第5話 信用のかたち
フロゥグディへ入るのは拍子抜けするほど簡単だった。堂々と検問に向かったのだが、検問とは名ばかりで、顔を見るだけで通してくれた。ここが人族と魔族が共存する村であり、来るもの拒まず、といった方針によるものなのだろう。
「これは……凄いのう!」
霹靂の魔王を名乗る少女、エリアは瞳を輝かせた。
村とはいいながら、それ以上の活気に溢れている。人界側とも魔界側とも違う匂いがあった。焼いた肉の脂と、香草の甘さ。熱せられた鉄の刺激と、酌み交わされる酒の香り。そこまではどこの地域でも感じられるものだが、フロゥグディは共存の匂いに包まれている。
人族の男が魔人族の男とジョッキをぶつけあっている。森霊族の女が地霊族の女と楽しそうにおしゃべりをしている。損得勘定で二つの世界を旅する商人だけでなく、敵対する世界に伝わる技術を求めてきた鍛冶師、他にも野心的な想いを抱いた者たちが多い。だからこそ、種族の垣根を越えて過ごすことができるのだろう。
「ああ、これは凄いな……」
不思議と俺の喉からもそんな言葉が紡がれた。
異種族の緩衝地フロゥグディに来るのは初めてだ。ゆえに、この平和な光景を見るのも初めてだった。俺が心の奥で望んでいた平和とは、これのことだったのかもしれない。もし、もしも俺がもっと早くにこの光景を見ることができていれば、俺は復讐じゃない別の道を選べたのだろうか……
ちくり、と痛んだ心を誤魔化すように、俺は彼女の名前を呼んだ。
「エリア」
魔王、少女、君、あらゆる呼び方がある。エリアさん、エリア殿、エリアベル、どれも今の彼女と俺の間を定義付けるには堅苦しい。俺と彼女は同盟相手だからこそ、エリア、と愛称で呼んだ。
「うぬ?」
「人界で旅をするなら、いずれにしても身分を証明するための証が必要だ。だから、まずは冒険者ギルドへ向かおうと思うんだが……」
「当然じゃの。異論はあらぬ」
そう答えたエリアは、しかし視線を通りから離そうとしなかった。
行き交う人々の顔を、ひとりひとり確かめるように見ている。そこには警戒も、計算もなく、ただ純粋な好奇心と驚きがあった。彼女が目指す世界平和とやらは、この光景なのだろう。
この村は確かに平和だ。
だが、平和というものは、いつだって「見えている範囲」でしか成立しない。視線を外せば、背を向ければ、簡単に崩れる。それを俺は嫌というほど知っている。
俺は彼女を先導するように、目抜き通りを進む。
通りの奥から、金属が打ち合わさる音が聞こえた。鍛冶場だろう。火花が散り、赤く焼けた鉄が槌に叩かれて形を変えていく。そのすぐ隣では、露店の女が笑い声を上げながら串を焼いている。
武器と食事。殺す道具と、生きるための糧。考えすぎかもしれないが、この村ではそれらが同じ距離で共存している。
フロゥグディは、八十年前の大地融合をきっかけに生まれた場所だ。もちろん、大地が繋がる以前はだだっ広い海が果てまで続いていたが、両側から二つの大陸が押し合って、大地が盛り上がり、小高い丘を形成するにいたった。そして、新たな土地に新たな住民が誕生するのは、当然の結末だろう。
最初は野営テントが並ぶだけだったらしい村は、徐々に規模を広げていった。戦争に出陣したが嫌気が差した兵士が落ち延びてきたり、戦争に巻き込まれたり未然に防ぐため避難してきたり、行き場を失った者たちが協力して村を形成したのだ。
ゆえにこそ、ここもただの理想郷ではない。ただ、選び続けなければ壊れる均衡の上に立っている場所にしか過ぎない。
歩き続けて暫く。
フロゥグディを分断する大河に辿り着いた。ここには村のシンボルともなる立派な橋が架けられている。この橋を中心とすると、西側が魔界、東側が人界で、実質的にその河は世界を分け隔てる境界線のようなものだ。
つまり、ここを越えれば俺たちは人界に足を踏み入れたことになる。
だが、橋のたもとまで来たところで、俺たちはその足を止められた。
「ちょっと待て」
声を掛けてきたのは、灰色の外套を羽織った男だった。白でもない、黒でもない、中間の色。武器らしいものは帯びていないようだが、視線だけでわかる。この橋を護っている村の役人だ。
「初めてか?」
「ああ」
俺が短く答えると、男は俺とエリアを交互に見た。
じっと、値踏みするように。
「フロゥグディは初見でも通す。ただし――」
