「役立たずの雑用係」とSランクパーティを追放されたが、俺が手懐けていたのは『世界を滅ぼす魔王の娘』だぞ? 今さら戻れと言われても、彼女がブチ切れて国ごと消し飛ばすそうですが、本当にいいですか?

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第一話 愚者たちの選択

空は分厚い鉛色の雲に覆われ、太陽の光は地上に届く前に濁った灰色へと変わる。

魔界の最深部、通称「嘆きの荒野」。

足元には踏みしめるたびに乾いた音を立てる白い骨片と、焼け焦げたような黒い岩が無限に広がっていた。鼻をつくのは硫黄の臭いと、どこか鉄錆に似た血の気配。

生物が生きていくことを拒絶するようなこの場所を、俺たちは歩いていた。


「おいアルト、とろとろ歩いてんじゃねえぞ。日が暮れる前にキャンプポイントまで行くって言ってんだろ」


前を行く豪奢な黄金の鎧を身に纏った男が、苛立ちを隠そうともせずに振り返る。

彼こそが、人類の希望とされるSランクパーティ『光輝の剣』のリーダーであり、勇者の称号を持つレオンだ。整った顔立ちに、自信に満ちた碧眼。だが、その瞳はいま、汚物を見るような冷たさで俺を射抜いていた。


「ごめん、レオン。荷物が少し重くて……」


俺、アルトは背負った巨大なリュックサックの位置を直しながら、愛想笑いを浮かべた。

このリュックには、パーティ全員分の食料、水、テント、予備の武器、そして採取した素材が詰め込まれている。重さは優に六十キロを超えているだろう。戦闘職ではない俺には、正直言って限界に近い重量だった。


「チッ、これだから『魔物使い』なんていうハズレジョブは使えねえんだよ。荷物持ち一つ満足にできねえのか」

「まあまあ、レオン。アルトさんも一生懸命なんですから。それに、もうすぐ目的のポイントですよ」


レオンの腕に絡みつきながら、鈴を転がすような声でそう言ったのは、聖女のミナだ。

純白の法衣に身を包み、透き通るような金髪をなびかせる彼女は、一見すれば慈愛の女神のようにも見える。だが、その瞳の奥には、俺を見下す侮蔑の色が隠しきれていないことを、長い付き合いの俺は知っていた。


「ミナは優しすぎるんだよ。こんな寄生虫、本来ならこの場所の空気を吸う資格すらねえってのに」


レオンは鼻を鳴らし、再び前を向いて歩き出した。

俺は唇を噛み締め、黙って彼らの背中を追う。

胸の中で、小さな温もりが身じろぎをした。俺が抱えているボロボロの革袋、その顔を出すようにして収まっているのは、一匹の黒猫だ。


「……ごめんな、イヴ。揺れて気持ち悪かったか?」


俺が小声で囁くと、黒猫のイヴは「にゃあ」と短く鳴き、心配そうに俺の顔を見上げてきた。

その瞳は、吸い込まれそうなほど深い真紅の色をしている。

この危険な魔界で、俺が唯一心を許せる相棒だ。戦闘力なんてないただの愛玩動物だが、彼女がいるからこそ、俺はこの過酷な旅を続けてこられた。


俺のジョブは『魔物使い』。

本来なら強力な魔物を従え、共に戦うことができるはずの職業だ。だが、俺には才能がなかった。どんな魔物と契約しようとしても、意思の疎通がうまくいかず、結局懐いたのは、路地裏で拾ったこの黒猫一匹だけ。

戦闘力皆無。補助魔法も使えない。

そんな俺が、なぜ世界最強と言われる勇者パーティにいるのか。

それは、俺の固有スキル『絶対安寧(カーム・ダウン)』のおかげだ。


効果は地味そのもの。「周囲の生物の精神を少しだけ落ち着かせる」という、ただそれだけのスキル。

だが、このスキルのおかげで、俺たちは魔界に入ってから一度も野営中に魔物に襲われたことがない。どれだけ凶悪な魔物も、俺のそばにいれば敵意を失い、やり過ごすことができる。

