執筆「ノベル」

教師の私は、首をつった生徒を眺めていた。その生徒は前から死にたがっていた。いい生徒なのに。いや、いい生徒だからか。家では虐待をされるらしい。学校ではいじめを受けていた。私だけが彼の味方だった。きっかけはなんだったか。回想して思い出す。そうだ。放課後、たまたま辛そうな顔をした生徒を見かけたから、空き教室を一つ、彼と私だけの教室にした。彼をその教室に呼び出した。

「それで、話って、なんでしょうか。」

「私、今日校門の近くで猫を見かけたんだけど、まあかわいくて。」

「はぁ。」

「私は猫派なの。君は猫派?犬派?」

「…?犬派です。」

「そう。残念。じゃあ私は仕事しなきゃだから、これ教室の鍵ね。」

「え?え?」

私は混乱する彼に教室の鍵を渡し、帰りたくなったときに鍵を閉めて職員室に返すか、私がまた教室に戻ってきたときに返すかするよう伝えて、さっさと教室をあとにした。その日は結局私は少し忙しくて、私がその教室に戻るより先に彼は帰っていた。

次の日の放課後も、私は彼を同じように同じ教室に呼び出した。

「最近寒い日が続くね。」

「そうですね。」

「私、暑い方がまだマシなのよね。夏より冬の方が嫌い。」

「そう、なん、ですね。」

彼は私の意図を探るように相槌をうつ。それが少し面白い。意図なんかないのに。

「そういうわけで、君も体調には十分に気を付けるように。帰るときは教室と鍵は昨日いったようにしてね。」

それだけ言って、私は教室を出た。その日は他の生徒の進路相談があったから、それが終わってから教室に戻る。今度は彼はまだ残っていた。

「先生はなんで僕を呼び出してるんですか。」

「知りたいの?進路の話だよ。」

そう言うと彼はすごく苦そうな顔をして、ため息をついた。勝手に彼はコーヒーは苦手そうだと思った。まああくまでも進路の話とはこの教室を使うための大義名分だけど。彼が進路の話をしたくないのは予想できるし、私だってわざわざ彼のしたくない進路の話をしたいわけではない。それを誤解されるのは心外なので、言葉を続けた。

「君は将来、何になりたかった?プロのスポーツ選手?正義のヒーロー?それとも、パイロット?」

「は?」

「だから。子供の頃の夢の話。男の子って子供の頃、だいたいこの辺のやつを描くんじゃないの?」

彼は意味がわからないと言わんばかりの顔で黙ってしまった。まあ一応は私は進路の話をするという名目でこの教室を使っているので、たまにはそれっぽい質問をしようと思っただけだ。そういう気分だっただけ。この質問をした時点で満足ではある。返事が貰えなかったことを少し残念に思わなくもないけど、彼が話さない分にはどうにもならないので会話は諦めて私は別の仕事を始めようとする。

「僕、は。子供の頃は悪の組織のボスになりたかったんです。」

彼が口を開いたので、私は彼の方を見た。彼は下を向いていて、目は会わなかった。

「ひねくれてるね。私はそういう子供の方が好きだけど。」

「そういう先生はじゃあ、何になりたかったんですか。」

彼が顔を上げたせいで、私と彼の目が会う。はじめて彼は自分から私に話しかけてくれた。

「私?あいにく私は子供の頃から先生になりたかったのよ。」

彼はつまらなそうに「そうなんですね。」と言って、気まずそうに目をそらした。私がつまらない大人に見えたのかもしれない。でも私からすれば大人になるということ自体がつまらないことなので、仕方ないと思う。その日はそれ以降会話はなく、教室に二人、放課後の遅い時間まで静かに過ごした。やがて完全下校のチャイムがなり、私は教室から彼を追い出さなくてはいけなくなった。帰り際、私は彼に言った。

「朝早くからあの教室はなぜか開いてるかもしれないよ。」

「…ありがとうございます。」

次の日から、彼は朝も教室に来てくれるようになった。そのうち彼は私と普通に会話をしてくれるようにもなった。でも話すことはやっぱりどうでもいい話だ。ほんとにどうでもいい話しかしないから、しばらくは彼がなんで辛い顔をしているのかすら知らなかった。私は決して自分からは聞かなかった。そしたらある日、そのどうでもいい話の代わりに彼が勝手に話してくれた。

