文化祭のメインスクリーンに映るもの

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第一話 レンズ越しの違和感

カチッ、カチッ、カチッ。

静まり返った放課後のPCルームに、マウスをクリックする乾いた音だけがリズムよく響いている。

窓の外はすでに茜色に染まりかけていた。秋の日は釣瓶落としと言うが、文化祭直前のこの時期は、その加速度がさらに増しているように感じる。

モニターの明かりに照らされた俺、相田和也(あいだ かずや)の目は、連日の睡眠不足で充血しているに違いない。それでも、手を止めるわけにはいかなかった。


「……ここ、トランジションのタイミングが0.5秒遅いな」


独り言を呟きながら、俺は編集ソフトのタイムラインを操作する。

俺が任されているのは、文化祭のフィナーレを飾るメインイベント、「青春の思い出ムービー」の制作だ。全校生徒、保護者、そして来賓が見守る巨大スクリーンで上映される、いわば文化祭の心臓部とも言える企画である。

本来なら数名のチームでやるべき作業なのだが、映像編集のスキルがあるというだけで、実質的な作業のほとんどが俺一人の肩にのしかかっていた。

大変じゃないと言えば嘘になる。けれど、俺はこの作業を苦だとは思っていなかった。むしろ、ある種の使命感に燃えていたと言ってもいい。

なぜなら、このムービーの随所に登場する「学園の華」こそが、俺の彼女である天道カレンだからだ。


「和也、まだやってんのかよ。お前も好きだねえ」


背後から声をかけられ、俺はヘッドホンを少しずらして振り返った。

そこに立っていたのは、同じ実行委員で設営担当の杉本だ。手には缶コーヒーを二本持っている。


「杉本か。お疲れ。まあ、好きでやってるというか、責任重大だからな」

「ほらよ、差し入れ。微糖でよかったか?」

「助かるよ。ちょうど眠気がピークだったんだ」


受け取った缶コーヒーのプルタブを開け、一口飲む。温かさとカフェインが、疲れた体に染み渡っていく。

杉本は近くの机に腰掛けると、俺のモニターを覗き込んできた。


「すげえな……プロの仕事じゃん。これ、今年の文化祭で一番の目玉になるんじゃねえの?」

「大げさだよ。素材がいいからな」

「出たよ、のろけ。まあ、お前の彼女が被写体なら、どう撮ったって絵になるか」


杉本はニヤリと笑って俺の肩を叩いた。

そう、天道カレン。彼女はこの高校で知らない者はいない、正真正銘のアイドル的存在だ。

透き通るような白い肌、少し色素の薄いブラウンの瞳、そして風になびく長い黒髪。容姿端麗なだけでなく、成績優秀で性格も穏やか。男子生徒の憧れを具現化したような彼女が、なぜか俺のような地味な男を選んでくれた。

付き合い始めて半年。周囲からは「美女と野獣」だの「不釣り合い」だのと言われることもあったが、俺はその幸運を噛み締め、彼女に相応しい男になろうと努力してきたつもりだ。

この映像制作もその一つ。彼女が一番輝く瞬間を、俺の手で形に残したい。その一心で、連日の徹夜作業も乗り越えられていた。


「でもよ、最近カレンちゃん、あんまり見かけなくないか? クラスの出し物、そんなに忙しいのか?」


杉本の何気ない一言に、俺の手がわずかに止まった。


「……ああ、みたいだな。演劇の主役だし、衣装作りとかリハーサルとかで手一杯らしいよ。俺もこっちが忙しいから、最近はLINEくらいしかしてないけど」

「そっか。まあ、文化祭マジックでカップル成立とか破局とか多い時期だし、お前らも気をつけろよ?」

「縁起でもないこと言うなよ」

「悪い悪い。じゃあ俺、体育館の照明チェック行ってくるわ。あんまり無理すんなよ」


杉本はひらひらと手を振って部屋を出て行った。

再び静寂が戻ったPCルームで、俺は黒い画面に映り込んだ自分の顔を見つめた。

隈のできた目、ボサボサの髪。華やかなカレンの隣に立つには、あまりにも冴えない自分の姿。

杉本の言葉が、胸の奥に小さな棘のように刺さっていた。

確かに、ここ一週間ほどカレンとはまともに会話をしていない。「忙しい」という言葉はお互いの合言葉のようになっていたが、カレンからの返信が以前より素っ気なくなっている気がするのは、俺の被害妄想だろうか。


