1.思い出
四十歳の浅井 涼一は、リビングの窓から差し込む冬の光に目を細めながら、ふと思い出していた。
幼稚園の頃から高校まで一緒だった、美都 陽菜——
あの少女のことを。
隣で家族が笑い、膝の上の息子が静かに眠る。
この生活に不満はない。
だけど、時折、心の奥であの頃の景色がざわめき、淡く胸を掠めるのだ。
小学校時代、俺はたぶん調子に乗っていた。
運動部に入っていて、休み時間はだいたい校庭にいて、
名前を呼ばれれば振り返るのが当たり前みたいな立ち位置だった。
その延長みたいな感覚で、陽菜にもよくちょっかいを出していた。
あの頃、距離を測るなんて発想もなかった。
話すのも当たり前で、隣にいるのが自然で、
けれど陽菜に対する特別な感情には、幼いながら気が付いていた。
中学になり、少し変わった。
というより、変わらざるを得なかった。
昨日まで笑って話していた相手が、
今日は何事もなかったように誰かを外に押し出す。
部活の中でも、教室でも、それは当たり前みたいに起きていた。
このまま同じ場所にいたら、
いずれ自分も、あちら側か、こちら側かに分けられる気がして。
だから俺は、少し距離を取った。
目立たず、勉学に向かい、部活も文科系を選んだ。
陽菜と話す機会も、自然と減った。
高校に入った俺は、少しだけ自分を変えようとした。
中学の終わりまで溜め込んだ運動不足と、
同時に、どこかに置き忘れてきた自信を取り戻したくて、
テニス部を選んだ。
そして、そこに陽菜がいた。
同じ高校に進んだのも偶然なら、
同じ部を選んだのも、きっと偶然だった。
胸の奥で、長いあいだ眠っていた何かが静かに動いた。
それでも、こちらから声をかけることはできなかった。
中学時代の三年間で作りあげた虚像。
「静かなやつ」という自分を、陽菜は知っている。
そこから一歩でも踏み出したら、
その行動全部が、何か企んでいるように見える気がした。
急に話しかけたら、
急に近づいたら、
好意も、下心も、区別されないまま
一緒くたにされる気がして。
卒業式の日、結局俺は何も言えなかった。
何も言うつもりがなかった、が正しい。
陽菜にとって、俺はただの幼馴染だったと思う。
俺にとっては、一方的な片思いの相手。
名前も形も持たないまま、
ただ確かにそこにあったものを噛みしめながら、
あの雪の夜、バス停で、言葉を交わさずに道を分けた。
その一年後、陽菜は事故でこの世を去った。
手も、言葉も、時間さえも届かず、何もできなかった。
長い長い初恋の結末。
それでも今、四十歳になった自分を見つめながら思う。
あの頃の自分の胸に生まれた恋心——
それは、今の家庭や日常とは別に、静かに心の奥底で流れ続けているのだと。
窓の外、冬の光が淡く差し込む。
その光の中で、陽菜の笑顔が一瞬、確かに蘇った気がした。
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