
まず、この三つの言葉を、ここで一度思い出さねばならない。
『努力』。
『修練』。
『失敗』。
……どうだ。この言葉を聴くだけで、諸君の胸の奥には、鉛のような重苦しさ、あるいは、古傷を抉られるような不快な疼きが走るのではないか。なぜなら、これら三つの言葉こそが、諸君がその『転生』という名の逃避行によって、最も効率的に、最も卑怯なやり方で、歴史の闇に葬り去ろうとしたものだからだ。
諸君らは、何も積み上げてこなかった。
この現実という名の、最高に不自由で、最高に血生臭い、しかし最高に『手応えのある』戦場において、貴様らは一滴の血も流さず、一筋の汗もかかず今日まで生きながらえてきた。
努力とは、何か。それは、肉体の限界を、精神の極北を、一ミリでも押し広げようとする、孤独で絶望的な格闘だ。そこには、華々しい拍手などない。ただ、暗闇の中で、自分の吐息と、震える筋肉と、自分を裏切り続ける肉体との、果てしない対話があるだけだ。
修練とは、何か。それは、同じ動作を、同じ思考を、何万回、何十万回と繰り返し、自らの魂に『型』を刻み込む行為だ。一振りの剣、一編の詩、一本のネジ。それらを極めるために、人間は自らの有限な時間を、狂ったように注ぎ込む。その注ぎ込まれた時間の質量こそが、人間という存在に、鋼のような硬度と、ダイヤモンドのような輝きを与えるのだ。狂気こそが我々を作る。
しかし、諸君らは努力を憎んでいる。修練を嘲笑っている。なぜなら、それらは『時間がかかる』からだ。それらは『確実な成功を約束しない』からだ。
諸兄らは一秒でも早く、一ミリでも楽に、結果だけを欲しがる。既製品の成功を、コンビニの棚から選ぶようにして手に入れたがっている。自らの手で土を耕し、種を蒔き、嵐に怯えながら実りを待つという、生命の原初的なリズムを、貴様らは『非効率』という名のゴミ箱に投げ捨てた。
そして、『失敗』。これこそが君たちが死ぬほど恐れている怪物だ。
本来、失敗とは、人間が真の自分に出会うための、唯一の門であったはずだ。叩きのめされ、屈辱に震え、自分の小ささを思い知らされる。その瞬間の、あの燃え上がるような恥辱こそが、魂を鍛え上げる唯一の焔となる。失敗を知らぬ人間に、一体何の深みがある。挫折を経験せぬ言葉に、一体何の重みがある。
だが、諸君は傷つくことを拒絶した。
失敗する可能性があるなら、最初から戦わない。恥をかく可能性があるなら、最初から自分を表現しない。そのようにして、貴様らは自らの可能性を一つひとつ去勢し、ついには、何もしていない、何も持っていない、何者でもない『空っぽの殻』になり果てたのだ。
私には見える。この会場を埋め尽くしている、何も積み上げてこなかった者たちの、その透き通るような薄っぺらな身体が。捨てられた可能性の嘆きが。
現実世界で一歩も踏み出さなかった。自分という名の不自由な肉体を、一度も極限まで追い込まなかった。その結果として残ったのは、加齢という名の時間による浸食と、得体の知れぬ焦燥感、そして、自分ではない誰かへの、黒く淀んだ嫉妬だけだ。
諸君。この何も積み上げてこなかったという『事実』。これこそが異世界を欲する、最大の理由なのだ。
自分自身をやり直したいのではない。この何も積み上げてこなかったという『空虚な歴史』を、神の力によって、あるいは設定という名の魔法によって、『勝利の記録』へと書き換えたいのだ。
それは、再生ではない。それは、生命に対する究極の、そして最も恥知らずな詐欺行為である。
諸君らが捨て去った『努力』と『修練』と『失敗』。これらは、自分が人間であることを証明するための、唯一の、最後の三種の神器であったはずだ。それを捨てたら一体何が残る。ただの代謝を繰り返すだけの肉の塊。呼吸をするだけの、無機質な情報の集積。
聴け。この講堂に満ちているのは、死臭だ。何も成さず、何も挑まず、ただ、楽な死を選びたがっている、貴様らの魂が放つ、鼻を突くような腐敗臭だ。私はその臭いを嗅ぎ分ける。私はその腐敗を許さない。
