回想4

 先生に勉強を教えてもらうに伴って、最近わからないことが増えた。これについて、単純に私の勉強が不足しているのか、私が私の知識外に興味をもつことが増えたのか、私が私の無知を自覚しただけなのかは定かではなかったけど、先生が原因だと言うことだけは無知な私でも少し考えれば十分に理解できた。頭を使うなんてこと、本来は私の得意分野ではないはずなんだけど、最近目にした本曰く「神は人類を平等に作っている」らしいので私に限らず誰の得意分野でもないのかもしれない。ちなみにいくら私が変わった人間とはいえ、この本を読んでそんなことあるわけないと思った人は私だけではないはずだと思っている。先生ですら私に同感してくれそうだ。話がそれたけど、つまり私がなにを言いたいかって言うと、

「私ってなんで生きてるんですか?」

私の思考は原点に回帰した。やっていた理科の問題は解き途中だったけど、私は疲れたからこれでおしまいといわんばかりにペンを雑に置いた。

「まだやりたいことは見つからない?」

「そうですね。ちっとも。だからお願いしてるんじゃないですか。私の生きる理由を教えてくださいって。」

ふてくされた私は少し前に空にしたジュースのグラスの中の氷を口に含んで噛み砕く。夏の味がしたのは流石に気のせいだと思った。

「うーん、難しいなあ。」

先生はわざとらしく思案の声をあげる。難しい顔をしながらコーヒーを飲む先生は様になっていて、中学生わたし大人先生の差を感じさせられた。

「まてよ?君小説書いてるんだよね。それは?」

なんで思い付かなかったんだろうという調子で先生は顔を上げた。一瞬だけなんでそのことをと思ったけど、そういえば先生には私が自分で小説を書いていることを伝えたことはあった気がした。先生が私の先生でいてくれる恩に対するお礼というか、誠実さのつもりで話したのだ。それがわかってなお、先生が何を言いたいのかわからない。

「はあ。つまり?」

「だからさ。君の人生に悔いが残らないほどの超大作の小説を書くことさ。それを君の生きる理由にしたらどう?好きなんだろ?小説を書くの。」

優しい顔をしている先生はきっと私の弱さを高尚なものか何かだと勘違いしていて、残酷な価値観の違いに私は先生と目を会わせられずに逸らす。

「確かに嫌いではないですけど。あれは別に他にやることがなかったから作った逃げ場所で、胸を張れるような高尚な理由で私は書いてません。」

「それでもいいじゃん。理由なんて重要じゃないのさ。それが何に結び付くかが大事なんだよ、きっと。まあ、選ぶのは君だけどさ。」

卑怯にも先生は理想の先生で、それ以上は私になにも言わず、かわりに店員さんにケーキを注文する。先生が甘いものを頼むのを見るのはこれが初めてで、でもケーキを上品に口に運ぶ先生はわりと簡単に想像できたのでたまたま機会がなかっただけで以外とよく頼むのかもしれないと思った。運ばれてきたショートケーキはきちんと甘そうで、美味しそうな糖分に富んだそれを口に運ぶ先生はやっぱり様になっていた。そういう感想を抱きながら眺めてたら何を勘違いしたのか先生は私にケーキを一切れ寄越して「一口食べる?」と微笑んだ。

「では遠慮なく。」

先生から向けられたフォークに突き刺さったケーキを一口でたべる。舌の上に乗ったケーキは当然のように甘くて、変に頭を使う会話の休息には持って来いだった。

「甘い、ですね。」

「そりゃ、ケーキだから。」

「…とりあえず一つ、小説を書き終えてみます。」

甘い以外の感想が特に出てこない。仕方なく溢した会話の流れを全て無視した私の決意に、先生は「そうしてみるといいよ」と相変わらず優しそうな顔で微笑んだ。珍しく、腹は立たなかった。

 先生は知らないと思う。私に友人がいることを。先生は知らないと思う。私が、学校では普通の人間であること。

「ゆーりちゃん、何してるの?勉強?」

休み時間、いつまでも机とにらめっこをしている私に、クラスメイトが訪ねる。正直に答えるか一瞬だけ迷ってから、「宿題してたの。」と答える。原稿用紙は、咄嗟に隠した。

「なんか宿題あったっけー?」

「今日の数学のやつ、やり忘れてたの。でももう終わったから大丈夫。」

「あー、数学ね。坂本、宿題多いよね。マジキモイ。」

宿題の多いこととキモイことの因果性が私にはわからなかったけど、それがみんなの模範解答であるらしくて、私も「わかる。」とうなずいておいた。みおちゃんだけはニコニコしながらも相づちを打たなかったことに気付いたのは、私だけだと思う。やがてチャイムがなり、噂の数学教師がやってくるのを皮切りに私は平和を取り戻し、再び小説を書き始めた。真剣に机に向かっていたはずなのに、ノートも原稿もぜんぜん進まないままもう一度チャイムがなり、今日の学校の授業は終わりを向かえた。ようやく授業を終えたクラスは今日一日を乗り越えた安堵の息に包まれていていて、どうせ明日また授業があるのに寿命を一日分消化したことのなにが嬉しいのだろうかと思った私はもしかしたら今クラスで一番生きることに理由を持っているんだと思った。それくらいには私は先生から私の生きる理由を貰えたことが嬉しかったのかもしれない。他の人がじゃあねと帰っていくなか、私は日直の仕事をしているみおちゃんを、小説の続きを書きながら待った。いや、みおちゃんが思いの外すぐ仕事を終わらせてくれたせいで構想を練るだけで時間は使いきったので、書きながらというよりかは考えながら待ったの方が適切な表現かもしれない。

