【カクコン11短編】天の気・地の気・人の気
まさつき
前編 古典気象学
「天気といえば天の気、すなわち天候の変化やあまねく星の気配を示すものであるように、地には地の、人には人の気というものが存在します。
人気はご存じですね。人々からの受けであるとか世間の評判を表す言葉です。それと同時に人の気、つまり人それぞれの心身の状態、外へ発する様々な気配などについても示すものです。〝にんき〟とは別に〝じんき〟などとも称します。
では、地気とは何か?
これはすなわち、大地が発し、大気に満ちる生気そのものを指しており――」
無駄に広い講堂の教壇に立ち、
出席を取らない、それでも単位を簡単にくれる、そんな理由で人気の講義。さらにレポートもなければ試験もない、文字通り何も無しに単位が取れるのであれば、学生が出席すらしなくなるのは道理。ところがしかし、教授はまったく気にしていないらしく、不愉快な顔ひとつ作らず淡々と毎回の講義をこなしている。
ただ、一応は学生の態度などは見ているようで、サークルの先輩の話を聞くところによれば、出席をしている生徒には必ず「優」を与えているのだとか。それでも、履修だけの幽霊学生にも「可」とはいえ単位は出すのだから、この教授が何をもって学生を評価しているのか、僕にはわからないままだ。
わかるのは、「古典気象学」という今ではまるで意味をなさなくなった学問の話を聞くことが、僕にとっては面白くて仕方がないということだ。おかげで、このコマに限っては無遅刻無欠席を通せている。
気象なんてものは、今や地球上のあらゆる地域・場所において、全世界を覆う「大規模天候制御機構網」によって事細かに、自由に作り出せる人為的かつ人工的な現象に過ぎない。かつて人類は、地球温暖化という今から見れば些末な問題の末路によって百億まで膨らんだ人口を数年で一億人以下まで減らし、滅亡寸前まで追い込まれたというけれど。今では温室効果ガスどころか大気の成分はすべて緻密に調整され、台風や線状降水帯などという言葉はすでに死語も死語、辞書からも削除されてしまった概念となっている。
それがこの西部教授の曾祖父・
この講義で知ったもう一つの死語が「天気予報」。これに当たる現代の言葉は当然ながら「天気確報」で、ニュースメディアで流される週間の天気はすべて確定したスケジュールとして発表される。3カ月の長期予定も同様だ。
おかげで昔の農業の大変さなど想像もつかない。長雨で農作物が不作になったり、逆に日照が多すぎて枯れてしまったり――よくもまあそんな中で何千年も歴史を紡いでこれたものだなと関心してしまう。
正直、畏敬の念すら抱いている。もちろん、不確かだった現象を完全に支配している現代科学は優れたものだ。しかし、変幻する事象にその時そのときの最善を尽くして対処する……そのような柔軟性こそよほど偉大だったのではないのか。そんな昔の人への想いもあって、僕は古典気象学の講義が好きなのかもしれなかった。
「――さて、天の気、地の気、人の気、この三つの気はそれぞれ独立に存在しているのではありません。相互に関わりを持ち、互いに影響を及ぼしている。動植物は当然のことながら、あまねく天地に存在する生命、無機物にいたるまで、気は宿っているのです。
人もまたしかり。古くは〝雨ごい〟などといって天に祈って雨を求め、地の川を祀って治水を行うなど、人の気を天地の気へと通わすことで――」
この講義で面白いのは、こういう脱線があるところだ。西部教授の説く古典気象学は、気象操作工学以前の自然科学的な気象現象とその研究に関するものばかりではない。オカルトめいた話も普通に織り交ぜて語ってくる。
最近はむしろ、古代の呪術や祭祀といったものと天候の関わりについての歴史を語ることが増えてきた。どちらかといえば、気象現象の科学的な話のほうが脱線と思えるくらいだ。しかもなぜか西部教授は、この不可思議な気のふるまいについて語る時のほうが、声に熱がこもるほどだった。
面白いけど学問というより宗教セミナーのようになってきた講義内容を不思議に思って、ゼミの時間に直接教授に訊いたことがある。
「私の家系はね、遠くたどれば平安時代の陰陽師にまでさかのぼることができましてね。曾祖父はもとより、先祖に関わりのある話を始めると、ついつい止まらなくなってしまうのですよ」
そう言って教授は、皴深い顔ではにかんでいた。
§
午後の講義が終わり、校舎を出ようとした僕の目の前には人垣があった。出口で学生たちが立ち往生して壁を作っていた。動揺するようなざわめきの向こうから、激しい雨音が聞こえた。反対側の校舎の窓からは陽光が射し込んでいるというのにだ。
手元の携帯端末で天気確報を確認しても、今日のこの地区の天気は「晴天」となっている。気温は18度と報じられているが、肌感覚ではずっと生暖かい。
小雨の予定すらないというのに、人々の頭越しに見える風景は滝の壁があるようだった。古語でいう土砂降りというやつだ。「またかよ……」といったぼやき声が、誰となく学生たちから漏れ聞こえた。
そうだ、まただった。最近、天気の予定が突然に変わるのだ。
「おい、会見が始まったぜ」と誰かが言って、皆が一斉に手元の端末画面に目を向けた。校舎内の掲示板もモニター表示に切り替わり、気象制御局の副局長が花束のようになったマイクの前に座していた。すっかりおなじみになった顔だ。一度、局長自ら会見の場に立って、あまりの説明下手に世間が炎上して以来、しゃべりの達者なこの副局長がもっぱら世間の矢面に立つようになっていた。