彼はそこで言葉を切った。目が赤くなく、耳も尖っていない。俺と同じ人族だ。男はおもむろに橋の向こうを顎で示す。
「向こうへ行く理由だけは聞く」
検問、と呼ぶほど仰々しいものじゃない。
だが、この一言で分かった。ここでは、正体よりも目的を見ている。
「商いでも、避難でも、観光でもいい。冷やかしでも構わん」
橋の手前で、男はそう言って俺たちを見据えた。外套の下に佩いた剣の位置が、ふと目に入った
鎧は着ていない。だが、腰の剣は手入れが行き届いており、いつでも抜ける位置にある。検問兵というより、境界の番人と呼ぶ方がしっくりくる。油断ならない。
フロゥグディは人界と魔界の中心にある村。つまり、国に縛られていない自治領のようなものである。争いが起きてもどこかに頼ることはできず、魔物が襲ってきても助けを両陣営へ求めることができないからこそ、事前に火種を消すこの男のような存在がいるのだろう。
「だが、揉め事を起こすつもりなら引き返せ」
声は低く、感情が乗っていない。
忠告でも威嚇でもない。ただ、この場所の前提条件を淡々と提示しているだけだ。
「揉め事を起こさないと言えば?」
俺は男の視線を正面から受け止めたまま、問いを返した。
視線を逸らす理由はない。ここで測られているのは力量ではなく、姿勢だ。
男は一瞬も迷わなかった。
「信用する」
即答だった。
信用。
それはまるで両替商の天秤と同じだ。目に見えないが、ここでは確かに重さを持つ。
疑いから入らない代わりに、裏切りは即座に切り捨てられる。そういう危うい均衡の上に、この村は立っている。
「……俺たちは旅の途中だ。人界へ向かう」
俺は、飾らずに言った。
嘘を混ぜる必要も、話をぼかす意味もない。ここでは、それ自体が損になる。
男の視線が、わずかにエリアへ流れる。赤い瞳。尖った耳。
見落とすはずがない特徴。だが、その視線は長く留まらなかった。
「連れは?」
一瞬、間が空いた。
隣で、エリアが何か言おうとする気配を感じる。その前に、俺が口を開いた。
「俺の同行者だ。面倒は見ない」
守るとも、責任を負うとも言わない。事実だけを述べた。
男はしばらく俺の顔を見つめていた。値踏みではない。記憶に刻みつけるような視線だ。
やがて、男は半歩だけ後ろへ退いた。
それは橋を塞いでいた位置から外れる、明確な許可の動作だった。
「なら通れ」
思ったよりあっさりである。それで終わりかと思った瞬間、男は続けた。
「ここでは――」
一拍置く。
その沈黙に、この村で起きた過去の諍いと、消えていった存在の数、そしてそれでも前に進んできた誇りが詰まっている気がした。
「剣を抜いた瞬間に、全員が敵になる。それだけ覚えておけ」
脅しではない。
この村が今も成り立っている理由を、短い言葉に圧縮しただけだ。
俺たちは橋を渡り始めた。
背中に視線が突き刺さる感覚があったが、振り返らなかった。振り返る必要がない場所だと、もう理解していた。ここまでは魔界、ここからは人界。俺は四年ぶりに、エリアは生まれて初めてその地を踏むのだ。
「……面白いのう」
石の橋を越えて、一歩。エリアが小さく呟いた。風に溶けるような声だった。
「種族も、身分も、力量も見ておらぬ。見るのは目的だけ。妾の政治より、よほど厄介じゃ」
感心と警戒が混じった声音。統治する側の視点だ。
彼女は静かに道の先を眺める。境界線を越えたはずなのに、空気は変わらなかった。人界でも魔界でもない、ただ生活が続いている場所の空気だ。特別何かが変わったわけじゃない。それなのに、この一瞬で境界を越えたという。確かに面白く、確かに厄介だった。
「厄介な方が、壊れにくい」
俺はそう返した。
力だけで成り立つ秩序ほど、崩れるときは早い。
エリアはくすりと笑う。
「確かに。単純な力関係ほど、脆いものはない」
エリアを先導しながら、冒険者ギルドへ向かう。どこにあるかは誰かに聞いたわけじゃないが、目抜き通りを歩いていれば辿り着くはずだ。
冒険者ギルドとは、名前のように冒険者を雇い、依頼による取引を行う組織である。例えば魔物が発生したら依頼を発令して冒険者に倒してもらう。魔物の解体、素材の売却をしてもらい手数料を引いたその代金を冒険者に渡す。
依頼には魔物討伐だけでなく素材の採取や市民のお願い事など幅広く、それに対した代金が毎回支払われる。日雇い労働者みたいなシステムだ。