諸君らが異世界の夢を見ている間、現実の時間は、残酷なまでに、無情なまでに、諸君らを置いて過ぎ去っていく。設定で手に入れた強さに酔いしれている間に、本物の筋肉は衰え、本物の瞳は曇り、本物の言葉は死に絶えていくのだ。
(聴衆が居心地悪そうに椅子に座り直す。)
「君たちが夜な夜な脳内で同一化し、その全能感という名の排泄物に身を浸している、あの『主人公』なる記号の正体を、白日の下に晒してみようではないか。
あの主人公たちは、君たち自身ではないか。
何の変哲もない、いや、むしろ現実という名の競争原理から真っ先に脱落した、無気力で、無責任で、無能な、ただの『空虚な器』。それがある日突然命を落とす。そして、次に目覚めた時、彼は何を手にしている。
チート。ああ、なんと甘美で、なんと反吐が出るほど安っぽい響きか!最高に最低だ。
彼は、一本の剣を振るうために何万回と素振りを繰り返したわけではない。彼は、一つの術理を理解するために、図書館の片隅で血の涙を流しながら古文書と格闘したわけでもない。ただ、神を名乗るご都合主義の権化から、全能のカードを授与されただけだ。
レベル、スキル、鑑定、無限の魔力。
これらは、本来であれば、一生をかけても到達できぬ極北の風景であるはずだ。しかし、分身たる主人公は、それを『初期装備』として手に入れる。
諸君、私は問いたい。自らの肉体で勝ち取ったのではない力に、一体何の重みがある。自らの魂が磨り減るような思いで獲得したのではない知恵に、一体何の説得力がある。
君たちが称賛しているのは、英雄ではない。ただの『幸運な受給者』だ。
無条件の成功。
苦難なき勝利。
諸君らは、ただ『屈服させたい』だけだ。自分を否定し、自分を冷笑し、自分を無視してきたこの現実世界への、卑屈な、あまりに卑屈なルサンチマンを、その『理由なき全能感』によって晴らそうとしているのだ。
我々は、そのような去勢された物語を、断じて認めない。
かつての英雄たちは、常に『世界』と戦っていた。しかし、諸君らの主人公は、常に『システム』に甘やかされている。世界は、彼を傷つけるための牙を持たず、ただ、彼のレベルアップのための経験値という名の餌を差し出すだけの、巨大な飼育箱へと成り下がった。
諸君。この無条件の肯定に満ちた世界観。これこそが、貴様らの精神を腐らせる最悪の毒薬だ。
諸君らは、自分が何者でもないという事実を直視する勇気がないから、あらかじめ『王』として定義された舞台を欲している。それは、もはや物語ではない。
諸君らは、ただ単に『強くなりたい』と願っているのではない。ただ単に『成功したい』と夢見ているのでもない。君たちの本質的な、そして最も卑劣な欲望は、その『何もしてこなかったこと』そのものが、あちら側の世界では、あたかも莫大な価値を持つかのように変換される……その、狂った因果律の逆転にある。
現実世界での無能。
現実世界での怠惰。
諸君、私は問いたい。
この地上において、一ミリの努力も積み重ねず、一秒の修練も経ず、ただ漫然と、泥を啜るようにして生きてきた者が、なぜ、あちら側の世界へ行った瞬間に、何十年も血を吐くような思いで剣を振ってきた騎士を凌駕し、一生をかけて真理を追い求めてきた賢者を小馬鹿にすることが許されるのか。
それは、努力に対する冒涜ではないか。
それは、歴史に対する、そして生命の時間に対する、究極の汚辱ではないか。
ルサンチマンを黄金の鎧で包み隠しただけの構造。これこそが、君たちが熱狂している救済の正体だ。『努力した者が報われる』という、この残酷で、しかしこの上なく高潔な世界の理法を、貴様らは憎んでいる。だから、その理法が通用しない、自分のような『無』が、そのまま『全』へと変換されるバグだらけの世界を欲しているのだ。
貴様らは、自分が何者でもないという事実を、最大の武器だと思い込んでいる。何もしていないからこそ、あちらでは何でもできる。何も持っていないからこそ、あちらではすべてが与えられる。その、甘ったれた、腐りきった幼児性!
