第13話 王女殿下の憂鬱と、ロイヤル・ブランド
アークレイア王城『白亜の宮殿』。 その最奥にある「薔薇の間」に通された俺とエリスは、豪奢なソファに座らされ、すでに一時間ほど待たされていた。
エリスはガチガチに緊張している。 借りてきた猫どころか、虎の檻に入れられたウサギのようだ。 無理もない。相手はこの国の第一王女。本来なら、没落貴族の娘が顔を合わせることすら許されない雲の上の存在だ。
「落ち着け、エリス。深呼吸だ」 「む、無理よ……。もし粗相があったら、不敬罪で商会ごと潰されちゃう……」 「商談相手が偉ければ偉いほど、やることはシンプルだ。『相手の欲しいものを、相手が想像する以上の形で提供する』。それだけだ」
俺は商社マン時代、中東の王族や独裁国家の高官とも渡り合ってきた。 権力者ほど、実は「退屈」していて、「新しい刺激」に飢えているものだ。
その時、重厚な扉が開かれた。 侍女たちを従え、現れたのはシャルロット王女その人だった。 博覧会の時とは違い、リラックスした――といっても最高級のシルクだが――部屋着姿だ。だが、その瞳には強い意志の光が宿っている。
「待たせたわね。ローゼンバーグ商会」
俺たちは即座に立ち上がり、最敬礼をした。
「面を上げなさい。今日は公式な謁見ではない。……私の『個人的な願い』を聞いてもらう場だ」
王女はソファに深々と腰掛けると、卓上に置かれた「あの布」――俺たちが献上したポリエステル・サテンのサンプル帳――を指差した。
「単刀直入に言おう。この『星の絹』、すべて私が買い上げる。他の貴族には渡したくない」
やはり来たか。独占欲。 権力者の悪い癖だ。だが、ここで「はい、そうですか」と従えば、俺たちはただの納入業者(下請け)で終わる。
「……恐れながら、殿下。それはお勧めいたしません」 「何? 私の金が払えないとでも?」 「いいえ。殿下ほどの美貌と気品をお持ちの方が、ただ布を独占するだけでは『宝の持ち腐れ』になりかねないからです」
王女の眉がピクリと動いた。 侍女たちが息を呑む。エリスが青ざめて俺の袖を引く。 だが、俺は畳み掛けた。
「殿下。最高の素材には、最高の『仕立て(デザイン)』が必要です。市井の仕立て屋にこの布を渡したとして、果たして殿下の魅力を引き出すドレスが作れるでしょうか?」
俺は懐から、一冊の本を取り出した。 日本で作成した、『デザイン・カタログ』だ。 ファッション誌の切り抜きや、ネットで拾ったドレスの画像を編集し、高画質プリンターで出力して製本したものだ。
「これをご覧ください」
王女がお付きの者に受け取らせ、ページを開く。 瞬間、彼女の目が釘付けになった。
「な……なに、これ……?」
そこに描かれているのは、この世界にはない斬新なデザインの数々。 オフショルダー、マーメイドライン、背中が大きく開いたイブニングドレス。 そして何より、写真(魔法による超精密画と思われている)の圧倒的なリアリティ。
「この絵の中の女性たち……まるで生きているようね。それに、この大胆なカッティング。こんなドレス、見たことがないわ」 「これらはすべて、『星の絹』だからこそ実現できるデザインです。殿下、我々は布を売るだけではありません。殿下を『大陸で最も美しい女性』にするための、トータルコーディネートをご提案したいのです」
王女が顔を上げ、俺を見た。その瞳はもう、獲物を狙う雌豹のそれだった。
「……面白い。私を、その絵のように美しくできると言うのね?」 「お任せください。ですが、そのためには正確な『採寸』が必要です」
俺は商売道具を取り出した。 ドイツ製の、ガラス繊維入りビニールメジャーだ。 この世界の「紐で測る」アバウトな採寸とは違う。ミリ単位の精度。
「エリス、頼む」 「は、はいっ!」
ここからはエリスの出番だ。男性の俺が王女の体に触れるわけにはいかない。 エリスは震える手でメジャーを受け取ると、王女の前に進み出た。
「し、失礼いたします……」
エリスがメジャーを当てる。 バスト、ウエスト、ヒップ。 目盛りのついた帯を見て、王女が感心したように声を上げた。
「不思議な帯ね。細かい数字が書いてあるわ」 「はい。殿下の御身体のラインを完璧に把握し、世界に一着だけの『オートクチュール(特注服)』を仕立てるための道具です」
採寸が進むにつれ、王女の表情が和らいでいく。 自分のために、専門的な道具を使って、これほど丁寧に扱われる経験。 それは彼女の自尊心を大いに満たしたようだ。
「……よかろう。ローゼンバーグ商会」
採寸を終え、カタログの中から気に入ったデザイン(真紅のAラインドレス)を選び終えた王女は、満足げに微笑んだ。
「そなたたちを、王室御用達(ロイヤル・ワラント)の『衣装係』に任じる。次回の舞踏会までに、このドレスを完成させなさい」 「はっ。謹んでお受けいたします。……つきましては、一つお願いが」
ここだ。 俺はこの瞬間のために、芝居を打ってきた。
「我々は新参の商会ゆえ、既存の商業ギルドから『誤解』を受けることが多々あります。もしよろしければ、殿下の名において、我々の活動を保護していただけないでしょうか」 「ああ、ベルンハルトのことか」
王女はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「あの男のやり方は、少々目に余る。よい、私が許可証を書こう。ローゼンバーグ商会への妨害は、王家への反逆とみなす、とな」
勝った。 最強の免罪符を手に入れた。 これがあれば、ベルンハルトは手出しできない。むしろ、俺たちに媚びを売らざるを得なくなる。
***
王城を後にした帰り道。 馬車の中で、エリスは魂が抜けたようにシートに沈み込んでいた。
「……し、死ぬかと思った……」 「よくやったぞ、エリス。お前の採寸の手際、完璧だった」 「ケンイチが教えてくれた通りにやっただけよ。でも……」
彼女は顔を上げ、俺をじっと見つめた。その瞳には、今までとは違う、熱っぽい光が宿っていた。
「私、初めて自分に自信が持てた気がする。あの王女様が、私の言葉を待っていた。私を『プロ』として見てくれた」 「ああ。お前はもう、ただの没落貴族じゃない。アークレイア随一のファッションデザイナーだ」
俺は彼女の頭をポンと撫でた。 エリスが嬉しそうに目を細める。
これで王都での基盤は盤石だ。 王室御用達の看板があれば、商品はさらに高値で売れる。 得られた利益で、日本の黒川を追い詰めるための「探偵」や「弁護士」を雇う費用も十分に賄えるだろう。
だが、俺はまだ知らなかった。 王女が注文したドレスのデザイン――それが、日本の「ある技術(ファスナー)」なしでは実現不可能であり、その開発のために、アークレイアの偏屈なドワーフ職人を巻き込む大騒動になることを。
次なるミッションは、「異世界へのファスナー導入」だ。
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