「お待たせ。」

「私、みおちゃんを待ってるなんて言ってないよ。」

「ひどいなぁ。どうせ私を待って残ってくれてるくせにー。」

ちょっと意地悪を言ってみるけど、見透かしたようにみおちゃんはニヤニヤしながら私の頬をつつく。私の唯一の友達の彼女は、もしかしたらどこか先生に似ているかもしれない。気のせいかもしれない。みおちゃんは委員長だからか優等生だからか、担任にとても気に入られている。それはきっといいことなのだろうけど、そのせいでたまにこうして遅くまでいろいろ仕事を任せられることがある。そういうとき、たいてい私たちは誰もいなくなった放課後の教室で、こうやって雑談するのだ。

「小説?書いてるの?」

みおちゃんは私の机の上に広がっているほぼ白紙の原稿を見て、私に小説を書いているのか聞いてくれた。それが嬉しくて、悔しかった。

「そう。」

「私には隠さなくてもいいの?休み時間、みんなの前では誤魔化してたじゃん。」

「それは本気の質問?それとも意地悪の質問?」

「半々~。」

先生のようにニコニコしてるみおちゃんに私は「隠さないよ。」と一応答えといた。

「そういえば、みおちゃんは数学の先生、キモいと思わないの?」

「それは本気の質問?それとも意地悪の質問?」

「意地悪の方。」

「ゆうりちゃんが思ってるのと同じくらい、思ってるよ。」

みおちゃんは、私と同じくらいと答えてくれた。なら、勉強が得意なみおちゃんも少しは宿題をめんどくさいと思っているのだろうか。私は「みおちゃんのそういうところが好き。」と返した

 「先生は宿題をだしますか?」

私は伸びた髪の毛を指でくるくるとひねる。そろそろ髪を切らなければ。

「え、そりゃまあ。なんで。」

先生は質問の意図がわからないようで、斜めに首を傾けた。私は親切なので、先週知ったことを教えてあげようと思った。

「それなら生徒にキモいって後ろ指を指されないよう気をつけて下さい。どうやら私の周りでは、宿題をたくさんだす先生はキモいらしいので。」

「ああ、なるほど。じゃあ気をつけないとな。」

先生は面白そうに笑う。私の意地悪な親切心が指摘した事実は、先生の然したる問題にはならないらしくて、そんな大人の余裕が腹立たしい。

「ちなみに見ず知らずの女子中学生と躊躇なく一緒にカフェに入って奢る先生は私の周りは愚か、多くの世間から見てもおそらくキモいに分類されると思うので手遅れかもですけど。」

「最近選ぶ言葉が鋭くなってない?そんな変な言葉選びばっかり成長して、ろくでもない大人にならないでよ?」

私の攻撃に先生はわざとらしく少し不服そうな顔を作り、それから笑った。悲しくなるくらい先生と私には差があることがわかって、苦い気持ちになる。タイミング良く「お待たせしました」と店員が運んできたコーヒーに先生は珍しく角砂糖を入れて、手元のスプーンでカチャカチャと混ぜた。先生と目が合うと先生は「たまにはね」と目を細める。先生がブラック以外のコーヒーを口にするのも、そんな顔をするのも新しい発見だった私は「なら私もココアとかにすればよかった」と思いながらコーヒーを啜る。ブラックのそれは当然苦くて、それでもブラックコーヒーすら飲めないろくでもない大人にならないよう、今日も精一杯強がった。

「私たちはそうならないので大丈夫です。」

ほとんど無意識のうちにでた複数系は先生にとって触れるほどのことではなかったのかそれとも単に気付かなかったのか、特にリアクションなく「それは良かった」といつも通りの顔で笑ってくれた。

私の勉強と宿題のちょっとした近況報告、それからついでに学校のちょっとした愚痴が終わると、今度は先生が最近あった面白い話をしてくれた。

「この前生徒が花について話してくれたんだ。そいつ、ここ最近めちゃくちゃ勉強を頑張っててなー。最近メキメキと学力を身に付けてる。やっぱり教師としてそういうのを見てると嬉しくなるよなぁ。」

まるで教師仲間に語りかけるように私に話しかけてくれる先生に「やっぱりそういうものですか?」と小首をかしげると「もちろん」と先生は親指をたてた。それなら私も、先生が嬉しくなるくらいには勉強を頑張りたいかもしれない。