俺はそう信じて、必死にスキルを発動し続けてきた。寝る間も惜しんで、神経をすり減らして。


「よし、ここだ。今日はここで野営する」


レオンが立ち止まったのは、巨大な岩陰だった。魔王城まであと一日という距離にある、最後の安全地帯だ。

俺は息を切らせながら追いつき、すぐにリュックを下ろしてテントの設営に取り掛かろうとした。

だが。


「いや、テントはいらねえよ、アルト」


レオンの冷たい声が、俺の手を止めさせた。

顔を上げると、レオンとミナが並んで立っている。さらに、その後ろには魔法使いのガイルと、剣士のバランもいた。全員が、どこか気まずそうに、しかし残酷な決意を秘めた目で俺を見ていた。


「……え? どういうことだ、レオン? 今日はここで休むんじゃないのか?」

「休むさ。俺たちはな」


レオンは腰の聖剣の柄に手を置き、口角を歪めてニヤリと笑った。


「単刀直入に言うぞ、アルト。お前、クビだ」


世界から音が消えた気がした。

吹き荒れる風の音も、遠くで鳴く魔獣の声も、すべてが遠のいていく。


「クビ……? 冗談だろ、レオン。ここまで来て、何を言って……」

「冗談? はっ、傑作だな。俺は大真面目だぜ。いいか、よく聞けよ無能。俺たちはこれから魔王を倒しに行くんだ。人類の歴史に残る、偉大な戦いだ。そこに、猫と遊んでるだけの雑魚が混じってたら、絵にならねえだろ?」


レオンが一歩、俺に近づく。その威圧感に、俺は思わず後ずさった。


「ずっと我慢してたんだよ。お前みたいなレベルの低いゴミが、経験値を吸ってるのが不快でな。戦闘中、お前は何をしてた? 後ろで震えながら猫を撫でてただけじゃねえか」

「そ、それは……! 俺は『絶対安寧』で魔物を抑えて……!」

「あぁ? その『なんちゃら安寧』だっけ? まだそんな妄想を信じてんのか?」


レオンは腹を抱えて笑い出した。ミナも、クスクスと上品に笑っている。


「アルトさん、それは勘違いですわ。魔物が襲ってこないのは、レオン様の放つ『勇者の覇気』と、わたくしの『聖なる結界』のおかげですもの。あなたの微弱なスキルなんて、蚊ほどの影響もありませんわ」

「そ、そうだよな! 俺もそう思ってたんだ!」


魔法使いのガイルが便乗し、剣士のバランも無言で頷く。

違う。絶対に違う。

レオンの覇気なんて、ただの威圧感だ。下級のゴブリンならともかく、魔界の深層に住むような化け物に通じるわけがない。ミナの結界だって、物理的な防御力はあるが、魔物の「殺意」そのものを逸らす効果はないはずだ。

俺が必死に精神を集中して、魔物たちの神経を撫でるように鎮めているからこそ、彼らは安眠できていたのだ。


「待ってくれ、レオン! 俺がいなくなったら、ここの魔物たちは……!」

「うるせえよ、寄生虫!」


ドガッ!


鈍い音が響き、俺の腹部に鋭い痛みが走った。

レオンに蹴り飛ばされ、俺は砂利の上に無様に転がる。抱えていたイヴが手から離れ、少し離れた場所に着地した。


「いッ……つ……」

「勘違いすんなよ。お前を生かしておいたのは、ただの荷物持ちとしてだ。だが、魔王城には転移魔法陣があるらしいからな。帰りはそれを使う。つまり、お前という『足』はもう不要なんだよ」


