天気姫が笑ってる

不二原光菓

天気姫が笑ってる

 螺旋階段を登りきると、眼下に広がるのは緑の大地。

 その中にところどころ人口太陽に照らされた色とりどりの点が煌めいている。

 地上から1.2kmも離れれば、ただでさえ小さな入植者用住居なんて色の付いたビーズにしか見えない。かろうじて庁舎や防衛施設が建物らしいとわかるくらいだ。


 この星はまだテラフォーミングの真っ最中。ただ、居住用ドームは徐々に広げられて、今では山も川も網羅するほどの広範囲に及んでいる。

 住居が集まった場所の近く、緑の濃い四角が整然と並んでいるのは新田しんでん。ここは潤沢な地下水を利用した入植初期からの歴史のある水田だ。居住区のはずれに突き出た小高い丘は、あたしたちのご先祖が初めて降り立った初端しょっぱな


 そういえば昨日、年の離れた姉の小さな双子が地名調べの宿題をやっていたっけ。日系の入植地は漢字があるから彼女たちは地名を読むのにいつも苦労していた。


「おばちゃん、これはなんて読むの?」


 姪御たちが指さした漢字の横につけられた画像には地域のシンボルである古ぼけた高い金属の柱が写っている。


「この地域は『雷針らいじん』っていう名前なの。この塔は避雷針。でも、まあ旧式の奴だし、念のためって感じかな。第一ここではほぼ必要ないし」


 落雷なんてここでは数回しか見たことがない。いずれも前の管理官の時だ。


「あたしは雷みたいな危ない現象を起こすなんて、ヘマはしないから大丈夫」

「すごーい、みどりおばちゃん」


 記憶の中の姪御たちが拍手してくれたところで、さ、今日も仕事にとりかかろうか。

 あたしはピッタリ閉じられた目の前のドアに声をかける。


「ハロー、天気爺さん」


 まるで渋るかのように扉がガタガタと揺れた後左右に開く。足を踏み入れると、すぐさま背後で扉が閉じて、いつものように目の前にもう一枚の扉。


「ちょっと音声照合したんでしょ、これも開けてよ」


 いつものように文句を垂れると、面倒くさそうに目の前にぼさぼさの長い白髪と顎から白髭を垂らした着物の爺さんが現れた。


「うるさいな、M2cドームでのテロを忘れたか。知った顔でもチェックは手を抜かんぞ」


 促されるまま口を開ける。横合いから出てきたロボットアームが綿棒で口の中をなぞる。


「これ、気持ちが悪いんだよね。他の手段はないの?」

「口腔内の細胞はターンオーバーが早いから、偽造しにくいんじゃ。皮膚を削るったって、だいたいお前さんは人工皮膚じゃろうが」


 DNA解析の結果が出たのか、目の前の二つ目の扉がきしみながら開いた。ここからやっと屋根裏に入れる。そびえ立つほぼ垂直の階段梯子を秒で上がると目の前にはすでにさっきの爺さんが立っていた。


「また駆け上ってきたのか? ムテキ」


 私の額の汗に気が付いたのか爺さんがあきれたような声を出す。


「ええ。重力が低いから人工筋肉だって鍛えなきゃ委縮するのよ。あ、私のことはちゃんと霧笛むてき天気管理官と呼んで。呼び捨てにするのは失礼よ」

「お前さんだって、わしのことを爺さんとしか呼ばんじゃろうが。恐れ多くもわしはこのドームの生命線を握る天気調整機構AI、ウェザーコントローラーなんじゃぞ」

「それに指令を下すのが、この私です」


 足の下にうねるホースにAIロボットたちが修復材を塗布している。ここは二重になったドームとドームの隙間の空間で、通称『屋根裏』と呼ばれている人工的に天気を作り出す重要な施設だった。

 人工太陽や人工降雨で天気を演出し、気温の調節で風を作ることもある。それにこの爺さん、子供たちの要望があれば虹を作るぐらいの芸当はやってのける。


「なあ、霧笛管理官、見ての通りここのメンテナンスが急務なんじゃが」


 テラフォーミングをした惑星のご多分に漏れず、見てくれは最新設備風だが、裏は前時代的な安普請だ。実際散布用ホースは傷んで、照明具もひびが入ったり曇ったり、入らなくてもいい年季が入っている。


