海の青は今日も青く
minori
第一章
第1話
海が青く色づいた。
空も青く澄み渡った。
二つの青が重なる水平線。その奥へと、雲のように帆を広げた帆船が波を引きずりながら進んでいく。
グラン・カナリア島――ラスパルマス。埠頭に並んだ船が一隻、また一隻と海に発っていく。その中で、時代遅れの小さなキャラベル船は、出港準備を終えて静かに佇んでいた。
時刻は朝の十時。
船のヤードに留まったカモメが、ぽとりと何かを落として飛び立った。
「あの……エドさん」
頬を撫でる涼しい潮風。短い金の髪を揺らした青年が、不安げに眉を顰めた。
「いたずら……とかじゃあないですよね? 来る気配が全然ないんですが」
「連れもいると言ってたんだ。時間がかかるのも無理はないよ」
手近な布でカモメの粗相を片付けながら、なんてことないふうにエドは答える。
「それに、正午までに発てれば問題ないんだ。気長に待とう、ギード」
布を畳んで、エドは昨日の夕刻を思い出した。
――お願いです。僕達を船に乗せてください……。
船の大きな影に埋もれて、少年は確かにそう言った。
か細く震える声。縋るように服を摘まんできた指……。それでも、ゆっくりと顔を上げた少年の目はまっすぐだった。繊細ながらもどこか力強さを感じる緑の瞳。その目は決して自分を騙している目ではなかった。
だからきっと、彼は来る……。
「あ、エドさん。あの子ですか?」
そんなことを思っていると、隣のギードが声を上げた。エドはギードの視線を辿って、港を覗き込んだ。
そこにはこちらへ駆けてくる少年と、少年に手を引かれた少女がいた。陽光を跳ね返すほど眩しくうねった金の髪……。まさしく、彼だった。貧相な身なりの中でも妙な気高さを感じる、不思議な少年。埠頭の端まで駆けてくると、少年は息を切らして立ち止まり、少女と共に船を見上げた。
カスティーリャ北部の小さな村から出港し、地中海と北海を渡って大西洋に挑んだキャラベル船――グアパエスポス号。それがこの船の名前だ。そして今日から二人の家となる。少年は船縁にこちらの姿を見とめた。少女から手を離すと、少年は表情を引き締めて船へを上りだした。エドも彼のもとへと降りていく。港に架けた舷梯の上。昨日と同じ場所、同じ位置で、少年の緑の瞳とエドの焦げ茶の瞳が交差した。
「待たせてしまって、申し訳ありません」
「いいよ」
「それから、僕たちを雇ってくれてありがとうございます」
エドはふっと口元を緩めた。横髪を後ろで結んだ少年の髪は、風に揺れるとより優雅に見える。しかし、そのボロ着にはどうも似合わない。堅苦しい言葉遣いも浮いている。
「別に構わない。ちょうど新たな人手が欲しいと思っていたところだから」
エドは少年の後ろに目をやった。先ほどから、連れの少女が恐る恐るこちらを覗き込んでいる。
「妹のララです」
「は、初めまして……」
兄の隣に立って、少女は顎を引きながらエドを見た。緑の瞳と白い肌。兄とお揃いの金の巻き毛を、肩の辺りで二つに結んでいる。
「家の人と話はできたか?」
言葉もなく少年が頷く。
「なら出港しようか。ララ、それから……」
「クーロです」
エドが笑みを零した。舷梯を上ろうとして、思い出したように振り返る。
「そうだ。挨拶が遅れてすまない」
僅かに焼けた肌に、穏やかな表情が浮かぶ。
「私は船長のエドウァルド・エスキベルだ。皆から『エド』と呼ばれている。クーロ、ララ」
と、エドは二人の前に手を差し出した。
「来てくれてありがとう。これからよろしく頼むよ」
ぎこちない握手を交わし、エドは高らかに出港の合図を出した。
一六一七年。
新たな旅立ちを告げるのは、八月の澄んだ風だった。
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