長ネギ男の恩田君

仲町鹿乃子

長ネギ男の恩田君

「長ネギって好きですか?」


 会社の後輩の恩田君に尋ねられる。

 ナガネギ? ながねぎ……あぁ、長ネギ。


「ええ、あ、はい。まぁ、好きですが」


 わたしがそう答えると、わたしの机のまん前に立っていた恩田君が「よかった!」と言い、高い背を屈め話し出す。彼の仔犬のような笑顔がまぶしい。


「長ネギっていいですよね。そのまま斜めにざくざく切って鍋やすき焼きに入れてもおいしいし、 白髪ネギにして麺類の上にのせてもおいしいし。 あ、あれ知っていますか? 白髪ネギまで細くしないで縦に切って、鶏肉と生姜を入れてスープを作るとおいしいんですよ。味付けは塩で、好みで胡椒を最後に入れてもいいし」


 いきなり始まった恩田君の長ネギ話。

 確かにとてもおいしそう。

 でも、恩田君。

 なんで突然長ネギ話?

 しかも、今は仕事中ですが。


「あの、わたし、お昼までに書類を仕上げないといけないのですが」

「あ、すみません。今日、午前半休もらって仕事は午後からだったもんで、 ついつい」

 恩田君がしゅんとした。

「半休って……。どこか具合が悪いとか?」

 季節柄、風邪が流行っている。

「いや、そんな、ご心配おかけするようなことではなく」

 恩田君はそう早口で言うと「すみません、お邪魔しました」と、自分の部署へと帰っていった。





「ねぇ、長ネギって好き?」


 お昼休み。無事に書類を提出したわたしは、同期の江梨子と会社の近くにあるイタリアンにいた。


「長ネギ? 今日のランチメニューにあったっけ?」

「メニューとは関係なくって。……あのさ。誰かからそんな質問されたことってある?」

「長ネギが好きかって?」

「そう」

 江梨子がうーんと考える。


「それ、どんなシチュエーションよ?」

「仕事中、とか?」

「あるわけないでしょ」

「ですよねぇ」


 恩田君とのあの会話が妙にひっかかってしまい、訊かずにはいられなかったわけだけれど。

 返ってきたのは、もっともなお答え。


「そもそも長ネギの野菜におけるポジションって、好きか嫌いか聞かれるようなとこにないよね」

「そうなのよ」


 江梨子の言う通り、わたしも恩田君に聞かれるまで長ネギに対して特別な感情(っていうのも変だけれど)はなかったのだ。

 お鍋やすき焼きのとき、あたりまえのように買い物かごに入れてしまう野菜。

 それが長ネギだった。

 例えるのならカレーのときのじゃがいも。

 ある料理に必要な野菜として、長ネギはわたしの中で存在している。


「どうしたの、いったい」

「実はね、聞かれたのよ。『長ネギは好きですか?』って」


 恩田君の名は出さずに言う。


「お寿司や蟹だったらデートの誘いって可能性もあるけど。長ネギ、か……。ひょっとしてなにかの合言葉とか?」

「合言葉?」

「その人はスパイで、仲間かどうか判断するために合言葉を使ったの。『長ネギは好きですか』『はい、好きです』とかなんとか」


 スパイ?

 まさか!


「やめてよ、こわいじゃない」

「もう、すぐ真面目にとるんだから。きっとおじいちゃんのところからネギが大量に送られてきて、そのおすそ分けってオチじゃない」

「ああ、なるほど」


 恩田君からもらった長ネギを持って、帰宅する姿を想像してみる。

 キャメルのコートに革のバッグ。

 そして、にょっきりと長いネギを手で掴んで歩くわたし。

 うーん。


「じゃがいもだったらよかったのにな……」

 じゃがいもなら袋に入れれば目立たず持って帰れる。重いけど。

 長ネギ、嫌いって言えばよかったかな。

 恩田君には悪いけど、ため息が出てしまう。


 



 けれど翌日になっても、またその翌日になっても。

 長ネギ男恩田君からは、長ネギの「ね」の字も出てこなかった。

「くれるわけじゃないんだ」

 長ネギにちょうどいいかもと、家にあったワインを入れる細長い紙袋を持ってきていたのだけれど。

 とんだ早とちりだったんだなぁと思った。





 金曜日の昼休み。

 下のコンビニにおにぎりを買いに行こうとしたところ、エレベーターホールで恩田君に呼び止められた。


「明日の土曜日お暇ですか」

「…………」


 突然のことに、なんて答えればいいのかわからず目が泳ぐ。


「実は、長ネギのことなんですけれど」


 キタッ! 長ネギ!

