嘘をつけない見習い探偵と、理屈屋の新米探偵

月夜 イクト

第1話 プロローグ

――あの日、彼女は手を伸ばした。


 とある日、まだ「探偵見習い」ではなかったフィオナは王都の外れにある小さな市場を、籠を抱えて歩いていた。


 夕暮れは蒼環世界特有の淡い紫に染まり、魔導灯がひとつ、またひとつと灯り始める時間帯。

 人々は店を畳み、露店の商人たちは売れ残った品を急いで布に包んでいた。


 人々の喧騒な会話が聞こえる中、その声は、かすかに聞こえてきた。


「……助けて……」


 聞き間違いだろうか、とフィオナは一瞬だけ足を止めた。

 誰かが落とした荷物の音かもしれない。

 子どもの遊び声が、偶然そう聞こえただけかもしれない。


 それでも。


 胸の奥が、ひどくざわついた。


 当時は、何故そんな風に思ったのか理由は説明できなかった。

 確かな根拠も、証拠も持っていない。

 ただ、行かなければならないと、身体が勝手に向きを変えて裏路地に向かった。


 市場裏の路地は、魔導灯の光が届かない。

 壁に染みついた魔力の残滓が、薄く青白く揺れている。


 その奥で、ひとりの少年が座り込んでいた。


 年は、フィオナより少し下だろう。

 近づいてみると、服は擦り切れ、膝は血で赤く滲んでいる。

 だが何より、少年の顔が――不自然だった。


 痛みに歪むより先に、必死に平静を装おうとしている顔をしている。


「……大丈夫?」


 フィオナがそっと声をかけた瞬間、少年の肩がびくりと跳ねた。


「大丈夫、です」


 即答だった。

 早すぎるほどに。


 フィオナは、その一言に違和感を覚えた。


 ――ウソだ。


 少年の視線は定まらず、言葉の終わりがわずかに震えている。

 それに、血の匂い。

 魔力の焦げた匂い。

 大丈夫のようには見えなかった。


「どこか、怪我してるよね」


「してません」

 

 フィオナは再度訪ねたが、少年は再び否定し、ほんの少し、口元が引きつっていた。


 フィオナは、困ったように眉を下げた。

 どうして人は、こんなときまでウソをつくのだろう。


「……ねえ」


 そっと距離を縮めて、フィオナはしゃがみ込む。


「助けて、って聞こえた気がしたんだ」


 少年の目が、大きく見開かれた。


 その瞬間だった。

 張り詰めていた糸が、ぷつりと切れたように。


「……言ったら、捕まる」


 震える声で、少年は言った。


「僕が悪いって、決めつけられる」


 聞けば、少年は誤って高位魔導具に触れ、暴走させてしまったらしい。

 怪我人は出ていない。

 だが、学園の探偵に見つかれば、理由など聞かれず処罰される――そう思い込んでいた。


 フィオナは、胸が締め付けられるのを感じた。


 本当に困っている人ほど、助けを求められない。


 それを、初めて知った。


「……ねえ」


 フィオナは、少年の手に、そっと自分の手を重ねた。


「悪いことをしたなら、ちゃんと向き合おう」


「でも」


「一人じゃなくていい」


 その言葉は、誰かに教えられたものではない。

 考えて導いた答えでもない。


 ただ、心がそう言った。


 やがて探偵学園の大人たちが来て、少年は連れて行かれた。

 だが、事情は丁寧に聞き取られ、処罰は最小限で済んだと、後に知る。


 去り際、少年は振り返り、深く頭を下げた。


「……ありがとう」


 その顔に、もうウソはなかった。


 夕暮れの風が吹き、フィオナは立ち尽くしたまま、胸に残る熱を感じていた。


 ――もし、あのとき。


 声を無視していたら。

 足を止めなかったら。


 少年は、きっと「悪い人」になっていた。


 だから、フィオナは決めたのだ。


 理由がなくてもいい。

 証拠がなくてもいい。


 困っている人がいるなら、手を伸ばす。


 それが、たとえ――

 誰かに「間違いだ」と言われる選択でも。


 この日が、

 フィオナが探偵になるより、ずっと前の話だ。

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嘘をつけない見習い探偵と、理屈屋の新米探偵 月夜 イクト @tukiyomiikuto

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