 でも、屋根裏に巡視に来るとほっとする。


 下では慇懃無礼な受け答えしかしないウェザーコントローラーが、ここで私と二人っきりになると妙に親近感のある爺さんの姿で出てくるからだ。

 直接脳に埋め込んだデバイスで会話していたら、いらないことまで伝わってしまったパーソナライズされたようで、数年前から出現したこの爺さんが妙に馴れ馴れしくて面白い。

 まあ、名前を付けてVR機能を持たせたのはこの私なんだけど。

 という訳で、ここは何かとうるさい地上から逃れてリラックスできるあたしにとって憩いの場所だ。


「天気管理官殿、入植管理局に量子通信で必要物品目録を送ったはずじゃが」


 恨みがましい口調で爺さんが畳みかける。礼儀はなっていないが、爺さんはAIだけあって真面目なのだ。


「ああ、入植管理局から予算がないって一言のもとに断られたわ」

「わしらには人命第一とか言うくせに、こちらの要望は全然聞かん、くそじゃな」


 口が悪いのは決してあたしの影響じゃない。って、多分……ね。


「何よりも優先なのが、散布用薬剤じゃ。聞いておるだろうが、メンブレンに感染が起こり脆弱になっておる」

「ああ、あれね。防衛局にも急がせるように言っているんだけど……」


 顔を真上にあげれば、透明なドームを通して薄い緑色の空が見える。実はこれは空ではない、火星ほどの大きさのこの惑星に大気をとどめるためのメンブレンシート、すなわち一世代前に流行ったテラフォーミング用宇宙藻類で作った膜だ。

 こいつらがすっぽり星を覆ってから、大気が留まり居住ドームから外の場所にも地球系植物の何種類かが定着するようになった。膜には微細な孔があり宇宙と交通し、呼吸するように大気を絶妙に調節してくれる。

 藻類は自然に増えてメンテナンスもほとんど必要ないが、唯一宇宙ツボカビの感染には弱い。感染したところは急速に穴が拡大するというほどではないが、年単位の放置をすると危険な状態になることもあった。


「言ってもまだ脆弱なのは直径5メートルぐらいの範囲でしょ。宇宙藻類は繁殖力もあるからしばらくは拡大と収縮をくりかえすわよ。さすがに半年もたてば入植管理局も抗真菌剤を送ってくれるでしょう」

「メンブレンは、宇宙からの微小隕石やそれについてくる病原菌を撃退するバリアーの役目もあるんじゃがのう」

「確率的に考えれば、ピンポイントで脆弱な部分を抜けてくるわけないわよ。狙ってこない限りはね」


 そう言った瞬間、まるでバチが当たったみたいにドーム中にアラートが鳴り響いた。





 数時間後、私は防衛局に呼び出されていた。大騒動だったドーム破損部の応急処置がひと段落したらしい。


「いったいなんなんだ、これは」


 知っているくせに認めたくないのか、単に難癖をつけたいのか、目の前に座る局長は高圧的に何度も繰り返す。


 スクリーンの前には、ドームのはずれの雑草が茂った空き地が映し出されている。その真ん中に大きな異形の怪物が鎮座していた。

 その怪物は履帯キャタピラでできたトカゲのような形で、頭部の横から両目が飛び出し、人間の足が三対体の横から生えている。それらはだまし絵で有名な地球時代の画家エッシャーの描くカールアップによく似ていた。いや、模して作ったとしか思えない姿だ。誰かが禁止されている人工生命体生成技術を使って誕生させた怪物に違いない。


 その周囲には情報収集をするドローンがうるさく飛び回り、地上防衛隊のAIロボット兵士が取り囲んでいる。

 最初は怪物は小さかったが見た目が可愛いのでみな破壊せずにいたところ、急激に増大しいまや全長10メートルはあろうかという巨大な図体となっている、とニュースが伝えていた。


「防衛局長、こんなところでのんびり原因追及なんかしてないで他にやることがあるでしょう」


 予想した謝罪と違っていたんだろう、あたしの尖った視線から逃れるように相手の瞳がうろうろと動いた。ざまあみろ、相手が悪かったね。


「へ、辺境宇宙軍には連絡したぞ。だが、来るのに2日はかかるということだ」

「2日も?」

「すでに住民の地下施設への避難はすんだし、AIロボット兵士部隊が動いている、これくらいの大きさなら奴らが何とかしてくれるだろう」


 一瞬、姉夫婦と姪御たちの姿が脳裏をよぎる。この件をなんとかしないと彼らにまで害がおよんでしまうだろう。残念ながら保身一辺倒のこいつには到底任せておけないことがよくわかった。

