【差別】差別を越えるための「放っておく技術」について

晋子(しんこ)@思想家・哲学者

「正しさ」が暴力に変わる前に考えたいこと

「差別はダメ」と言いながら殴ってくる人がいるが、それは矛盾していないのか。


この問いは、単なる言葉の食い違いを指摘しているのではなく、私たちが「正しさ」をどう扱っているのか、その深い部分を照らしています。

差別は、放置すれば暴力に至る可能性があります。歴史を見ても、日常の出来事を振り返っても、それは否定しがたい事実です。だからこそ多くの人が「差別はダメだ」と言いますし、その言葉自体はきわめて妥当で、必要なものです。ただ、その言葉が、誰かを殴る理由として使われた瞬間、何かが決定的に壊れます。


殴るという行為は、相手を説得しようとすることではありません。相手を変えようとすることですらなく、「お前は人として扱わない」という宣言に近い行為です。そこには上下関係が生まれ、力を持つ側と、黙らされる側が固定されます。その構造自体が、差別の論理と非常によく似ています。

このため、「差別はダメ」と言いながら暴力を振るう姿は、単なる感情の暴走ではなく、構造的な矛盾を含んでいます。差別が暴力に変わるから止めなければならないと言いながら、その止め方として暴力を選んでしまう。これは、未来の悪を恐れるあまり、現在の悪を正当化してしまう形です。

このとき、「正義」は力を借りてしまっています。力を借りた正義は、一時的には勝ったように見えるかもしれません。しかし同時に、正義が正義であるための条件を失っていきます。正義は本来、人を人として扱うという前提の上に成り立つものだからです。


一方で、力を使わない正義は、無力に見えることもあります。即効性がなく、歯がゆく、現実の荒々しさの前では弱々しく感じられます。そのため、人はしばしば「優しい悪」にすがろうとします。殴らないが黙らせる、殺さないが排除する、表向きは穏やかだが、実質的には居場所を奪う。こうしたやり方は、一見すると現実的で、大人の対応のようにも見えます。

しかしそれもまた、「ここにいてはいけない」というメッセージを含んでいます。形を変えただけで、同じ論理が生き残っている場合も少なくありません。


ここで、別の視点が必要になります。


それが、「放っておく」という態度です。これは無関心や冷酷さとは異なります。むしろ、自分が裁く側に立たないという強い自制を含んでいます。相手を今すぐ正さなければならない存在として扱わないこと、世界を単純な善悪で整理しないこと。そうした姿勢です。


多くの場面で、人は白黒をつけたがります。善か悪か、正しいか間違っているか。そこには、分かりやすさがあります。そしてその分かりやすさは、ときに心地よい刺激になります。怒りを共有することで仲間ができ、自分が正しい側にいるという感覚が得られる。これは退屈を紛らわせるには、とても便利な仕組みです。

だから、問題が起きるとすぐに周知され、糾弾され、立場表明が求められます。「黙っているのは同罪だ」と言われることもあります。しかし、すべてに即座に反応し、立場を明確にし続けることが、本当に社会を良くしているのかは、慎重に考える必要があります。

差別をなくすことは大切です。ただし、その過程で新しい敵を作り、殴れる対象を探し、怒りを消費する構造に乗ってしまうと、本来守りたかった原理そのものが傷ついてしまいます。

この点から見ると、「正義で殴るな」「悪で守ろうとするな」という態度は、強い主張というよりも、一つの注意点として受け取ることができます。力が先行した正義は、容易に悪へと転じますし、悪を使って秩序を守ろうとすれば、その悪は必ず拡張します。


また、「白黒つけるな」という言葉も、すべてを曖昧にしろという意味ではありません。すぐに単純化しないこと、判断を急がないこと、そして自分の正しさを他人に叩きつけないこと。そうした姿勢が、結果的に衝突を減らす場合があります。

「退屈を他人で潰すな」という感覚も、現代的な問題意識と言えるでしょう。刺激や物語を求めるあまり、誰かを悪役に仕立て上げ、集団で消費する。その快感は強いですが、後には何も残りません。残るのは疲弊と不信だけです。


だからこそ、「放っておく技術」を持つことが、一般論として望ましいと言えます。すべてに介入しない勇気、すべてを管理しようとしない自制。これは無力さではなく、成熟した態度の一つです。

正義は、派手に勝たなくてもいいのかもしれません。悪を完全に打ち負かせなくてもいいのかもしれません。ただ、これ以上悪を増やさないこと、暴力の連鎖に自分が加わらないこと。それだけでも、社会にとっては大きな意味があります。


「差別はダメ」という言葉が信頼されるためには、その言葉が誰かを殴るために使われないことが必要です。正しさを振り回すのではなく、正しさが自分の行動を縛る。その慎重さこそが、結果的に差別や暴力を遠ざける一つの道なのかもしれません。

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