この村は自分たちのみで運営している場所だが、国家の枠に縛られない人界の冒険者ギルドも軒を連ねているらしい。もちろん、魔界にも似たような組織もあり、そちらは村の魔界側にある。ただ、今回は身分を証明する何かが目的としているので、目的地はこの先だ。
エリアは俺の後ろを歩きながら、周囲をきょろきょろと見回している。
武器屋の前で立ち止まり、酒場から漏れる笑い声に耳を傾け、露店の匂いに鼻をくすぐらせる。人族も魔族も、同じ距離感で声を交わしている。
「のう、エイジ」
「なんだ」
「ここでは、妾は魔王である必要がないのか?」
軽い問い方とは裏腹に、重い核心を突いていた。
「少なくとも、今はな」
俺が勇者である必要がないのと同じように。そう答えると、エリアは僅かに歩調を緩めた。
「……悪くない」
その声には、肩の力が抜けた安堵が滲んでいた。俺は何も言わず、広がる通りを同じく見据えた。剣も称号も関係なく、ただ目的だけが問われる場所。
この村は、俺たちにとって都合がいい。
同時に、誤魔化しが一切通じない。
だからこそ、男との問答で見落としていた事実に気が付いた。ギルドの看板は既に見えている。けれども、このままではそのまま向かうことができなかった。
今度は俺から彼女の名前を呼んだ。
「……なあ、エリア」
「うぬ?」
振り返ると、彼女は相変わらず周囲を興味深そうに眺めていた。
その無防備な横顔を見て、言葉を選ぶ必要はないと判断する。
「ひとつ聞くが、お前の最大魔力量はいくらだ」
一瞬だけ、きょとんとした顔をしたあと、エリアはあっさり答えた。
「だいたい八百ほどじゃな」
「……やっぱりか」
驚きはした。だが、納得の方が勝った。
魔王を名乗るだけのことはある。俺の最大魔力量が百五十前後、仲間の魔術師ですら五百台だったことを思えば、桁が違う。嘘ではないのだろう。教会で見せたあの高速移動も、本当にただ加速魔法を重ね掛けしただけなのかもしれない。
そして、同時に確信する。冒険者ギルドは使えない。
俺は歩きながら、頭の中で条件を並べ直した。商人の信用、両替商の天秤、橋の検問。すべてに共通しているのは、「個人を保証する仕組み」だ。
「冒険者登録証は、身分証明だ。個人を個人として保証するためのものだ」
「うむ」
「そのために、最大魔力量を記録する。現在の魔力量じゃない。生涯で変わらない、個人固有の数値だ。加護みたいな例外を除けばな」
俺の場合はその例外だった。その前は九十そこそこだったが、女神に加護を与えられて少しだけ伸びたのだ。しかし、そのようなことは一般的でなく、多くの場合は生まれてから死ぬまで変わらない。ゆえに、個人を保証する仕組みとして使われる。
エリアは黙って聞いている。
理解できていないというより、続きを待っている顔だ。
「ギルドには、その最大魔力量を測るための古代遺物がある。隠蔽も誤魔化しも効かない」
「……なるほど」
「つまり」
そこで一度、言葉を切った。
「そこで八百なんて数値が出た瞬間、お前が異常な存在だって即座に知られる」
魔王だと名乗らなくても、十分すぎるほどだ。
この村ならまだいい。だが、人界の街でそんな数値が出れば、騒ぎにならないはずがない。
「それに、もうひとつ問題がある」
「ほう?」
「お前の容姿だ」
エリアの赤い瞳と、わずかに尖った耳を見る。
今は周囲に紛れている。だが、人界の街では違う。
「フードを深く被れば誤魔化せるかもしれない。でも、それは『怪しい』って言ってるようなものだ。検問がある街じゃ、通用しない」
魔力量と、見た目。どちらも、ギルドで身分を得ようとした瞬間に破綻する。
「そもそもそんなことは理解していたんだろ? どうやって人界に入るつもりだったんだ?」
沈黙が落ちる。だが、それは困惑ではなかった。エリアは、にやりと怪しく笑った。
「心配するでない。手は考えておる」
その笑みは、さっきまでの無邪気なものとは少し違う。政治家でも、旅人でもなく――魔王の顔だ。余裕すら感じさせる声音。
考えているのならば問題ない。が、それがあまり突飛でなければいいのだが。
リドル・アクター ~最強の勇者、魔王を拾う~ 稲荷きつね @KitsuneInarizushi
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