 局長は、本題を思い出したとばかり咳払いをする。


「で、天気管理局はメンブレンの穴についてどう責任を取ってくれるんだ?」

「はあ? 職務範囲について記載してある行政文書をよく読んでください。メンブレンの管理は防衛局の仕事です。あなたたちが手を抜くから仕方なく私たちが補修していたんですよ」

「そ、それならそうと……」


 何度も言いました、通話内容も保管しています。と返すと、私の剣幕に気おされたらしくブルドックみたいな顔をゆがめて何かごにょごにょと言い出した。

 小娘だと軽く見てこちらに責任をなすりつけておけばいいなんて、馬鹿にするのもいい加減にしろ。

 こいつら百年の平穏にすっかり身も心も緊張感をなくしてしまったようだ。


「情けない。責任逃ればかり考えて……入植当初、命がけでこの星を管理してきた先祖に恥ずかしくないんですか」

「こんなケチな入植計画を立てるから、数百年たってもメンテナンスさえ自前でできない貧乏星なんだよ。ふん、何が霧笛むてきメソッドだ。霧散のまちがいだろう」


 あたしの先祖が入植計画の立案からかかわってきたのを知っているのか、厭味ったらしく局長が悪態をつく。


 霧笛メソッドは焦らずに天候を調節しゆっくりと土壌微生物の安定と植物相の充実をさせて地面の力をつけてから、徐々に入植地を広げていくやり方だ。時間はかかるが、完成後には入植地としての高いポテンシャルが見込めるという利点があった。

 人工肥料を多用して収益化を急ぐ他の入植地とは一線を画しており、そのため辺境の貧乏星のレッテルが貼られて久しい。もちろん、こんな入植地にはろくな人材も集まらず、この体たらくに陥っている。


 だから、あたしはどんなに薄給でブラック職場でもこの星の根幹である天気調節局に勤めることにした。たとえどんどん人が辞めていっても、ね。


 『霧笛』という私の苗字は祖先がこの星に移住した時から新たに使っている。光が届かない濃霧の中でも航路の安全のために響く霧笛のように、どんなに前が見えない状況でも人々を安全な方向に導くという決意が込められている。

 まあ、諸事情でそういう損な役回りをいつか背負わないといけないと思ってきたけど。まさか、こんな突然に訪れるとはね。


「ひうっ」


 静止していた異形の怪物が急にガタガタと動き出したのを見て局長が妙な声を上げる。

 そいつはゆっくりと丸まっていき、コロリと前転すると同時に後方に大きな卵が転がった。卵が割れると少し親よりも小さいが、姿はそっくりな怪物が現れた。それは円を描くように動く親の後ろを追うように前転していく。


天気爺てんきじぃ、こいつらについて詳しく教えて」

「了解」


 瞬時に脳内に検索結果が提示される。右腕のブレスレットを操作して、情報を音声化して局長にも共有する。爺さんも心得たもので、公式用の口調に変えている。


「この怪物はイビル・カールアップ、通称イビル。数年前にテロリストがM2cドーム壊滅目的に使った無性生殖の無限増殖生物です。始末が悪いことに彼らは可愛さのあまりに駆除が遅れがちで、そうなると急速に小さな個体を作り出し居住区の隅々に入り込み駆除できなくなってしまいます。金属が彼らに食い荒らされてM2cドームが壊滅したのは記憶に新しいところです」


 結局、住民を避難させドームごと爆破をして無理やり幕引きをした大きな事件だった。


「でも、犯人は逮捕後に自殺したはずよね」

「逮捕直前に残った小さいイビルを隕石を装ったフライヤーに隠してランダムに植民星を狙って襲撃をするようにプログラミングして発射したと言われています」

「テロの残りかすってわけね。こんなもので貴重な大地を奪われるわけにはいかないわ」

「今生まれた奴が卵を産み始めるのは1.5時間後、その次の個体が卵を産むのが45分……だんだんと小さい個体が生まれていきます。成熟した個体はそのまま続けて卵を産み続けます。そして厄介なことに小さく生まれた個体は動きが早く、すぐに親から離れて拡散します」