「先生は、なんで僕を呼び出してるんですか。」

「言わなかったっけ?進路の話をするためだよ。」

「じゃなくて。違うじゃないですか。進路の話だってしないですし。」

「まあ正直に答えて上げるなら、辛そうな顔してたから、かな。」

「その割には、なんでとか理由も聞かないじゃないですか。」

「だって、鬱陶しくない?ただ逃げていたいだけなのに、無理やり向き合わせようとする人。」

私の恩師はそうだった。そのおかげで今があるけど、救われたかと言われたら、難しいと思ってしまう。だから私は、私のやりたいようにする。

「先生前に僕のこと、ひねくれてるって言いましたけど、先生もよっぽどですよ。」

「そうだよ。私はひねくれものだから、ひねくれてる人の味方なんだよ。」

彼はなにか言おうとして、やめたようだった。諦めたように彼が笑う。もっと彼が笑える世界だったら、この世界でも私は生きやすかったかもしれないと思う。

「僕、いじめられてるんですよ。知ってますか。」

「ごめんだけど、知らない。私と君ってこの教室だけで存在してる関係だから、それ以外の君の学校の生活、知ろうと思ったこともないのよね。」

「なんか、まだ関係浅いですけど、先生らしいと思います。話し戻しますけど、いじめられてるんですよ、学校で。それに、家では虐待されてて。居場所がないんです。」

「かわいそう。」

あまりにかわいそうで、私は同情した。かわいそうだからとアメをポケットから取り出して渡すといらないと言われた。かわりにハグをした。今度は拒まなかった。

「なんで私にその話をしてくれたの。何とかしてほしい?」

「いえ。僕はもう、諦めたんです。どうにもなりませんし、どうにかなったところでその後幸せになる未来も想像できません。それに、先生に余計なことされて、失敗されたときの方が怖いです。」

「そう。じゃあ、私はなにもしないよ。今まで通り、この教室は開けとくし、私に時間があるときは話し相手になるくらい。」

「それだけで十分、僕は救われてます。」

私の反応を見て、彼は冷たいと言わなかった。代わりに私が私に冷たいなと思った。それが正解とか不正解とかは考えない。私はまた適当な話を始めた。その日も、その日以降も、私がその話を聞いたからと言って、なにかが変わることはなかった。ただ当たり前に、かわいそうな彼と、先生になった私の日常が続くだけだった。別に私はいじめの生徒を注意するでも、保護者を警察につき出すもしなかった。頼まれたらしてたかもしれないが、彼は特に私にそれを望まなかった。それなのにそれをするのは、先生と言う名前のエゴだと思ったから。だから日常は続いた。好きな本の話をしたり、トランプをしたり、或いはお互いに干渉せず自由に過ごしたり。なにも特別なことはなかった。

日常を先にやめたくなったのは、彼だった。その日はせっかく好きな食べ物の話をしようと思っていたのに、私が口を開くより先に、彼が口を開いた。

「死にたい」

その声には、怒りや悲しみしゃなくて、退屈と飽きが込められているような気がした。勘だけど。

「生きる理由がないから?」

「そうです。生きる理由もないし、生きてても楽しくないです。」

「それ、どっちも同じことじゃない?まあいいか。私がなにか生きる理由を用意するとしても、嫌だ?そのうちなにか楽しいことがあるかもよ。」

「……そうですね、生きる理由が今後できたとしても、自分はたぶんもう心から楽しめないと思うんです。」

「そ。」

外から楽しそうな生徒たちの声が聞こえる。彼は生きる理由のない人の顔をしていた。懐かしい、見覚えのある顔だ。だから、自殺すればいいと助言した。彼は意外そうにこっちを見た。純粋に、ただ意外と思ってるようで、その顔がなんだか面白かった

「生きる理由ないんでしょ。それをとめるほど私はお人好しじゃないんだよね。それに、君が自殺をすれば、君をいじめていた人や虐待していたご両親は辛い思いをするし、世間的にもそういうことに敏感になって、さもするとどこかで君と同じ思いをしている人が救われる可能性すらあるのよ。もともと私も君に素敵な生きる理由を作ってあげれる自信ないし。そんな不確かな生きる理由に縋るよりも、よっぽど現実的な判断だと思う。」

「死んでもいいんですか?」

「なんで私にダメっていう権利があるの。私の仕事は、生きていたら良いこともあるかもよっていうのと、死んでも良いこともあるかもよっていうのを教えるだけ。大切なのは生きるか死ぬかじゃなく、その理由でしょ。その理由を吟味して、何を選ぶのかは君だよ。」

そう言うと、その生徒は私の前で苦笑した。目の縁に涙がたまっていて、それをかわいそうと思うのはきっと、私が幸せだからだと思った。

「そういえば先生って僕のことずっと君って呼びますよね。最後くらい名前で呼んでくれてもいいんですよ。」

最後くらいと言うからには、これはきっと最後の雑談になるのだろう。

「だって私、君の名前を知らないし。」

「知らずに僕のことを救ってくれてたんですか。僕の名前は」

「いや、いい。私は君の名前を知ろうと思わない。私は生徒全員を「生徒」としてみてる。だから名前は聞かない。それに、もし万が一にも同じ名前だったりしたら、運命を感じて生きていてほしくなるかもしれないじゃない。」

私はその生徒の顔を見る。「ゆうり」という名前ではなさそうだなと、とても価値のない偏見を抱いた。

「やっぱり、先生はひねくれてます。」

「…君だって、私と似て、ひねくれてて生意気な生徒だよ。」

その話をした三日後に、彼は私が開けていた教室で首をつった。その生徒を私は眺める。ふと生徒の足元に遺書と書かれた封筒が置いてあるのを見つけて、私はそれを読ませて貰う。遺書には私に救われたと遺してくれていた。彼の決して幸せとはいえないであろう人生で、彼の救いになれたことが、私は嬉しかった。

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