「それでは、本日の気象事故につきまして、ご説明させていただきます」
涼しい目元をした上級国家公務員の青年が、会見の口火を切った。やはり、見た目というのは重要らしい。春をまとったようなさわやかな副局長が口を開くだけで、画面越しにもその場に桜が咲くかのごとき華やぎが伝わってくる。
「やっぱ、副局長だよねえ」「事故の会見だもの、せめて見た目くらいはいい人じゃないと」「そうそれ、あの禿でデブの局長じゃさ」――そんな言葉が聞こえてきた。いつものことだが、口さがなくて驚くばかりだ。気候制御の仕組みをわずかでも知っていれば、会見の広報担当者が誰であるかなんて、どうでもいいほど深刻な問題が起きていると分かるというのに。
大規模天候制御機構網は、日本の霊峰・富士山に設置された中央制御塔を中心として、地球規模のネットワークを構築している。
世界中の国と地域の要所要所に気象制御の設備が設置され、さらにそこから局所的な天候制御のための小型設備が繋がれている。僕たち民間人にとって身近なものがこの小型設備なのだが、ここ数年で故障が頻発するようになっていた。もちろん、相手は機械だ。トラブルはあって当たり前であり、故障による天候変化のアクシデントがあることぐらい、誰だって承知している。
しかし、最近の気象事故は、以前のものとはまったく質が違った。
晴天のはずなのに雲がさしたという程度ではない。晴れの確報が毎日のように雨に置き換わるなどはまだかわいいもので、目の前で起きているように校舎の裏と表で晴れと雨が同時に存在するなどということが頻発していた。気温まで変わる。しかも1キロ四方以下の狭い範囲で起きた。火災の消火にも使われる天候制御だから局所的な降雨自体はあるにはあるが、運用は例外的なものだ。そんなことが偶発的かつ頻繁に起きるようになった。
「――原因は、N地区における気象制御設備の老朽化に伴うものです。すでに復旧のめどは立っておりまして、遅くとも12時間以内に天候は安定する見込みです。地域住民の皆さまにはご不便とご不安をおかけすること、まことに――」
やはり、問題の核心には触れていない。いつもどおりの、当たり障りのない事故対応の発表だった。僕以外の学生たちは会見を見て安心したのか、「たまには濡れて帰ろうぜ」などとこともなげに、雨の中へと踏み出していった。
本当の問題は、この不具合が連鎖することにある。ネットワークであるから、一か所に問題がおきても迂回ルートを構築したり、一定の範囲を遮断することで問題を封じ込めることで小手先の対応はできる。しかし気象制御網の構築は地表だけではなく、大地の深く、空の高くまで多層的な広がりを持つ仕組みだ。そもそも正常な気象制御自体が、複雑な立体パズルを解くようにして運用されている。その一切の制御を富士山に設置された中央制御塔の管理室が一手に引き受けていた。このせいで、複数個所で一度にトラブルが発生すると、その影響が他の地域へと伝播してしまう。
ネットワークシステムとしては致命的ともいえる仕組みなのに、なぜか創始者の西部満晴博士は、この仕組みをそのように設計し、初代の運用責任者となり後代の手本となったのだった。
世界各地で気象事故が増えているのはこれが原因なのだが、政府は頑なにローカルな事故としてしか報じない。しかしその仕組みには、すでに隠しようのないほころびが出ている――その兆しがあることを、僕は西部教授から聞いていた。
「教授、いったい何が起きているのですか?」
「気象というのはね、地球一つで成り立っているのではないのですよ」
気象事故の話を聞いたつもりが、もっと根源的な話を返されたのが印象的だった。とまどいながらも、僕は質問を続けたものだ。
「太陽や月の影響のことでしょうか?」
日照や太陽光の熱、月の満ち引きなどの影響を念頭にして、僕は話の先を促したのだけれど――
「そんな小さな話ではありません。宇宙の星々、それらすべてが互いに影響しているのです。気は、宇宙にも満ちている。宇宙全体から見れば塵にも満たない地球という小さな星が、どうしてその影響をまぬかれるというのか」
ずいぶんと壮大な答えが、教授からは返ってきた。
「大規模天候制御機構網などとたいそうな名前がついておりますが……あれは、一時しのぎのごまかしに過ぎない。どうやら限界が近いようです」
「一時しのぎの……限界?」
「もうすぐ分かります。もうすぐね」
教授との謎かけみたいな問答は、確かそこで終わった。気象局から急の連絡が入って、教授は出かけて行ったのだったか――
自宅に帰って自炊をしようと水道の蛇口をひねりながら、僕は教授との会話を思い出していた。
鍋に注いだ水から奇妙な匂いが漂った。嗅いだことのない、知らない匂い。試しにほんの少しだけ、口に含むと……。
「なんだ、これっ……!?」
酷く苦い。口内に汚臭が広がった。これでは、口を漱ぐこともできない。ありったけのティッシュを口に含んで、唾液もろとも汚染を掻き出した。
次の日のニュースは、原因不明の水質汚染の話題で持ちきりとなっていた。
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