 徐々に小さい個体が卵を産み始め、見つけられないくらい小さな個体が増加するということか。と、すれば本当にあまり時間は残されていない。


「一網打尽にするには、どれくらいの時間が残されているの?」

「約2時間以内であれば、計算上直径100メートルの円の範囲にとどまって――」

「ああ、わかった。地上防衛隊ご自慢のロケランでささっとやっつけてくれ」


 天気爺の言葉を遮るように、何か連絡を受けた局長がブレスレットにかみつきそうな勢いで指示する。

 と、ほぼ同時にスクリーンの中のロボットAIが数十台のロケットランチャーを構えて一斉にイビル達に発射した。爆発音とともに砂塵が巻き上がり怪物を包む。かなり離れている防衛局の建物までが爆風でガタガタ揺れた。

 しかし、天気爺が風で砂塵を払った後、あたしたちが見たのは平然と空き地を転がりながら卵を産む彼らの姿だった。


 一発で5階建てのコンクリート造のビルを一瞬で消し去るほどの威力でも、彼らにとって痛くもかゆくもないらしい。

 おまけに、砂塵で視界が隠されている間に、ロボット兵たちはことごとくイビルにつぶされていた。破壊されたロボット兵たちはイビルのかっこうの餌になっている。

 砲撃で刺激されたのか、食事のせいか彼らの動作が早くなっていた。情報よりもずっと早い間隔で卵を産み始める。


「しっかりしてください、局長」


 呆然として口を半開きにしている局長の肩を揺さぶって正気に戻すと、地下施設へ避難するように指示する。他の防衛局員も、辺境宇宙軍だのみで早々に避難を決めたらしい。


「でも、辺境宇宙軍のやつらは大雑把だから、星ごと焼き払うかもしれないわね」


 農業が基幹産業の辺境惑星に、これといった軍や武器なんてない。公務員だって一握りだ。このままイビルが増えれば、住民たちは金属を喰い破られて破壊されたドームの地下で最悪命を失うかもしれない。


「そんなこと、絶対にさせない」

「どこにいくつもりじゃ?」


 ドアを開けて飛び出すあたしの脳内で爺が聞く。


「あんたのとこだよ!」


 怪物どもに対処できる、唯一の武器のあるところへ。





『霧笛』と名乗る前のあたしの祖先は『晴山はるやま』姓だった。

 祖先の名前は第四次世界大戦末期のころの電子文書の隅っこに、探せば今でも残っているかもしれない。戦犯『晴山拓未たくみ』、として。


 素粒子物理学の研究者であった拓未は、反物質の研究をしていた。反物質とは通常の物質とは反対の電荷をもつ粒子で構成された物質であり、それを研究することで宇宙創成の謎の一端が明かされるかもしれない浪漫に満ちた研究だった。

 通常では特殊な環境下でごく微量にしか存在しない反物質を実験に使うため、留学先で彼の所属していたグループは反物質のトラップと増幅の研究を行っていた。


 それに目を付けたのは軍部だった。物質と反物質が出会うと、対消滅が起こり莫大なエネルギーを出す。反物質が多ければエネルギーは強くなるため反物質増幅の手段は武器開発のキーポイントであった。戦時中に彼らは無理やり招集され脅迫を受けて研究を強要される。

 開発された技術は、武器に使われたくさんの尊い生命や文化を奪った――。


 戦後、刑を終えた拓未とその一族は半ば追われるように地球を去り、植民星に骨を埋める。拓未は多くを語らなかった。しかし、晩年の彼は人類の平和な発展に陰ながら力を尽くした。その精神は『霧笛』に苗字を変えた子孫たちにも受け継がれている。


「決して先祖の贖罪しょくざい、ではない」


 ただ、一族のはしくれとして祖先が力を尽くして育てたこの星を守りたいと思っている。不幸中の幸いと言っていいのかわからないが、地球での大怪我であたしはほぼ全身がサイボーグに変わっている。

 この星では一番運動能力や耐久性が高いと言っても過言ではない。





 人影が消えがらんとした廃墟のような居住ドーム。

 頭の中に投射されるイビル達の動きはますまず激しくなり、彼らの活動円の範囲は大きくなっていった。白い卵が次々に孵りまた親と同じように円を描いて前転を続ける。円運動を続けるイビル達の密度が高くなり次第に彼らが描く円が大きくなっていた。


「円の中に個体が充満したら、小さい個体は円を離れて四方に散っていくぞ」

「わかってる」


 全員避難したドームはいつ停電になってもおかしくない。エレベーターは使わずに屋根裏に続く塔の階段を全速力で駆け上がる。

 登り切ったところで、いつもの扉が――閉まっている!