『今日は遅くなるから、先に帰ってて』

『ごめん、今日もクラスのみんなと残るから』


スマホの履歴に残る、彼女からの短いメッセージ。

信じていないわけじゃない。カレンは責任感が強い子だ。主役としてプレッシャーを感じているのかもしれない。

俺が彼女を疑うなんて、彼女の優しさに対する裏切りだ。そう自分に言い聞かせ、俺は頭を振ってネガティブな思考を追い払った。


「よし、気分転換に外の空気でも吸ってくるか」


ちょうど、ムービーのラストシーンに使う夕景のカットが足りないと思っていたところだ。

俺は機材バッグからドローンを取り出し、撮影の準備を始めた。

この高校は高台に位置しており、屋上やグラウンドからの景色は絶景だ。特にこの時間帯、空が青からオレンジ、そして紫へと変わっていく「マジックアワー」の映像は、青春ムービーには欠かせない。

許可証を首から下げ、ドローンのコントローラーを手にして、俺はPCルームを後にした。


廊下に出ると、遠くの教室から吹奏楽部の練習する音が微かに聞こえてくる。

文化祭特有の、熱気と哀愁が入り混じったような空気。

階段を降りて中庭に向かう途中、俺はふと足音を聞いて立ち止まった。

渡り廊下の向こう、生徒の往来が少なくなったエリアを、一人の女子生徒が足早に歩いていくのが見えた。

後ろ姿だったが、見間違えるはずがない。あの美しい黒髪と、スタイルの良さが際立つ制服の着こなし。

カレンだ。


「カレン!」


思わず声をかけた。

彼女の肩がビクリと跳ね上がり、ゆっくりとこちらを振り返る。

その表情には、恋人に会えた喜びではなく、どこか焦りのような色が浮かんでいたように見えたが、次の瞬間にはいつもの柔らかな笑顔に変わっていた。


「あ、和也くん。お疲れ様」

「お疲れ。今帰り? クラスの準備は?」

「う、うん。今日はちょっと材料の買い出しに行かなきゃいけなくて。和也くんは?」

「俺はこれからドローンの撮影。夕焼けが綺麗だからさ」

「そうなんだ……。ごめんね、私急いでて。また後で連絡するね!」


カレンはそう早口でまくし立てると、俺が返事をする間もなく背を向け、小走りで校門の方角とは違う、裏門の方へと消えていった。

裏門? 買い出しに行くなら正門から駅前の商店街へ行くのが普通じゃないか?

いや、もしかしたら親の車が迎えに来ているのかもしれない。

胸の中に生まれた小さな違和感を、俺はまた無理やり飲み込んだ。

疲れているんだ。疑心暗鬼になっているだけだ。

カレンのあの笑顔に嘘があるはずがない。


気を取り直して、俺は中庭の広いスペースにドローンを設置した。

プロペラが回転を始め、独特の風切り音と共に機体がふわりと浮き上がる。

コントローラーのスティックを操作し、ドローンを高く、高く上昇させていく。

手元のモニターには、見慣れた校舎がジオラマのように小さく映し出されていく。

夕日に照らされた校舎、グラウンドで部活に励む生徒たち、屋上で語り合うカップル。

まさに「青春」そのものの光景だ。

俺の操作に合わせてドローンは滑らかに空を泳ぎ、美しい映像を記録していく。


「いい画が撮れてる。これならラストシーンに使えるな」


高度を上げ、学校全体を俯瞰するショットを狙う。

ドローンのカメラがゆっくりと旋回し、校舎の裏側、現在は使われていない旧校舎の方角を向いた時だった。

モニターの端に、動くものが映り込んだ。


「ん? 野良猫か?」


旧校舎は立ち入り禁止区域だ。老朽化が進んでおり、生徒が近づくことは禁じられている。

もし生徒が忍び込んでいるなら注意が必要だが、あるいはただの猫や鳥かもしれない。

確認のため、俺はドローンを少し降下させ、カメラのズーム倍率を上げた。

高解像度のカメラが、夕闇に沈みかけようとしている旧校舎の影を鮮明に捉える。


そこにいたのは、猫でも鳥でもなかった。

二人の人間だ。

制服を着た男女が、旧校舎の非常階段の陰、死角になる場所に身を潜めるようにして立っていた。


「誰だ……? こんなところで」


風紀委員に通報するべきか迷いながら、さらにズームをかける。

モニター越しに、その姿がはっきりと形を結ぶ。

心臓が、早鐘を打った。

女子生徒の方は、さっき別れたばかりのカレンだった。

買い出しに行くと言っていたはずの彼女が、なぜ立ち入り禁止の旧校舎に?