レオンは俺の足元に転がっていたリュックサックを拾い上げると、中身を漁り始めた。


「食料、水、マジックテント……ああ、回復ポーションも全部こっちだな。お前が持ってても豚に真珠だ」

「返せよ……! それは、俺が徹夜で作ったポーションだぞ……!」

「うるせえ。手切れ金代わりに、これだけはやるよ」


レオンが放り投げてきたのは、錆びついた鉄の短剣一本だった。

かつて俺が、初めてダンジョンに入った時に買った、安物の護身用ナイフだ。


「さあ、消えろ。それとも、ここで俺に斬り殺されたいか?」


レオンが聖剣を僅かに鞘から抜く。

眩い光と共に溢れ出した殺気に、俺の体は本能的な恐怖で硬直した。

勝てない。

レベルの差も、装備の差も、あまりにも歴然としている。

それに何より、仲間だと思っていた彼らからの、あまりにも理不尽な悪意に、俺の心は完全に折れていた。


「……わかったよ」


俺は震える手で、錆びた短剣を拾い上げた。

地面に手をつき、痛む腹を抑えながら立ち上がる。

ミナが、憐れむような、それでいて勝ち誇ったような瞳で俺を見ていた。


「さようなら、アルトさん。運が良ければ、生きて帰れるかもしれませんわね。……ふふっ、無理でしょうけれど」

「あばよ、雑用係! 来世ではもう少しまともなスキルを持って生まれてくるんだな!」


高笑いを残し、勇者パーティは歩き去っていった。

彼らが目指すのは、魔王城へと続く道。

俺に残されたのは、荒野のど真ん中という絶望的な状況と、一本の錆びたナイフ、そして一匹の黒猫だけだった。


夕闇が迫り、魔界の空気がさらに冷たく、重くなっていく。

俺は力なくその場に座り込んだ。

悔しさで涙が溢れそうになる。

一年間。あいつらのために尽くしてきた。

不寝番をし、料理を作り、装備の手入れをし、戦闘中は命を削って魔物をなだめてきた。

その全てが、無駄だったのか。

俺の存在価値なんて、最初からどこにもなかったのか。


「……はは、笑えるな。本当に、ただの足手まといだったのかな、俺」


自嘲気味に呟いたその時だった。

背筋が凍るような、おぞましい気配が周囲に満ちた。


グルルルゥ……ガアアアァァ……


岩陰から、地中から、空から。

無数の視線が俺に突き刺さる。

レオンたちが去り、俺の精神が乱れたことで、『絶対安寧』の効果が切れたのだ。

今まで俺のスキルによって抑え込まれていた魔物たちの「殺意」が、一気に決壊したダムのように溢れ出していた。


現れたのは、全身が腐った肉で覆われた巨人『カース・ギガント』。

空を覆うほどの巨体を持つ『ワイバーン・ロード』。

そして、闇そのものが凝縮したような不定形の怪物『シャドウ・ストーカー』。

どれも、Sランクの冒険者ですらパーティを組んでようやく戦えるような、伝説級の魔物たちだ。それが、十体、二十体……いや、百はいるだろうか。


「あ……あぁ……」


声にならない悲鳴が漏れる。

錆びたナイフを構える気力すら起きない。

終わりだ。

こんな場所で、誰にも知られずに、肉片一つ残らず食い尽くされて死ぬんだ。


魔物たちが、涎を垂らしながら一斉に飛びかかろうとした、その瞬間。


「――下がりなさい」


凛とした、しかし絶対的な響きを持つ声が、荒野に響き渡った。

それは、少女の声だった。

氷のように冷たく、それでいて王者のような威厳に満ちた声。


ピタリ、と。

怒り狂っていたはずの魔物たちが、まるで石化魔法をかけられたかのように動きを止めた。

それだけではない。

巨大なカース・ギガントが、ワイバーンが、恐怖に震えながら地面に平伏していく。


「え……?」


俺は状況が理解できず、呆然と周囲を見渡した。

誰だ? 誰が喋った?

ここには俺と、魔物たちと、……イヴしかいないはずだ。


「……まったく。愚かな人間たちね。せっかく私が、貴方という『枷』に合わせて大人しくしていてあげたというのに」


声は、足元から聞こえた。

俺は恐る恐る、視線を下に向ける。

そこには、いつものようにちょこんと座る黒猫、イヴの姿があった。

だが、その雰囲気はいつもの愛らしいそれとは決定的に異なっていた。

真紅の瞳が、妖しく発光している。

その小さな体から立ち昇るのは、先ほどの魔物たちが可愛く見えるほどの、圧倒的で濃密な魔力の奔流。


「イ、イヴ……? お前、喋れるの、か……?」


俺の声に、黒猫はゆっくりと顔を上げた。

その瞳が俺を捉える。

冷徹な魔物の目ではない。そこにあるのは、どこか慈愛に満ちた、しかし怒りに燃える色だった。


「喋れるわよ、アルト。貴方が私の頭を撫でてくれる時、邪魔をしたくなかったから黙っていただけ」


イヴの体が、黒い霧に包まれる。

霧は瞬く間に膨れ上がり、人の形を成していく。

そして霧が晴れた時、そこに立っていたのは、この世のものとは思えないほどの美貌を持つ少女だった。

夜空を溶かしたような漆黒のロングヘア。

白磁のように滑らかな肌。

頭には、ねじれた二本の角が生え、背中にはコウモリのような漆黒の翼が広がっている。

その身に纏っているのは、闇で織られたような漆黒のドレスだ。


彼女は優雅な所作で俺に近づくと、冷え切った俺の頬にそっと手を添えた。

その手は温かく、そして震えるほどに優しかった。


「ごめんなさいね、アルト。驚かせてしまって」

「き、君は……一体……?」

「私はイヴ。……人間たちが恐れる言葉で言うなら、『魔王の娘』、あるいは『災厄の皇女』と呼ばれる存在よ」


魔王の、娘……?

