回想9
夏休み明けの学校は話題に富んでいるからか久々に友人と会えるからか、果たして明確な理由はわからないけど、例外なく騒がしい。それを煩わしく感じるのは、学校生活を通して身につけるストレス耐性が、長い休みで鈍るからなんだと思う。コーヒーを飲みたい。
「結莉、おはよ!」
大きく伸びをしていたら、私の姿をみとめたクラスメイトが私に飛びついてきた。
「びっくりした。おはよう。」
私は彼女を抱き返す。ハグという一つのコミュニケーションを覚えたのは、頭を使わないところがよかったからだ。それに何より利便性が高い。そこにみおちゃんが加わって、みおちゃんにつられた取り巻きが数人やってきて、あっという間に私の周りに人間が増える。何も考えずに生きていそうなみんなとのおしゃべりに興じさせられて、なんか日常が始まった気がした。少しだけ、心から楽しそうなみんながうらやましかった。それから間もなくして担任がやってきて、軽くホームルームをすませたあと、私たちは全校集会のため、アリーナへ向かう。先生の自己満足のために開かれるこれが意味のない無駄な時間ということに関しては、珍しく皆に同意だ。休み明けの、緊張感の抜けきっただらだらが整うことなくアリーナに入り、そのまま集会が始まる。ボーッとしてたら終わっている。そんな中で感じた感想と言えば、校長の話は思ったより短かったな、くらいだ。夏休み明けは気が緩みやすいから、メリハリをしっかりつけるようにとか、他校の生徒の自殺があったから、皆も相談事は誰かに話すようにとか、もう進路は考え始めなさいとか、あと部活動の表彰とか、話す内容の多さと下らなさの割にまとめてくれていたと思う。ちゃっかり壇上に登って表彰されていたみおちゃんは、何を褒め称えられたんだろう。うとうとしてたからわかんない。教室に戻ってみんなとおしゃべりしてたけど、相変わらず中身はなかった。と思う。もしかしたら進路の話に感化されて、真面目な話をしていたかも。相づちをうつのに慣れすぎて、私はみんなの話を聞けなかった。まあ聞いてても大した感想は抱けないんだろうけど。そんな上の空の私は何を考えていたかというと、校長がちらっと話してた、自殺した人のことを考えていた。自殺してしまった男の子の生きる理由は、何だったんだろうかと。そんなことを夢想してたら学校が終わってて、皆が私にじゃあねと手を振ってくれた。私はそれに手を振り返すのが億劫だった。
暑かった。9月に入っても続く残暑は私の業を燃やし続けて、汗が額から滴り落ちる度に、バタフライエフェクトとやらで私が死んだりしないだろうかと思った。あるいは世界が滅ぶとか。こじつけがすぎるか。いつの間にか習慣化されていた日曜日の午後1時からすでに2時間が経過したけれど、先生も誘拐犯も私を心配して声をかけてくる変わり者も、誰も表れなかった。今日、そういう偶然は行われなかった。私は重たいカフェの扉をあける。店員さんに「いらっしゃいませ、一名様ですか?」と声をかけられて、ようやく自分が一人であることに気づいた。私が頷くと、店員さんはカウンターの席に案内してくれた。広げたメニューは思ったより種類が多くて、世界の選択肢が増えた私は万能感に溢れ、今ならカプチーノだって注文できる気がした。せっかくなにを頼むのか決めてたのに店員さんが気を利かせて「ご注文はお決まりですか」と聞きに来るまで自分で呼び鈴を鳴らさなかったのは、単純に、そうする必要があることを忘れていたからだ。今まであまりにも先生に頼りすぎていた証拠かもしれない。カプチーノと、それから小さいチーズケーキを注文して、店員さんを見送る。あ、今の店員さん、たまに見る可愛い店員さんだ。厨房に消えていく店員さんの後ろ姿に、ふとあの店員さんの生きる理由を考える。あの人は、明日も生きているんだろうか。また別の日も、こうしてお客さんに注文を聞いてくれるのだろうか。考えてみたけど、カプチーノを持ってきた人が別の店員さんで、考える気持ちが萎えて辞めた。そうしていつもと同じように、原稿用紙と筆記具を広げる。机が広く感じる。一人の方が集中できる。強がりでなく、本心でそう思った。筆が簡単に走って、まるでそれが先生がいなくても世界がまわる証明のようで嫌だから私は今書いた描写を没にすることにする。いつもと違う飲み物を飲んだ感想としては、コーヒーとは思えないほどまろやかだなと感じた。子供の私でも飲みやすいと感じるなんて、よっぽどだ。飲みやすすぎて、もう頼まないだろうなと思う。私たちには似合わない飲み物だ。風味づけに足されてるココアパウダーが甘い。じゃあココアでよくない?改めてもう一口啜る。強がる必要のない私は、今はそのカプチーノを素直に美味しいと思うことにした。飲みやすいせいで思いの外早く飲みほしてしまってのに、先生といるときより小説が書き進んだのは、書きたい小説が決まったからだ。先生のせいではない。だから、気にやまないでほしかった。先生も、私も。飲み物がなくなったのに長居するのも申し訳なくて、私は伝票をとって席を立った。
