2000グラムは空を飛ぶ
マキノゆり
第一話
あの夢を、何度も見る。
あたしはいつも空から落っこちていて、死ぬかもしれない、でも大丈夫かもと思いながら、両手を両脇に添えて流れ落ちるように飛んでいた。身体の奥がきゅうっとなるような、ふわふわとして小さな不快感。樹の上から滑空するムササビや空飛ぶ鳥は、みんなこんな気持ちなのだろうか。
そびえたつ崖の間に草原が広がり、小さな家らしき建物が点々と散らばっているその上を、夢を見るたびに飛んでいる。
最初の日は落ちるところ。
次の夢は崖の途中まで落ちて、その次から飛び始めた。それでもふうっと身体が浮く時は、落ちないでとずうっと祈っていた。それは今でもあまり変わらない。
そんな夢をずうっと見ていて鍛えられているから、次は谷間を超えて、もっと遠くに行けるにちがいない。
ほら、もう飛ぶのだって慣れたものだ。
そんなあたしの目の前を、ピンクの象がダンボのように大きな耳を羽ばたかせて飛んで行った。目元に水色のラメが光り、耳には青と金色のピアスが可愛い。
その後ろから何かキイキイと甲高い声をあげながら、執事のような恰好をした白兎がピンクの象を追いかけていく。
ピンクの象は、モモちゃんで、白兎は、シロって呼んでいる。あたしが飛び始めた時から、いつも一緒に居る。
よく見たら、シロは飛んで追いかけてるのではなく、モモちゃんのしっぽを片手で握りしめていた。もう片方の手には、頑丈そうな黒い傘を杖のように持っている。
兎の握力がどれくらいかは知らないが、あのままではどこかで振り落とされてしまうだろう。あたしは、傘をさすメリーポピンズを思い浮かべた。
「手を離せばいいのに」
思わず呟いたその瞬間、白兎がぴたりと振り向き、ぎょろりとした目で睨みつけてきた。
「何と聞き捨てならない事を! 手を離したら死んでしまうではないか! ひどい娘だ!」
「でも、そのまま飛んでっても死んじゃうよ」
言われた白兎が眼を剥いて反論してきた。
「落ちても死ぬでしょうが!」
「あーもう、じゃあさ、その手の傘は何の為なの?」
白兎がハッとした顔で、もう一つの手に握られた傘を見つめる。おお、と何か小さく呟くと、ふふんと得意気にあたしを一瞥し、シロはモモちゃんのしっぽを掴んでいた手をぱっと放した。
そのまま後方へ飛ばされていく白兎をみてあたしは大笑いだ。誰の知恵だと思ってんのよ。どこまで飛ばされるか判らないけど。傘があるからまあ大丈夫だろう。
白兎のほうはさて置き、あたしはモモちゃんに追いつこうと顎をくいっと上げた。遥か視線の先には、崖の切れ目と白く煙る淡い水色の空が見える。
大滝だ。
崖の切れ目の先には、見えないほど真っ白に煙る大滝が、地平線の果てまで絶え間なく轟音を立てながら流れていた。水煙が立ち上り、太陽とも月とも判らない、淡い光のもとで白く輝く。
空を見上げると、金星が輝いていた。
あたしはその美しさに、ぼうっとしながら飛び続ける。もうすぐ崖の切れ目だ。飛び越えるともう大滝だが、そこまでいくともう陸は無く、遠く遠く果てない湖が広がっている。パステルカラーの光の湖のうえを、ピンクの象が金粉のような光を撒きながら、小さく踊っていた。
「もうそろそろ、湖ですな」
突然後ろから声をかけられ、あたしはびっくりし過ぎて落っこちるかと思った。顔を振り上げると、斜め上にあの白兎が黒い傘を開き、あたしと同じスピードで飛んでいたんだ。
「追い付いたんだ!」
「当たり前でしょ。このアンブレラ・オブ・ブラックレインを舐めないでください」
「……あたしが言ったから、思い出したくせに」
「何か言いました?」
「べっつに」
あたしと白兎は、そろそろ切り立つ崖の切れ目に差し掛かろうとしていた。下を見ると、小さな家の側で遊んでいる子供たちが、こちらに手を振っていた。
ばいばい、とあたしも手を振る。またね、友達。
白兎が眼を細めながら、もう片方の手を大きく広げた。
「湖に着く前に、この夢は終わりです」
「……残念。モモちゃんに乗りたかったのに。一緒にキラキラしたかったのに」
「それはまた次の機会に」
白兎が素っ気ないので、あたしは寂しくなってしまった。この世界はまだまだ先に広がるのに。
「‥‥湖、見たい」
「次来た時に、案内いたしましょう」
「モモちゃんにも、今、乗りたい。呼んできて」
「それは次の機会にと言いましたでしょう」
「‥‥だって、次っていつなの? もう来れないかも」
白兎は、ははっと笑った。
「ここまで来て、帰りたく無いと来た! さてさて、まさかと思うが、この」
あたしを見てウィンクする。
「この白兎めが恋しくなったか」
「そんな訳無いってば!!」
そうか、これは夢なんだ。もう1回くらい見たかったけど。
そうしてあたしはゆっくり瞬きをした。
「では、またいつの日か」
白兎が胸に片手を添えて会釈する。
目の前に広がっていた光景は薄れ、暗がりの中で微かな揺れを、あたしは確かめるように全身で感じていた。
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