 遂に長ネギの真相が!


「長ネギがどうしましたか?」

「ぼくと一緒に畑に行って、長ネギを抜きませんか」


 畑? 

 抜く? 

 長ネギを?

 恩田君の答えはわたしの予想より思いっきり斜めだった。


「恩田君と二人で……?」

「はい」


 はいって。

 そんなに元気に答えられると、まるでこっちがおかしな質問したような気になってしまうじゃない。


「あの、恩田君。どうしてわたしをネギ抜きに誘ってくれたのかな?」

 そう尋ねると、彼は少し戸惑ったような顔をした。

「年末の忘年会の席で、桜町にお住まいだとお聞きしまして」

 確かに、このフロアの有志での忘年会でそんな話にはなった。

「桜町には、母が借りていた市民農園があるんです」


 言われてみれば、うちから駅に行く途中の住宅街にフェンスに囲まれた農園があった。

 そして、思い出す。

 恩田君のお母様は、昨年の春に亡くなっていたと。


「お母様の借りていた農園を恩田君が引き継いだってこと?」

 彼は「ええ」と答え、小さく笑った。

「農園、抽選なんです。もう、何年も申し込んでいたのですが外れて。なので、折角当たったのだから、放置するのは違うなって。なにか野菜を作りたいなと思ったんです。それで長ネギも作ったんですけれど。これが思いの他、大量にできてしまって。そんなとき、農園のお近くにお住まいだったな……と思い出し。もらっていただけたらありがたいと思いまして」

「なるほど」


 そうだったんだ。

 誰よ、彼をスパイだと言った人は。


「あれ、でも恩田君は桜町には住んでいないですよね」

「はい、だから畑までは電車で通ってます。有給も余ってるんで、半休取って畑に寄ってから仕事に来たり」

 この間の半休もそうなんですよね、と恩田君。


 亡くなったお母さんの代わりに、野菜を作る恩田君の姿を思い浮かべる。

 あれ、なんかじーんとしちゃっているわたしがいるんですけど。

 これはちょっと断れないな。


「明日、何時に行けばいいですか?」

「来て、もらえますか?」

 誘ってきたくせに、恩田君が目を丸くした。

「ご近所だし」

 いつもは近くを通るだけの農園を、外側からだけじゃなく、中にも入って見てみたいし。

 恩田君の作った長ネギも見てみたいし。

「では」

 そう言って彼は時間を伝えてきた。




 土曜の朝、わたしは母が淹れてくれた珈琲を飲んだあと、出かける用意を始めた。

 長ネギは、畑で抜くのだから泥もあるんだろうし。

 持ち帰るのは新聞紙にでも包んで、ビニール袋に入れた方がいいのかしら?

 正解がわからないので、思いついたものを適当に持った。


「あら、デート?」

「違うわよ。駅に行く途中にある市民農園、あそこに行くの」

「……市民農園? どうして?」

「会社の人が借りて野菜作っているんだって。で、長ネギをくれるっていうの」

「長ネギ」

 母が目をぱちぱちとしてわたしを見た。


「会社の人って。……女の子よね?」

「ううん。男の子、っていうか男の人」

 いくら後輩でも、仔犬を思わせたとしても男の子なんて言ったら失礼だ。


「男の子。農園。長ネギ」

 母が唸る。

「男の人、ね。身長だって、なんかにょきっと高いし」

「うわぁ……。その人、うちに連れてきて」

「嫌よ」

「長ネギのお礼に、お茶くらい出さなきゃ」

 母はそう言うと、「しっかり働いてきてね」とわたしの背中をぽんとたたいた。



 農園の入口には既に恩田君がいて、わたしを見るなり大きく手を振ってきた。


 え、そんな感じになっちゃうわけ?

