『血が繋がらない』と極寒の森へ捨てられた養女ですが、隣国の聖女として覚醒しましたので、今更『家族』と擦り寄られても存じ上げません

@jnkjnk

第1話:吹雪の追放劇

凍てつく風が窓ガラスを激しく叩き、北国特有の鉛色の空が屋敷全体を重苦しく包み込んでいる。暖炉の火がパチパチと爆ぜる音だけが、静寂に満ちた執務室に響いていた。


私はかじかむ手に息を吹きかけ、インクの滲んだペンを走らせる。フロンティア男爵家の領地経営に関する帳簿、来季の予算案、そして小作人たちからの嘆願書の整理。これらは本来、当主が執り行うべき業務だが、養父である男爵が病に伏せってからは、すべて養女である私、エリーゼが担ってきた。


「……これで、今年度の決算は何とか形になったかしら」


ペンを置き、小さく息を吐く。ふと顔を上げて窓の外を見れば、激しい吹雪が視界を白く染めていた。この地方の冬は長く、そして厳しい。領民たちが少しでも暖かく過ごせるよう、薪の配給を手配しておいて正解だったと安堵する。


先日、養父である男爵の葬儀がしめやかに行われたばかりだった。心優しい養父だったが、再婚してからは義母の言いなりになりがちで、私の立場を守ることはできなかった。それでも、彼が私を孤児院から引き取り、教育を与えてくれた恩義に変わりはない。「この家を、領地を頼む」という彼の最期の言葉だけが、私をこの屋敷に繋ぎ止める唯一の鎖だった。


コンコン、と控えめなノックの音が響く。


「エリーゼ様、奥様がお呼びです。サロンまでお越しくださいとのことです」


扉の向こうから聞こえたのは、古参のメイド長の声だった。彼女の声には微かな震えと、私に対する同情の色が滲んでいる気がした。


「分かりました。すぐに行きます」


私は立ち上がり、擦り切れた灰色のドレスの裾を払う。このドレスはもう三年も着続けているもので、袖口はほつれ、色も褪せている。義母のベアトリスと義妹のマリアが季節ごとに最新の流行を取り入れた絹のドレスを仕立てているのとは対照的だ。けれど、今の私には身なりを気にする余裕などなかったし、そもそも新しい服を買う許可など下りるはずもなかった。


廊下に出ると、冷気が肌を刺す。暖房用の魔石は義母たちの居住区画に優先的に回されており、使用人や私が使うエリアは外気と変わらないほど冷え込んでいる。私は背筋を伸ばし、顔を上げて歩いた。どんなに虐げられようとも、心まで貧しくなってはいけない。それが私の矜持だった。


サロンの重厚な両開きの扉の前に立つと、中から高らかな笑い声が漏れてきた。


「本当に、あの娘の顔を見ると食事が不味くなりますわ。お母様、早く追い出してしまいましょうよ」

「ええ、そうねマリア。あの人の喪も明けましたし、もう遠慮することはありませんもの」


遠慮のない嘲笑。扉越しに聞こえるその声に、私は一度だけ深く呼吸をし、心を鉄のように硬く閉ざしてからノックをした。


「エリーゼです。お呼びでしょうか」

「お入り」


短く冷たい許可の声。扉を開けると、そこは別世界のような暖かさに満ちていた。最高級の薪と魔石を惜しげもなく使った暖炉が部屋を暖め、豪奢な調度品が並ぶ室内には甘い焼き菓子の香りが漂っている。


ソファーの中央には、派手な深紅のドレスを纏った義母ベアトリスが優雅に扇子を揺らしながら座っていた。その隣には、フリルが過剰にあしらわれたピンク色のドレスを着た義妹のマリアがいる。彼女は私の姿を認めると、口元を扇子で隠しながらクスクスと笑った。


「まあ、相変わらずみすぼらしい格好ね。掃除婦かと思いましたわ」

「マリア、掃除婦に失礼よ。彼女たちはもっと清潔だもの」


二人の会話に、私は表情一つ変えずに一礼する。


「お義母様、何か御用でしょうか。まだ帳簿の整理が残っておりますので、用件を伺えればと存じます」


私の淡々とした態度が気に入らなかったのか、ベアトリスは不機嫌そうに眉を寄せ、テーブルの上に置いてあった一枚の羊皮紙を無造作に放り投げた。それは床に落ち、私の足元で止まる。