「ちょっと、こんな時まで。いい加減にしてくれる?」


 怒気を帯びた声に慌てたように次々と扉が開き、あたしは屋根裏に飛び込んだ。

 手持無沙汰そうに隅っこに固まるAIロボットたちを横目に、私は小さな物置の扉を開ける。ほこりをかぶったケースの中から、先祖から受けついだ手に収まるほどのボックスを引っ張り出す。


「お願い」


 祈りながら電源を入れる。よかった、まだ作動する。


「先祖の晴山博士は亡くなるまで祈っていた。反物質の研究を人類のために役立ててほしいと――。ね、天気爺オモイカネ、力を貸して。百年あまりこの星の天気を守ってきたあなたならできるでしょう」


 あたしは脳内増設メモリシールドのロックを外す。天気爺――あたしが古代日本の天気の神、八意思兼命ヤゴコロオモイカネノミコトと名付けたAIは開示したエリアに接続しようとして、静止した。


「こ、これは……」

「晴山博士から受け継いだ反物質研究の一部よ」


 禁断の研究を前にして、目の前に立つ白髪の老人はぶるぶると震えている。


「これは、見てはならない……」

「神様なんだから、しっかりしなさい。科学は使うものによって悪にもなるし善にもなるの。上位命令者の私が許可します」

「まったく都合のいい時だけ、神様扱いしおって」


 愚痴を言う余裕があれば大丈夫。

 私は屋根裏を伝って、地上からそびえ立つ鉄でできた『雷針』が足元から見える場所に立った。


「ご先祖様、みんなを助けて」


 一度ボックスを抱きしめるとあたしはドローンに取り付ける。


「だがお前さん、その反物質回収ボックスにいったい何を入れる気だ? 残念ながら粒子加速器もないここで反物質なんて作れっこないぞ――」


 まあ、天気を調節するプロであるじぃが思いつかないのも無理はない。AIは質問には的確に答えてくれるが、無からの創造はまだまだ人間様の域には達していないからね。

 でも、お互い補いあうことでその力は二倍にも三倍にもなることをあたしは知っている。


「さ、始めますか」


 知らず知らずのうちに笑みがこぼれる。なぜか極限状態になると笑ってしまうのがあたしの癖だ。

 気が触れたかと思ったのか、天気爺の白い眉が顔の中央に寄った。


「これからは天気爺のお手並み拝見といこうじゃないの、帯電ゾーンを下げた雷雲を発生させて、避雷針に今まで見たこともないくらいの大きな雷スーパーボルトを落としてちょうだい」


 言いながら屋根裏の床を開けて回収ボックスを乗せたドローンを飛ばす。そして、なんとか避雷針の突端にボックスを引っ掛けた。

 爺はAIを総動員して久しぶりの『雷様業務』に大忙しだ。

 クラウドシーディングとして雲の核になるドライアイスを撒き、レーザーで大気を強烈に温めて、激しい上昇気流を起こさせる。ずいぶん使っていなかった技術なのに、爺は雷雲が避雷針の上に広がるように次々に風や水分量を調節していった。


 しばらくするとムクムクと積乱雲が避雷針の上空にでき始めた。


「ところで、さっきの質問じゃが、もしかして――」

「そう。雷を使って反物質を生み出すのよ」


 雷は天然の加速器として働く。光速近くまで加速された電子から生じたガンマ線は大気中の窒素と光核反応を起こし反物質である陽電子ポジトロンを放出する。これはすでに地球時代から観測されてきた古典的な知見だ。もちろんごく微量なので、大した影響はない。

 通常はすぐ消滅する反物質だが、晴山博士は雷雲自体を磁場と電場で巨大なペニングトラップに変えて反物質を捕獲する技術を開発した。

 そしてこの装置は同時に量子カスケードを逆に動かして反物質が誕生する確率を増幅することもできた。


 積乱雲の下方がどんどん暗くなる。雲の厚みが増してきた。

 雲の中で何かが光り始める。と、爺が叫んだ。


「来るぞ、天気姫。耳をふさげ」


 なに、その呼び方! 