 わたしは小さく手を振り返す。

 ちょっと、くすぐったい。


 畑は十ほどの列があって、それが区画ごとに紐で仕切られていた。

 彼の区画は、農園に入ってすぐの場所にあり、そこには青々とした長ネギがわさわさと植わっていた。


「これを恩田君が?」

「思った以上に上手くいって」

「思った以上どころじゃないでしょう。野菜作りの才能、あると思う」

「いやぁ、まぐれですよ」

 恩田君が照れる。


 素人でも、そこそこ野菜を作れちゃうんだな。

 しかも、それを作ったのがこの恩田君。

 同じ会社の若い男性社員。

 驚いちゃうな。


「では、抜きましょうか」

 恩田君が長ネギを掴む。

 わたしも彼の真似をする。


 そしてわたしは、生まれて初めて土に植わっていた長ネギを抜いた。



 農園にある水道で手を洗う。

「恩田君、このあとよかったらうちでお茶でも飲みませんか?」

 母に言われたときは「嫌だ」と返したくせに、今はもう少し恩田君と話してみたいな、なんて思っている。


「いやいや、とんでもない」

「……あぁ、そうですか」


 恩田君の答えに、なんとなくつまらないような気持ちになる。

 ふと見ると、恩田君の頬にすっとした線のように土がついていた。


「恩田君、顔に――」


 思わず持っていたタオルで拭こうとしたが、はっと思いその手を下げた。

 これ、セクハラとかそんな感じになるんでは?

 ……待てよ。

 さっき、母の言葉を受けて恩田君をお茶に誘ったわけだけど。

 これも、恩田君にしてみたら会社の先輩の家にいきなり誘われて……って!

 家――あぁ、やってしまった?


「あのね、恩田君! さっきお茶に誘ったけど。あれ、わたし、一人暮らしじゃないから。実家で母もいるし。別にやましい気持ちとか、そういったことないから」


 わたしが、うわーってなって恩田君に話している場に、突如、母が現れた。


「遅いから、どうしたんだろうって心配になって、来ちゃったじゃない!」


 びっくりしてなにも言えないわたしにお構いなしに、母がしゃべり続ける。


「お茶の用意はできていますからね。さっさといらっしゃいな。ほらほら、先に行っていますからね」


 母はわたしと恩田君を交互に見ると、満足そうに頷いた。

 そして、わたしだけでなく恩田君の長ネギの袋も持ち、農園を出て行った。



 今、なにが起きたの?

 あぁ、もう……。

 頭の中に恩田君への謝罪の言葉があれこれと駆け巡るのだけれど、なにをどう繋いでいけばベストになるのか、見つからない。


「いつもながらお元気だなぁ。今のあの方はですね、ぼくの農園友だちなんです」

「え? は?」


 うちの母と、恩田君が農園友だち?


「ぼくは土いじりもしたことなかったんで、作業ものろく。この区画、入口入ってすぐなのでフェンス越しにもよく見えたんだと思います。それで、見かねたんでしょう。声をかけてくださって。そういえば、お名前もお住まいも知らないんですよね。もしかして、ご存知ですか?」


 ご存知もなにも。


「今度、あの方もここの農園に申し込まれるそうで。当たったあかつきには、今度はぼくに野菜を下さるそうなんですよ。おまけにあの方のお嬢さんも紹介してくださるって。なんだか、農園とそこのお嬢さんがセットになったようで、ご本人には申し訳ないなぁと思ったり」


 申し訳ないもなにも。


「あぁ、でも、どうもぼくよりも年が上らしいんですけど。どうなんでしょうね、女の人は。年下って嫌がられるでしょうか。どう思います?」


 どう思うもなにも。


「農園とセットって嫌ですか」


 ふいに、そんな声が上から降ってくる。


 恩田君を見上げる。

 恩田君はすましたような顔でわたしを見ている。


 あれ。

 つまり。

 この顔は。


「策略家ですか?」


 大きく深呼吸しそう聞くと 恩田君は賢そうな顔を一瞬にして隠した。

 そして「天然ですよ」と、頬に土をつけたままで笑った。

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