「拾ってご覧なさい」


言われるがままに拾い上げ、内容に目を通す。そこに書かれていたのは、あまりにも簡潔で、そして残酷な通告だった。


『離縁状および追放命令書』


私の目が見開かれる。心臓が早鐘を打つのが分かったが、震える指先を必死に抑え込み、顔を上げた。


「……これは、どういうことでしょうか」

「字が読めないのかしら? 書いてある通りよ。本日付で貴女をフロンティア男爵家から除籍します。そして、この屋敷から即刻立ち去りなさい」


ベアトリスは勝ち誇ったような笑みを浮かべ、紅茶のカップを口元へ運ぶ。


「理由は明確でしょう? 貴女と私たちには血の繋がりがない。夫が亡くなった今、赤の他人である貴女を養っておく義務など、これっぽっちもありませんのよ」


「ですがお義母様、お父様は私に領地経営を任せると……」

「黙りなさい!」


ベアトリスがカップをソーサーに激しく打ち付ける音が響き渡り、サロンの空気が凍りついた。


「あの人は病で判断力が鈍っていたのよ! どこの馬の骨とも知れない孤児に、由緒ある男爵家の家督に関わらせるなんて、正気の沙汰じゃありませんわ! ましてや、貴女のような薄気味悪い女に!」


彼女の言う「薄気味悪い」とは、おそらく私が持つ魔力のことだろう。私は生まれつき微弱ながら魔力を帯びており、感情が高ぶると周囲の空気が少し揺らぐことがあった。養父はそれを「才能」だと言ってくれたが、義母たちは「呪われている」と忌み嫌っていたのだ。


マリアが意地悪な笑みを浮かべて口を挟む。


「そうよ。お姉様がこそこそと執務室に閉じこもっている間、私とお母様は社交界で人脈を広げていたの。貴女みたいな地味な女、これからの男爵家には不要なのよ」


人脈を広げている、というのは言葉を飾っただけで、実際には連日のように茶会を開き、高価なドレスや宝石を買い漁って家の資産を食い潰していただけだ。私が必死にやり繰りして捻出した利益は、すべて彼女たちの浪費に消えていた。それを指摘したこともあったが、「稼ぐのは養女の仕事、使うのは正当な後継者の権利」と一蹴されてきたのだ。


「……分かりました。出て行けとおっしゃるなら、従います」


私は静かに答えた。これ以上、何を言っても無駄だと悟ったからだ。それに、心のどこかでほっとしている自分がいた。養父との約束は、彼が亡くなるまでこの家を支えることだった。彼が旅立った今、私がこの理不尽な家畜のような扱いに耐える理由は、もうどこにもない。


「ですが、準備があります。荷物をまとめる時間をいただけますか? それに、引継ぎの資料も作成しなければ……」

「あら、何を言っているの?」


マリアが大げさに驚いてみせた。


「泥棒猫に荷造りをする時間なんて与えるわけないでしょう? この屋敷にあるものはすべてフロンティア男爵家の財産よ。貴女が着ているその薄汚いドレス以外、持ち出すことは許しません」

「そ、そんな……今は外は吹雪です。コートもなしに放り出されては、命に関わります」

「あら、そう? 貴女はしぶといから大丈夫よ」


ベアトリスは冷酷に言い放つと、テーブルの上の呼び鈴を鳴らした。すぐに屈強な従僕が二人、部屋に入ってくる。彼らは日頃から義母に取り入り、私を軽んじていた者たちだ。


「この女をつまみ出しなさい。二度と敷居を跨がせないように」

「はっ、かしこまりました」


従僕たちが粗暴な手つきで私の両腕を掴む。


「待ってください! せめて、お父様の形見のペンダントだけは……!」

「ああ、あの安っぽいロケットのこと? それならさっき、暖炉にくべてしまったわ」


マリアが暖炉の方を指差して笑う。燃え盛る炎の中で、見覚えのある銀色の鎖が赤熱し、溶けていくのが見えた。養父が誕生日にくれた、唯一の宝物。


私の中で、何かがぷつりと切れた音がした。怒りでも悲しみでもない。ただ、この人たちに対する完全な失望と、人間としての底知れぬ軽蔑だった。


私は抵抗するのをやめ、従僕の手を振り払うようにして自ら姿勢を正した。その凛とした動作に、従僕たちが一瞬ひるむ。私はベアトリスとマリアを真っ直ぐに見据えた。私の瞳には涙など浮かんでいない。あるのは、冷徹なまでの決別だけだ。


「……分かりました。お望み通り、出て行きます。ですが、一つだけ忠告させてください」


私の声は静かだったが、不思議なほどよく通り、サロンの空気を震わせた。


「領地の運営は、貴女方が思っているほど簡単なものではありません。私が管理していた帳簿の暗号は私にしか解けませんし、用水路の管理魔術も私の魔力で維持していたものです。私を追い出すということは、それらすべてを失うということです。……後悔なさいませんように」


一瞬、ベアトリスの顔に不安の色がよぎったが、すぐに顔を真っ赤にして激昂した。


「口答えをするな! たかが孤児が、偉そうに! さっさと連れてお行き!」


罵声と共に、私はサロンから引きずり出された。廊下を引きずられながら、すれ違うメイドたちが悲痛な顔で口元を押さえているのが見えた。彼女たちに罪はない。私は目で「大丈夫」と合図を送るが、彼女たちの涙は止まらなかった。