俺の思考が停止する。

俺が一年間、猫だと思って可愛がり、一緒に寝て、ミルクをあげていたのが、人類最大の敵の娘だったというのか?


「嘘、だろ……? じゃあ、なんで俺なんかに……」

「貴方のスキルよ、アルト。貴方の『絶対安寧』は、ただの精神安定魔法じゃない。それは、龍王の逆鱗すら鎮め、暴走する魔神の怒りすら癒やす、神話級の権能なの」


イヴは愛おしそうに目を細めた。


「父である魔王ですら手を焼く私の破壊衝動を、貴方だけが鎮めてくれた。貴方のそばにいる時だけ、私は破壊と殺戮を忘れ、ただの幸せな猫でいられたのよ」


彼女は俺の手を取り、恭しく口づけを落とした。


「だから、私は貴方に従っていた。貴方が『人間を守りたい』と願うなら、その意を汲んで、この森の魔物たちにも手出しをさせなかった。……あの傲慢な勇者たちが生き延びてこられたのは、すべて貴方が私の『首輪』を握っていたからよ」


イヴの視線が、レオンたちが去っていった方向へと向けられる。

その瞬間、彼女の瞳から慈愛が消え、万物を凍らせるような殺意が宿った。


「でも、彼らはその首輪を自ら捨てた。貴方を傷つけ、侮辱し、死地へと追いやった」


周囲に平伏していた魔物たちが、イヴの感情に呼応するように、再び殺気を漲らせて咆哮を上げた。

だが、その殺意の矛先は、もう俺には向いていない。

彼らが憎悪の瞳で見つめる先は、ただ一つ。


「ねえ、アルト。もう、いいでしょう?」


イヴが甘く、危険な声で囁く。


「貴方を縛るものはもうない。彼らを守る義理もない。……私が、あいつらを塵一つ残さず消し去っても、貴方はもう怒らないわよね?」


俺は、レオンたちの背中を思い出した。

嘲笑う顔。見下す目。

「寄生虫」という言葉。

俺が捧げてきた献身を、土足で踏みにじった彼ら。


心の中にあった「仲間意識」という名の最後の砦が、音を立てて崩れ去っていくのを感じた。

恐怖はもうない。

あるのは、空っぽになった心と、目の前の少女への不思議な信頼感だけだった。


俺はゆっくりと立ち上がり、錆びた短剣を投げ捨てた。

そして、イヴの瞳を真っ直ぐに見つめ返す。


「ああ、好きにしていいよ、イヴ」


俺の言葉を聞いた瞬間、イヴは花が綻ぶような、絶美の笑顔を見せた。

それは、世界への死刑宣告の合図だった。


「ありがとう、マスター。――さあ、征くわよ、眷属たち」


イヴが指を鳴らす。

その音と共に、平伏していた数百の魔物たちが一斉に立ち上がり、勇者たちが向かった道へと雪崩を打って駆け出した。

大地が揺れる。空気が悲鳴を上げる。

それはまさしく、百鬼夜行。

かつてない規模の『スタンピード』が、今まさに始まろうとしていた。


俺の『枷』が外れた瞬間、世界は彼らを捕食するために動き出したのだ。


「さあ、特等席で見に行きましょう? 愚者たちが絶望に染まる瞬間を」


イヴが俺に手を差し伸べる。

俺はその手を取り、彼女に抱き寄せられるまま、漆黒の翼で空へと舞い上がった。

眼下には、死の軍勢が黒い川のように流れていく。

その先には、まだ何も知らずに歩く、元仲間たちの姿があった。


まだ、彼らは気づいていない。

自分たちが捨てたものが「ただの荷物持ち」ではなく、「この世界の破滅を止めていた唯一の安全装置」だったということに。


そして、もう全てが手遅れだということに。

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