「ただいま。」
私がそういうと叔母さんと叔父さんは優しく微笑んで、それから「おかえり。」と声をかけてくれた。これが家族というコミュニティの本来あるべき姿で、この状態を維持することが、いわば正解なんだと思う。私が今日の夜ご飯を聞くと、叔母さんは得意気に献立を教えてくれた。聞いといて申し訳ないけど、あいにく今日の夜ご飯には興味がなかったので、料理名は右から左に流れた。私が手を洗っている間に料理は皿に装われていて、まるで私が甘えているみたいだなと思った。嫌だった。カレーうどんらしい。夜ご飯は。そういえば昨日の夜ごはんはカレーだったな。私が席についていただきますというと、叔父さんが、カレーがはねてしまうかもだから気を付けてと言ってくれた。私は身を純白のドレスにでも包んでいるのだろうか。そうだったらもっと楽に生きられたかもしれない。言われた通り慎重にうどんをすするけど、どうあがいても少しは跳ねてしまう。食事の難易度があまりにも高くないだろうか。神経を使いすぎて、消費カロリーが摂取カロリーを上回りそう。痩せれるだろうか。慎重に食べたせいで必要以上に食べるのに時間をかけてしまったけど、何とか被害をほぼ無しで食い止めた私はやや満足して食器を片す。「ごちそうさまでした。」私がそういうと、叔母さんが嬉しそうに微笑んだ。さっきもその顔じゃなかったっけ?私は多分確実に、栄養を消費して大人へと成長していた。別に何も嬉しくないから微笑めない。今日はもう眠たかった。自分の部屋に入って原稿を広げたけど、集中できない。この小説は、私の生きる理由になっているんだろうか。どちらかというと死ぬ理由な気がする。一度はじめから読み返してみて、どうしても泣きたくなった。この小説を読む人はなんて思うだろうか。生きたいと思うだろうか。死にたいと思うだろうか。私の小説に、人の心を動かすほどの価値なんてないんだろうか。それどころか読むほどの価値もないかもしれない。一度わいた負の感情はとめどなく溢れ続けて、心の内側を塗りつぶした。せめて、先生くらいは読んでくれないだろうか。せめて、私たちくらいは、いい小説だと胸を張れるような小説になったりしないだろうか。それを決めるのが私の生きる理由なんだと思うと、否応なく、ペンを握るしかなくて、私のせいなのに泣きたくなった。
私は今日もいつものカフェに来てた。別に先生を待っている訳じゃない。いつも通り、なんとなく来ただけ。先生なんか探してない。だからって訳でもないけど、陽炎に揺られたその人を先生だと認識するのに、幾分か時間がかかった。少し盛ったけど、それくらいまでに私の脳は先生を先生と認識しなかった。これは別に夏休み明けのボケとか、先週ここにこれなかった先生への一種の皮肉とか、そういうわけではなくて、単に先生がそういう顔を作っているのを見るのが初めてだったということだ。怒り、悲しみ、自己嫌悪。顔色だけで負の感情がここまで鮮明に読み取れるのは先生の才能か、私の才能か。それとも私と先生の付き合いの長さ故か。私はのどが渇いた。
「...お待たせ。先週はごめんね。」
いつも私より先について待ってくれている先生は、私たちのなかで恐らくはじめて「お待たせ」と発言した。
「別に。思い出してください。私たちは約束してここで待ち合わせてるんじゃなくて、お互いのために勝手にここにきて、たまたま居合わせてるだけです。今日も、私は自分の気分でここにきて、いつ入るか考えてたらたまたま先生と合流しただけです。」
苦しいなと思った。言い訳じゃなくて、呼吸が。
「そっか。ありがとう。」
私たちはお店にはいる。その一瞬でさえも先生は透明で、こんな弱々しい先生を見たくなかったと思うのは、私の我が儘なんだろうか。店員さんの案内で席に着いた私は、その場で有無を言わさずコーヒーを2つ注文する。先生は少し驚いた顔をしていたけど、もしコーヒーの気分じゃなかったのなら私より遅く来たことのペナルティということにしてほしい。
「このコーヒーは私の奢りです。勘違いしないでほしいのですが、これは別に私の気分がいいからとか、今までの借りを返すとか、ましてや先生を慰めたいからといった自己満足的意味はないです。いや、まあ自己満足ではあるのですが。以前話しましたが、私は気分がいいとき、自分で自分に奢ることにしてるんです。なら、今気分が曇っているであろう先生は、自分で自分にお金を払うべきではないと思っただけです。」