諸君。かつて我々の祖先は、荒野を切り拓くために、指先を血に染め、爪を剥がしながら、一歩一歩を刻み込んできた。その一歩一歩には、この地球の引力と同じだけの、圧倒的な『生の質量』があった。
だが、貴様らの『凱旋』はどうだ。
それは、風船のように中身のない、ただの薄っぺらな情報の膨張だ。貴様らが異世界の王座に座っているつもりでいる時、その魂は、かつてないほどの軽薄さで、虚空へと散逸している。貴様である必要など、どこにもない。その『現代知識』という名のマニュアルさえあれば、中身が猿であっても、あるいは貴様らのような亡霊であっても、同じ結果が出る。
聴け。この講堂に満ちているのは、沈黙ではない。貴様らが自ら捨て去った、かつての『高貴なる自意識』が、地下深くで上げる、呪いのような呻き声だ。貴様らは、自分自身という名の荒野を耕すことを止め、他人がプログラミングした、誰にでも使い回しができる『最強』のテンプレートに、自らの魂という名の生贄を捧げたのだ。
さあ、その『何もしてこなかった者』を今すぐ火の中に放り込め。
ここにあるのは、貴様を肯定する魔法も、貴様の無能を祝福する神もいない、冷たく、硬く、一歩進むために相応の痛みを要求する、この現実という名の戦場だけだ。」
(話者は、壇上の床を軍靴の踵で強く、より強く、激しく踏み鳴らした。)
「諸君らが『異世界転生』という現象の中に求めているもの。それは、断じて、生命の『救済』などではない。
それは、自らの無為な人生に対する、卑怯な『免罪』である。
救済とは何か。それは、自らの罪を、自らの弱さを、自らの醜さをすべて引き受けた上で、それでもなお、この不条理な現実の中でいかに生きるべきかという、地獄のような葛藤の果てに、一筋の光を掴み取る行為だ。救済には、必ず『代償』が伴う。自らの魂を削り、自らの過去を燃やし、その灰の中から新しい自分を産み落とす、凄まじい肉体的・精神的苦痛を伴うプロセスなのだ。
貴様らは、自分自身という名の、この世で最も難解な、そして最も価値のある負債から、夜逃げしようとしているのだ。その夜逃げを、ファンタジーという名の美しい夜霧で包み隠している。なんと、なんと卑劣なことか!
諸君らの中に渦巻いている、あのドロドロとした、黒く淀んだルサンチマン。
『自分を認めなかった上司、友人』
『自分を愛さなかった異性』
『自分を無視し続けた社会』
それらへの復讐を、貴様らは現実で果たす勇気がない。だから、異世界という名の密室へ逃げ込み、そこで手に入れた『設定』という名の凶器を振り回して、自分を全肯定してくれる傀儡たちを従える。それは、歪んだルサンチマンの、最も醜悪な形での解消だ。
自らの魂を磨くことで他者を振り向かせるのではない。世界そのものを、自分に都合よく書き換える。その傲慢さを、貴様らは『夢』と呼ぶのか。
私は、断言する。そのような免罪符に、一滴の美も、一一片の尊厳も宿りはしない。
君たちが異世界の王座で凱旋しているつもりでいる時、その魂の根底にある『自分が何も成し遂げていない』という真実の恐怖は、決して消え去ることはない。どれほど最強のスキルを手にしようと、貴様らの内側にあるのは、現実から逃げ出したあの日の、震える、卑小な、空っぽの自分そのものだ。逃げ場はないのだ。転生したところで、諸君は自分という名の呪いから、一ミリも逃れることはできない。
まだ気付かないのか。異世界の玉座に座っているつもりか。否、諸君らの実体は、この、自分自身の過去から逃げ出そうとして、自らの魂をドブに捨てた、哀れな殺人者なのだ!」
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