そして、問題は彼女の隣にいる男だ。

うちの学校の制服ではない。ラフに着崩したブレザー、派手な金髪に近い茶髪、耳にはピアス。

明らかに他校の生徒、それもあまり柄の良くなさそうな男だ。


俺の指先が震え、ドローンの映像がわずかに揺れた。

見間違いだと思いたかった。

しかし、4Kカメラの残酷なまでの性能は、現実を容赦なく俺の網膜に焼き付けてくる。


男が、馴れ馴れしくカレンの腰に手を回していた。

カレンはそれを拒むどころか、甘えるように男の胸に頭を預けている。

俺の前では見せたことのない、とろけるような表情。

「清楚なお嬢様」であるはずのカレンが、まるで夜の街にいる女性のような艶めかしい雰囲気を纏っている。


「嘘だろ……」


乾いた声が喉から漏れた。

二人は何か親しげに会話を交わした後、周囲を警戒するように見回し、そして――。

男がポケットから取り出した鍵のようなもので、旧校舎の勝手口を開けた。

カレンが先に中へ入り、男がそれに続く。

重たい鉄の扉が閉まり、二人の姿は闇の中へと消えた。


俺は呆然と立ち尽くし、コントローラーを握りしめたまま動けなかった。

頭の中が真っ白になり、思考が停止する。

買い出し? 準備? 忙しい?

全部、嘘だったのか?

あの男は誰だ? 鍵を持っていたのはなぜだ? そもそも、あそこで何をするつもりなんだ?

いや、考えるまでもない。高校生の男女が、人目を避けて誰も来ない閉鎖された校舎に入っていく理由なんて、一つしかない。


胃の奥から酸っぱいものがせり上がってくるような感覚。

手足の先から急速に体温が奪われていくような悪寒。

俺が必死に編集していた「青春」の映像の中に、どす黒いノイズが混じった瞬間だった。

信じていた世界が、音を立てて崩れ落ちていく。


ピー、ピー、ピー。

バッテリー残量の低下を告げるアラート音が、非情にも現実を告げていた。

俺は震える手でリターン・トゥ・ホームのボタンを押す。

ドローンが自動で帰還してくる間も、俺の目は旧校舎のあの扉に釘付けになっていた。


あの中で、今、俺の彼女が。

俺の大切なカレンが、知らない男と。


「……ありえない」


着陸したドローンのプロペラが停止しても、俺の耳には心臓の鼓動だけがうるさいほどに響いていた。

ドローンからSDカードを抜き取る手が震えて、一度地面に落としてしまった。

泥にまみれたその小さなチップを拾い上げ、俺は強く握りしめた。

この中には、決定的な証拠が記録されている。

見間違いであってくれという願いは、このプラスチック片の冷たさが否定していた。


ポケットの中でスマホが振動した。

おそるおそる画面を見ると、LINEの通知が表示されている。

差出人はカレン。


『今、駅前の手芸屋さんに着いたよ! いい布が見つかりそう。和也くんも撮影頑張ってね♡』


可愛らしいスタンプと共に送られてきたそのメッセージ。

画面の中で微笑むカレンのアイコンと、俺の脳裏に焼き付いた、見知らぬ男に抱かれるカレンの姿が重なる。

吐き気がした。

このメッセージを送っている今、彼女はどこにいる?

あの薄暗い旧校舎の中で、男に抱かれながら、平然と俺に愛の言葉を送信しているのか?


俺はスマホを握り潰しそうなほど力を込めた。

怒りなのか、悲しみなのか、それとも恐怖なのか。

自分でも分からない感情が、どろりとした塊となって胸の底に沈殿していく。

ただ一つ確かなことは、俺が見ていた美しいレンズ越しの世界は、もう二度と戻らないということだけだった。

夕闇が完全に校庭を包み込み、俺の姿を孤独に塗りつぶしていく。

俺はSDカードをポケットにねじ込み、逃げるように、あるいは何かに導かれるように、PCルームへと足早に戻っていった。


確認しなければならない。

この映像を、もっと大きな画面で、詳細に。

それが自分自身を傷つける刃になると分かっていても、真実から目を逸らすことはできなかった。

校舎の窓ガラスに映る俺の顔は、ひどく青白く、そして泣き出しそうなほど歪んでいた。

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2026年1月13日 19:00
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