玄関ホールに辿り着くと、重たい樫の扉が開け放たれた。猛烈な吹雪が吹き込み、一瞬にして肌を凍りつかせる。


「二度と戻ってくるな!」


背後から突き飛ばされ、私は雪の中に倒れ込んだ。背後で重々しい音を立てて扉が閉ざされ、錠が下ろされる金属音が響く。


世界から色が失われたようだった。視界を埋め尽くす白。頬を打つ氷の粒。私はゆっくりと身を起こした。足の感覚はすでにない。靴底の薄い革靴では、積もった雪の冷たさを防ぐことなどできなかった。


屋敷を見上げる。かつて養父と過ごした思い出の場所。けれど、今はもう魔女の住処と化した牢獄にしか見えなかった。窓の向こうで、ベアトリスとマリアが楽しげに祝杯を挙げているシルエットが見える。


「……さようなら」


私は短く呟き、踵を返した。向かうあてなどない。近くの村までは馬車でも半日はかかる。この猛吹雪の中、徒歩で辿り着くのは不可能に近い。それでも、あの屋敷の軒下で凍え死ぬよりは、どこか遠くで果てたほうがマシだと思った。


一歩、また一歩と雪を踏みしめて歩き出す。風が容赦なく体温を奪っていく。灰色のドレスはすぐに雪にまみれ、湿って重くなった。手足の先から感覚が消え、次第に痛みすら感じなくなっていく。


(お父様……ごめんなさい。約束、守り抜けなかった)


意識が朦朧としてくる。思考が鈍り、ただ足を動かすという単純な命令だけを脳が繰り返す。


どのくらい歩いただろうか。屋敷の明かりはすでに見えなくなり、周囲は深い森の闇に包まれていた。ここは国境に近い森だ。狼や魔獣が出ると言われている危険地帯。しかし、不思議と恐怖はなかった。寒さが恐怖をも麻痺させているのかもしれない。


ふと、視界の隅に青白い光が見えたような気がした。幻覚だろうか。それとも、お迎えが来たのだろうか。


足がもつれ、私は雪の中に倒れ込んだ。冷たいはずの雪が、今は温かい羽毛布団のように感じられる。これが凍死の予兆だということは知識として知っていた。ああ、このまま眠ってしまえば、もう辛い思いをしなくて済む。罵倒されることも、理不尽な労働を強いられることもない。


瞼が重い。呼吸をするたびに肺が凍りつくようだ。


(でも……悔しいな)


消え入りそうな意識の底で、小さな種火のような感情がくすぶっていた。


私は何も悪いことはしていない。誰よりも働き、誰よりも尽くしてきた。それなのに、なぜこんな最期を迎えなければならないのか。なぜ、あのような浅ましい人たちが温かい部屋で笑い、私が冷たい雪の中で死ななければならないのか。


(生きたい……)


心の奥底からの叫びが、言葉にならずに喉元で詰まる。


(死にたくない。もっと、ちゃんとした人生を歩みたかった。綺麗なドレスを着て、美味しいものを食べて、誰かに愛されて……)


その瞬間だった。


ドクン、と心臓が大きく跳ねた。


私の体の内側から、熱い奔流が湧き上がってくるのを感じた。それは血液よりも熱く、炎よりも激しい。今まで「呪い」だと言われて押し込めてきた魔力が、堰を切ったように溢れ出し、私の体を包み込んでいく。


倒れ伏した私の周囲で、雪が一瞬にして蒸発した。

黄金色の光が私の身体から立ち昇り、暗い森を真昼のように照らし出す。その光は温かく、優しく、そしてどこまでも神聖な輝きを放っていた。


「……これは……?」


薄れゆく意識の中で、私は自分の手が光り輝いているのを見た。それはまるで、御伽噺に出てくる聖女の御業のようだった。


遠くで、誰かの声が聞こえた気がした。


「おい、あそこで光が……!」

「まさか、魔獣か?」

「いや、あれは……清浄な魔力だ。急げ!」


雪を踏みしめる複数の足音。馬のいななき。

誰かが私に駆け寄ってくる気配を感じたが、私の意識はそこで限界を迎え、深い闇へと沈んでいった。


最後に感じたのは、凍える私を包み込む大きな手の温もりと、驚愕に震える男の低い声だった。


「信じられない……このような場所に、これほどの光を持つ者がいるとは……」


その声はどこか懐かしく、そして心地よく響いた。私はその温もりに縋るように、安らかな眠りへと落ちていった。


---


吹雪は依然として荒れ狂っていたが、私の倒れていた場所だけは、春の日差しが降り注いだかのように雪が溶け、小さな白い花が芽吹いていた。それは、後に世界を救うことになる「神聖皇国の聖女」が、初めてその奇跡を顕現させた瞬間だった。

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