「それで、昨日その生徒が、その花の押し花の栞をくれたんだ。見てくれよ。」

先生が鞄から取り出した栞はいかにも手作りといった感じの謙虚な栞で、でも、素敵な栞だった。

「きっとその生徒は、先生にたくさん救われているんだと思います。」

ガーベラの花があてがわれた栞を見ながら私はそう呟いた。難しそうな顔をして、先生は頭をかく。その表情がどういうものなのかの興味は私にはなくて、どちらかというと今は珍しくその生徒の方に興味を持った。栞ということは、その生徒も本を読むのだろうか。なら、どんな本を読むのかだろうか。私は二口目のコーヒーを飲む前に、コーヒーに角砂糖を溶かすかどうか迷う。でも今さら溶かすのは、ブラックを飲むのは強がりですと公言してるような気がして、やっぱり私は苦いのを飲み込んで涼しい顔を繕うことにする。飲む度にマシになっていくよう感じるのは、私の退化なのだろうか。それとも、希望的な錯覚なのだろうか。少なくとも、これを成長と呼ぶ気にはなれなかった。

 家に帰る帰り道にも、開ける玄関の重さにも、最近違和感を感じることはなくなってきた。これは成長と呼べるかもしれない。私は鍵を回して玄関の鍵を開ける。

「おかえり。」

叔父と叔母はなんの心境の変化か、学校をサボったあの日以来私におかえりを言うようになった。最初それは当てつけとばかり思っていたけど、どうも声色の感じからしてそうではないらしい。じゃあ何なのだろう。単純に特段なにかを考えているわけではないのだろうか。はたまた今更私と向き合おうとでも思っているのだろうか。後者ではないと思うし、そうであってほしくないとも思う。まだ「ただいま」と答えるのに十分な理由を見つけていない私はそれでも無視はできなくて、かすかに首を上下に動かして答える。この中途半端に善人ぶってる自分が一番嫌いだ。やめてほしい。夕ご飯のハンバーグに腹いせにケチャップをたくさんかける。もはやケチャップの味しか感じなそうなそれを「あかいなー」と思いながら口に運ぶ。塩分過多で死んだらさすがに先生に謝ろうと思った。そんな適当な食事中に、ふとテレビのニュースが耳に入る。子供の自殺者数が近年急増しているらしい。理由は多岐にわたるにしろ、自殺志願者はどうやら私だけではないらしい。わずかに仲間意識を感じたが、よく考えたら私は今はむしろ小説を書き終えることに対して努力をしてしまっているので、すでに仲間に入れないのだと思い出す。ならせめて、自殺志願者には生きる理由か、それとも死ぬ理由でもいいから見つかってほしいと私は切に祈った。興味本位で実際の数はどれくらいなのだろうかと思う。生憎ニュースで具体的な数を知ることはできなかったので先生に聞いてみることにした。答えないだろうな。嫌な顔をしてくれるだろうか。案外、ただの事実として教えてくれるかもしれない。ありたいなニュースキャスターの言葉でその話は締められたので、一時いっときだけでも自殺志願者だった私の方がいいコメントできそうだなとテレビから興味を失くす。それか、先生なら優しい言葉を選んでくれそうだ。早く小説の続きを描きたかった私は消化に良くない速さでごはんを食べ終え、足早に自分の部屋に戻った。ドアを開けて、さすがにきたないなと足場の失われた部屋を見て思った。床を見ると、中途半端な文字たちの黒が気持ち悪いくらいばらまかれていて、最近異常な速さで生まれては死んでいく紙とインクの家具たちに、私は物事のありがたみの価値を今一度見つめなおすべきかもしれないと思った。

「…今日は片付けかな。」

独りごちることでやる気が出ない私を無理やり奮い立たせる。手始めにと無造作に散らばっている原稿用紙を拾い集める。幼いころから積み上げてきた借金が何枚あるのか気になって数えながら集めてたけど、八十後半を超えたくらいで今が何枚目なのかわからなくなり、飽きてきていたことも相まって諦めた。ようやく集め終わった用紙はとてもな量で、これだけの没を作ってきた私を尊敬すべきか嘲笑すべきか迷う。紙って分別はどうすればいいんだろう。ビニール紐でくくるとか?私は原稿を整理しながら考える。没の原稿なんて生きる理由のないごみで、それを見るなんて傷をえぐる行為だとしか思っていなかったけど、蓋を開けてみると意外と懐かしくて、自分の成長もわかって面白かったので存外に致命傷にはならなかった。昔の小説はどれも私が無償の愛を欲した末の現実逃避を綴った小説ばかりで、とても私の生きる理由には足りえないものばかりだ。ふと、大量のごみを前に急な尚早に襲われた。こんなものじゃだめだ。まだ足りない。もっと書かなきゃ。早く私が、先生が、認めてくれるような小説を。私の生きる理由の賞味期限が切れる前に、早く。なにかに憑りつかれた私は、それらをさっさと部屋の隅に適当にまとめ上げて、机に向かった。当然、原稿を踏むことはなかった。

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