 脳内に直接定点カメラのライブ映像が送られる。

 緊張感――そして全身がざわめくような感覚。


 次の瞬間。

 白い帯が鉄塔を包んだ。

 真っ白な光がいきなり脳を満たす。

 そして、ふさいだ耳を突き抜けるような轟音。


 し、ん……。


「大丈夫か?」

「え、ええ。私は絶縁皮膚だから」


 ボックスが反物質捕獲成功の緑ランプに変わっている。

 さあ、回収に向かわなければならない。だけどまだ雷雲が残っている状態ではドローンは危なっかしくて使えない。

 さすがのあたしでもここから降りてから高さ数百メートルもある雨で濡れた鉄塔をよじ登ってボックスを回収するには時間がかかる。

 画面が切り替わってイビル達の姿が映し出された。まずい、雷を落とすのに結構な時間を費やしてしまった。かなり小さな個体が増えて行動範囲が広がっている。

 どうしよう、などと迷っている暇はない。

 焦りや不安を一瞬にして突き抜けたあたしの頬に、えくぼが現れる。

 これはやけくそや、達観、ではない。

 自分への鼓舞の笑みだ。


 よし、心は決まった。


「風をコントロールしてちょうだい、きわめてピンポイントにね」

「注文の多い姫だ」


 愚痴を聞き流しながら、間伐材であたしが作ったハングライダーを物置から引っ張り出す。時々天気爺に風を起こしてもらって、ここからフライトするのがあたしのストレス解消法だった。

 薄給で激務なんだからこれくらいの職権乱用、許してほしい。


 屋根裏の緊急脱出口を大きく開くと、あたしは開口部の縁を蹴って空に飛び出す。

 眼下に広がる農地、森、草原、そして住居ドームを超えて外にも広がりつつある緑の植物たち。

 この星の地下には深く張った植物の根や土壌細菌たちが、緑の星に生まれ変わる時を待っている。

 なんて、いとおしい世界。

 失ってたまるものか!


「風、少し弱く。もっと南南東に」


 さすが爺。瞬時に風が変わった。

 高度を下げて、鉄塔に近づく。手を伸ばして、無事にボックスをつかんだ。


「次はイビル達のところに行くわ。風を強くして。その後は全速離脱よ」

「気を付けるんじゃぞ、姫。わしはもっとお前さんと仕事がしたいんじゃからな」


 姫呼びは照れくさいけど、ちょっと嬉しいからそのまま言葉をかみしめる。

 ボックスをつかんだまま、ハングライダーをイビルたちのところに向ける。


 風を計算しながら、上空でそっと手を放した。

 遠ざかる風景の中、ふうわりとイビルの群れの中に落ちていくボックス。

 重力が弱くて時間が稼げるのはありがたい。

 しかし、彼らが金属でできたボックスに噛り付くのは時間の問題だ。

 できるだけ離れないと――え、えっ、風、風っ!?


 そこで、いきなりあたしは半ば墜落するようにハングライダーとともに地面に転がった。


「危ないじゃない、爺。急に風を弱め――」


 地響きとともに大地がぐらんと揺れた。まるで空気の圧が目に見えるような衝撃。

 跳ね上がった体が爆風ですっとばされる。

 ドームの壁にぶつかった体がずるずると地面に伸びた。

 まわりにはハングライダーであった木片がちらばっている。

 サイボーグ化してなかったら、多分命はなかっただろう。


 トラップした反物質の量はたかが知れていたと思う。それなのに、この威力。

 これはまだまだ争いの多い人類には持たせてはいけない力、なのかもしれない。

 脳内に映された定点カメラに、深く掘れたすり鉢状の穴が見える。そこにはイビルの影も形もなかった。

 まあとりあえず、最後は良いことに使えてよかった。


「大丈夫か?」

「ええ、任務完了よ、爺」

「さすが苗字が霧笛だけあって、無敵じゃの」


 暗雲は晴れて、大の字になって寝っ転がった顔の上にはうす緑の空が広がっていた。



                             了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天気姫が笑ってる 不二原光菓 @HujiwaraMika

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画