屁理屈だなと思った。実際屁理屈だったし。でも先生は少し表情を緩めてくれて、それを私は嬉しく思ってしまった。運ばれてきたコーヒーを無糖で飲んで、コーヒーという飲み物は苦いんだなと思った。だからこの苦味は、先生の歪んだ顔のせいではない。決して、先生のそんな顔を見たくなかったという私の思いのせいであってはいけない。私たちは日の当たりの良い窓際の席に案内されていて、温かな陽光は先生から伸びる影を作った。あと少しでも伸びたら、私の身体を貫きそうだ。私は一度まばたきをする。
「俺の生徒が、さ。」
先生が話し始めたことで、私は先生が話を始めたことを理解する。この物語の終着点がバッドエンドなことくらい、今の私でもわかる。
「俺の生徒が、自殺したんだ。」
「はい。」
その話は、仄かに陽気の漂う日曜のカフェで話すにしてはずいぶんと場違いだった。それを私は恐ろしい程冷静に聞いていた。なんて、その言葉にあまり驚かなかったのは、私が驚いたからなんだというのだと思った部分があったからかもしれない。別にその話は私の話ではなくて他人の話なので、こんな驚いてあげるべき、みたいな考え方をする必要はないのかもしれない。でも、他人の私の話を聞いて涙を流した人が相手だと思うと、どうにも私が冷たい人間であると感じる。冷静の字に冷たいという文字が使われているのは私みたいな人のせいかもしれないと思った。
「その生徒はいじめられてたらしいんだ。遺書にそう書いてあって。気づいてあげられなかった。いい生徒だったんだ。ほんとに。俺によくいろんなことを聞きに来て。」
いい生徒だったんだろう。いじめられて自殺をするくらいには。こればっかりは皮肉じゃなく、心からそう思った。きっと私みたいに、生きる理由とかを先生から教わろうとしたんじゃないか。私はその生徒に想いを馳せてみる。先生に会いに行く生徒の姿を簡単に想像できてしまって、それがなんだか苦しかった。先生はおもむろに一枚の写真を取り出す。ちぎられた紙に書かれてる、文字列。それを先生が遺書と呼んだ。立派にならんだ文字列を見て、遺書というのはきっとその人の人生をかけた小説なのかもしれないと、不謹慎にもそう思った。
「気づける機会はいくらでもあったはずなのに、俺はそれに気づいてあげられなかった。それどころか、。」
途切れた言葉の先は、遺書を見てなんとなくわかってしまう。先生の握っている拳に力が入るけど、結局それは行く場所なんてなくて、そのままただ力なく開く。苦い顔って言うのはこういう顔なんだなと思った。気まずさを隠すためにコーヒーを飲むけど、私の作った苦い顔はコーヒーのせいにしかならなかった。
「なあ、俺はどこで間違えたのかな。どうすれば彼を、救えたんだろうか。」
先生は今にも泣きだしそうで、それを美しいと表現したくなる私は作家としてあまりに平凡だ。その質問は多分私に聞きたいんじゃなくて、その自殺した生徒に向けられてるんだと感じた。私の胸に、ほんの少しばかりの、でも確実な、嫌悪感が生まれた。だからこそ、私は真剣な答えを答えなければいけなかった。
「先生は何も間違えてないですよ。今回のは先生のせいじゃないです。それに、今まで先生のおかげで救われた人もたくさんいると思いますよ。その生徒さんだってきっと。」
「俺は誰も救えてなんかいないんだ。その生徒も、俺が殺したようなものだ。」
「別に、考えすぎですよ。先生のせいじゃないです。」
「誰も救えない俺が、生きていていいのだろうか。」
「そんなこと言わないでくださいよ。少なくとも、私は先生にいろいろなことを教わりましたよ。十分すぎるほど、救われています。」
「……そう言ってくれると報われるよ。」
先生は一度まばたきをする。閉じた瞼の裏に何が見えるだろか。コーヒーが少しづつ冷めていく。先生は私に何を求めてこの話をしてくれたのだろう。先生が私の先生だったから?私が先生の生徒でなかったから?私と先生が、そういう会話をできる関係だったから?もしかしたら、誰でもよかったのかもしれない。逆に私は、何を求めて先生に慰めの言葉をかけたのだろうか。先生のまばたきが終わった。長い長い一瞬だった。その顔は、もういつもの、見慣れた顔だった。
「いや、ごめんね。君にこんな話をするべきじゃないのにね。しめっぽい話をしてしまって。もう少し、頑張ってみるよ。」
私はそれを空元気と呼ぶことを知っていた。あるいは、虚栄とも。私は先生のことをこの瞬間、かわいそうと思ってしまった。苦いコーヒーを飲むテーブルが私と同じになった。でも、いまの先生にそれを追求するのはあまりに残酷で、私のしたいことではなかったので、仕方なく「頑張ってください。」と話題を締め括った。この物語の終着点がバッドエンドなことくらい、私でもわかる。
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