1-5. 特別召集と北境への旅立ち
翌朝の礼拝堂は異様な熱気に包まれていた。礼拝堂の天井は高く、五メートル以上ある。その高さが、僕を小さく見せた。夜明け前に到着した城都の使者が、レオナルド王の紋章を刻んだ封筒を携えて列の前に立つ。クロウ教官と王国軍の副官が祭壇の前で待ち構え、僕たち三年組は緊張した面持ちで整列した。
副官は冷たい声で、
「王命により特別召集を発する」
と宣言し、封筒を一人ひとりに手渡していく。手のひらに乗る薄い紙が急に重く感じられ、息をするたびにその重さが胸を押しつぶす。
「北境第七前哨基地」
という文字が視界に焼き付いた。ざわめきが広がり、誰かが
「落ちこぼれも連れて行くのか」
と吐き捨てる。その声を聞いた瞬間、胸の中心が凍える。喉がかすれて声が出ないまま、僕は封筒を握りしめた。紙の質感が、指先に伝わる。
副官は北境で敵国ネヴァラ公国の夜襲が続いていること、治癒術師が不足していること、そして
「呪詛への耐性を持つ者」
が必要とされていることを淡々と告げた。最後の言葉に周囲の視線が再び僕へ集まる。その視線を感じると、背中に冷たいものが張り付く。リナは眉を寄せ、シルヴァは心配そうに唇を噛んだ。クロウ教官だけが視線を逸らさず、わずかに頷く。
「恐れるな。戦場で必要なのは、前を見る心だ」
彼は全員に向けて言ったが、なぜか僕にだけ届くように聞こえた。その声が、背中を押す。
礼拝堂を出ると、廊下には徴兵を受け入れるか拒むかで揺れる声が渦巻いていた。廊下の壁は石造りで、その壁に声が響く。王命だから拒否すれば反逆になる。その事実が、肩を押しつぶす。
ガルドは壁に片腕を預けて僕を待ち構えていた。
「お前、頼むから足を引っ張るなよ」
と吐き捨てながらも、その包帯から血が滲んでいる。血は黒く変色している。彼の腕はまだ完全には癒えていない。
僕が
「傷、まだ痛むのか」
と問うと、ガルドは一瞬だけ目をそらし、
「治癒班には黙っておく。戦場で借りを作りたくない」
と低く言った。いつも豪胆な彼の声音にわずかな恐怖が混じっているのを感じ、胸がざわつく。ざわつきが、心臓を締め付ける。
荷造りのため寮へ戻ると、シルヴァが分厚いノート束を差し出した。そのノートは、厚さ五センチほどで、重い。
「北境の古文書に触れた記録をまとめた。呪詛に関する項目は付箋を貼ってあるから、何かあったらすぐ調べて」
と彼女は早口で説明する。その声が、震えている。王都に残る彼女と離れるのは心細いが、密書を送る約束を交わし、互いの手を固く握った。その手の温かさが、指先から腕へと伝わる。
リナは教官棟へ向かい、
「前線に出るなら、私が指揮班で援護する。クロウ先生にも頼んだ」
と告げる。その眼差しには不安と決意が入り混じり、いつもの自信家の姿とは違って見えた。眼差しが、暗闇を切り裂く。
出発前夜、クロウが僕を訓練場に呼び出した。訓練場は屋外で、月明かりが地面を照らしている。その光が、肌を刺すほど冷たい。
月明かりの下、彼は木剣を二本放り投げ、
「最後の稽古だ」
と言って構える。剣を交えながら、彼は短い息継ぎの合間に言葉を落とした。
「お前は周囲を観察できる。戦場でそれを忘れるな」
「何が起きているのか分からなくても、逃げるな」
「自分を餌にして死ぬのは英雄ではない」
──全てが戒めであると同時に、僕を信じている証のようでもあった。その声が、背中を押す。
稽古が終わる頃、腕は重く、それでも心のどこかが軽くなっていた。軽さが、肩から背中へと流れる。
出発の日、学院の門前に馬車がずらりと並び、鎧姿の兵士が荷を検める。僕は父から預かったロザリオを首に下げ、母の言葉を胸に刻む。見送りに来た後輩たちは不安げにこちらを見つめ、教師たちは無言で敬礼した。ガルドは馬車の荷台で腕を組み、
「北境なんて初陣にはきついぜ」
と笑うが、笑みの端は引きつっている。リナは指揮班の資料を抱え、シルヴァから託されたノートを大事そうに受け取った。ゼロ・ナイトという先輩兵士が前列に座り、
「お前が噂の“治らない傷の少年”か」
と苦笑する。
「噂ほど派手じゃないです」
と返すと、
「派手な噂は勝手に育つ。生き残って真実を見せろ」
と肩を叩かれた。
馬車が動き出すと、学院の塔がゆっくりと遠ざかっていく。その塔が、小さくなっていく。窓から差し込む冷たい風が頬を撫で、車輪の振動が身体に伝わる。その振動が、背骨を震わせる。
僕は揺れる車窓の外を見つめ、静かに息を整えた。恐怖も後悔も、すべて連れて行く。その重さが、肩を押しつぶす。逃げ場のない未来へ向けて馬車は進み、北境へと続く道を辿る。それでも行く。誰かを救うために痛みを引き受ける道を、もう選んでしまったのだから。僕は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。その呼吸が、体の奥まで届く。
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