3 白銀の疾風、勝利への方程式

 領主代行バルガスが去った後、銀翼の蹄には重苦しい沈黙が流れていた。その沈黙を切り裂いたのはセリアの冷徹な分析だった。


「バルガスが用意する馬の正体がわかったわ。騎士団が秘匿していた――北方戦線の英雄よ。名はアルカディア。人族の魔力強化を受けた、純白の魔導馬(マギア・ステード)よ」


 セリアが広げた古い羊皮紙には、その馬の記録が記されていた。白雷の異名を持つその馬は、通常の馬の倍近い心肺機能を持ち、さらに乗り手である騎士団長トリスタンの魔力を受け取ることで、短時間の瞬間移動に近い加速が可能だという。


「騎士団長トリスタン。この国で三本の指に入る騎乗技術の持ち主よ。そいつが最強の魔導馬に乗る。対してこちらは前科持ちの暴れ馬と、どこの馬の骨とも知れない貴方。ねえ、今からでも遺書の書き方を教えてあげましょうか? ミアが泣きながら代筆してくれるわよ」


 セリアの毒舌は相変わらずだが、その指先は微かに震えていた。この絶望的な状況を打破する糸口を探しているのが伝わってくる。


「あ、あの! 私、アルカディアのこと聞いたことがあります。一度走り出すと後ろには真空の壁ができて、ほかの馬は近づくことすらできないって。そんなのレースになりませんよお」


 ミアは半べそを掻きながら俺の腕にしがみついた。柔らかい感触が伝わってくるが、今の俺にそれを楽しむ余裕はない。


「真空の壁か……面白い」


 俺は不敵に笑った。


「セリア、ミア、絶望するにはまだ早い。競馬ってのは単なるスピード勝負じゃないんだ。勝負を決めるのは展開と駆け引き――そしてなにより馬との絆だ」


 翌朝から俺とバハムートの地獄の特訓が始まった。俺がまず着手したのは、バハムートの手前(走る時の軸足)の矯正だ。


「いいか、バハムート。お前は左回りのコーナーで僅かに外側に膨らむ癖がある。それはお前の強大なパワーを右後ろ脚が支え切れていないからだ」


『我の力に耐えられぬ大地が悪いのだ』


「大地のせいにするな。お前の動きを、もっと円に近づける。俺の重心を信じろ。内側に一センチ意識を傾けるだけでいい」


 俺は前世で培ったミリ単位の重心制御をバハムートに叩き込んだ。異世界の乗り手たちは馬を操作する対象として見ている。魔力で無理やり抑え込み力尽くで走らせる。だが、俺は違う。バハムートの筋肉の一節一節がどう動いているか、肺がどれだけの酸素を求めているか、そのすべてを対話を通じて把握していく。


 特訓を見守るミアは俺たちの食事やバハムートのケアに奔走してくれた。


「レンさん、これ! 疲労回復に効く月見草のサラダと栄養満点のエンバクです。食べて元気出してくださいね?」


 ミアが一生懸命に作った料理は驚くほど繊細な味がした。彼女の献身的なサポートが俺たちの肉体をギリギリのところで支えていた。


 一方、セリアは独自にレースコースの調査を行っていた。


「コースは全長四千メートル。平坦な直線から始まり、中盤には急勾配の丘、そして最後は深い泥濘があるわ。バルガスめ、明らかに重厚な体格のアルカディアに有利なコースを選んでいるわね。あんな泥沼、普通の馬なら足を取られて終わりよ」


 セリアが持ってきた土壌のサンプル――俺はその泥を指で弄り微笑む。


「いや、セリア。これはチャンスだ」

「は? 脳みそまで泥が詰まったの?」


「この泥濘こそ、バハムートの飛竜の血が真価を発揮する場所だ。ミア、すまないがバハムートの蹄鉄に少し細工をしたい。この街で一番腕のいい鍛冶屋を紹介してくれ」


 特訓三日目の夜。月明かりの下で俺はバハムートの身体を拭いていた。漆黒の毛並みは特訓を経て鋼のような輝きを放っている。


『貴様、なぜこれほどまでに尽くす。我ら馬はニンゲンにとっては使い捨ての道具であろう?』


 バハムートが静かに問いかけてきた。俺は手を止めて大きな瞳を見つめる。


「俺のいた世界には、こんな言葉がある。困ったら『馬に聞け』ってな。迷った時、苦しい時、答えはいつも馬の背中にある。俺にとって馬は道具じゃない。人生そのものだ。お前を救うのは俺自身を救うことでもあるんだよ」


『ふん、奇妙な男だ。だが、悪くない。明日のレース、我が翼を貴様に預けよう。風の向こう側を見せてやる』


 その時、厩舎の影から二人の人影が現れた。セリアとミアだ。


「これを……私の秘蔵のコレクションよ。気休めにはなるでしょう」


 セリアが差し出したのは、銀色の刺繍が施された、驚くほど軽い勝負服だった。おそらく徹夜で縫い上げたものだろう、その指先には絆創膏がいくつも貼られていた。


「レンさん、これ……私のお守りです。絶対に……絶対に生きて帰ってきてくださいね。バハムートちゃんと一緒に!」


 ミアが俺の手に握らせたのは小さな幸運の石。


「ああ、行ってくる」


 セリアの毒舌に隠れた信頼と、ミアの震える手に込められた祈り。そして隣に立つ最強の相棒。負ける要素なんて、どこにもなかった。


 そして運命の日がやってきた。平原には領主代行バルガスを始めとする多くの観衆が集まっていた。その中心に鎮座するのは眩いばかりの白銀の馬――白雷アルカディア。傍らには冷徹な仮面のような顔をした騎士団長トリスタン。


「ゴミ拾いの時間は終わりだ」


 トリスタンが冷たく言い放つ。アルカディアから放たれる魔力の重圧に周囲の馬たちが怯えて後退する。だが、バハムートは一歩も引かなかった。静かに闘志を秘めた瞳で白銀の敵を見据えている。


 俺はセリアが用意した勝負服に身を包みバハムートに跨った。鞍はない。しかし今の俺たちには必要なかった。太ももを通じて伝わるバハムートの鼓動。それが俺の心音と完全に同期する。


「ねえ、レン」


 出発の間際、セリアが俺の足首を掴んだ。


「勝ったら貴方が言っていた新しい競馬ってやつ詳しく教えてもらうわよ。逃げることは許さないわ」


「あう……頑張ってください! 私、世界で一番大きな声で応援します!」


 俺は二人に短く頷きスタート地点へと向かった。


 審判のレースの号砲が鳴り響く。異世界の歴史を塗り替える伝説の一戦が今幕を開けた。

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