狐の花嫁
銀
嫁入り
お前には、言っておかなければならない事がある。
私が父からその話を聞いた時、私はまだ15歳だった。
居間に座った父は、いつになく真剣な表情だった。
あの時の、背筋が凍るような、稲妻が走るような、あの不思議な感覚は生涯忘れない。
少女漫画に憧れていたあの頃の私には、「お前には許嫁が居る」の一言はあまりにも鮮烈だった。
私は、夢見がちな少女だった。
『恋に恋をする』
そんな言葉がピッタリな、妄想癖がある少女だった。
まだ見た事もない白馬の王子様。
そんな理想的な男性が、私の脳内に一瞬で現れた。
でも、私の想像と妄想は、父の話であっさりと打ち砕かれた。
それは、この町がまだ「村」と呼ばれていた、ずっとずっと大昔の話。
疫病と飢饉に見舞われ、村は壊滅寸前だった。
私の祖先は、修行をしながら諸国を練り歩く修験者だったそうだ。
生きる為に親が子の肉を食うという、子が親を捨てるという、それはそれは恐ろしい惨状を目にした彼は、村を救う為に祈祷を行なった。
それは、途轍もなく強いが、代償を伴う儀式。
村の守り神だった狐を呼び出し、彼は狐の力を借りようとした。
儀式は成功した。
目の前に現れた純白の狐は、彼に告げた。
「村を救ってやる。代わりに、お前の子孫の娘を、三代毎に我の嫁に差し出せ。」
苦肉の策だった。
仕方がなかった。
他に方法がなかった。
彼は神の力を借りる為、その取引を承知した。
その後、彼は村を見守る為、寺を構えて永住した。
以降、彼から三世代毎に娘が生まれると、18歳になる度に神の花嫁として、狐に捧げなければならない。
それからは不思議な事に、彼から三世代後には、必ず男女の双子が生まれた。
家系が断絶しないように、という狐の配慮だろう、と父は言う。
一度、それを不服とした娘が出奔して、行方をくらませた事があるそうだ。
その時は、家系が断絶寸前になるほどの災厄に見舞われ、危うく我が家は滅ぼされてしまうところだったそうだ。
耳を疑った。
信じられない話だった。
それでも、冗談は言うが、嘘はつかない父の真剣な眼差しを見た私は、一瞬で疑いを飲み込んだ。
「済まない。」
それが父の、最大限の労りだった。
神の花嫁になる、というシチュエーションに溺れていた私は、恐る恐る頷いた。
18歳になった私は、白無垢に着替えさせられて、裏山の祠に連れて行かれた。
「似合わないわね。」
と、私を見て笑う母の目から、一筋の涙が溢れていた。
何の物音もしない真っ暗な洞穴。
真夜中にそんな場所に連れて来られたのに、不思議と怖くはなかったのを覚えている。
洞穴の中の小さな祠の前にぼんやりと座った私の目の前で、強い光を放つ何かが現れた。
ようやく目が慣れた時、私の目の前で、息を呑むほど美しい純白の狐が、じっとこちらを見つめていた。
狐は私にゆっくりと近付く。
こんなに綺麗な神様の花嫁になれるのなら、人生も悪くない。
そう思った私の耳に飛び込んで来たのは、おそらく今後の人生最大の衝撃的な「音」だった。
「チッ。」
…え?
私は、狐に舌打ちをされた。
狐はガッカリしたようにうなだれると、私の目の前でゴロンと寝転がった。
頭の中に響く、優しくて不思議な声。
しかし、その内容はなかなかに酷いものだった。
またハズレだ。
まったく、お前の一族の女達はいつもそうだ。
何度記憶を消して遠くの町に送り出したか分からん。
ワケが分からなかった。
ただ、目の前の狐が不服そうにしているのだけは伝わった。
あの修験者は良い男だった。
子孫の娘もきっと美しいだろうとタカを括っていたが…
我も見る目が無いようだ。
こう何度も何度もハズレばかり引かされてはたまらん。
娘よ。
帰って父に伝えろ。
もう嫁はいらん、と。
…あれ?
…もしかして私、フラれた?
自分がいたたまれなくなった。
どうすればいいか分からなくなった。
父になんて言えばいい?
「お前はブスだからいらんって言われた」なんて、そんなの言えない。
私は肩を落としたまま、縋るように白い狐の背中を撫でた。
お前は肉付きが良いな。
嫁は御免被るが、抱き心地は良さそうだ。
落胆する私の脳内に、狐の言葉が流れ込んで来た。
私は今年で30歳になる。
色恋沙汰とは無縁の、冴えない漫画家になった。
私の許嫁は、今日も私の膝の上で寝息を立てている。
狐の花嫁 銀 @gin5656
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