選ばれなかった勇者

塩塚 和人

第1話 ダンジョンが日常になった世界




東京湾に近い埋立地、その地下に、

今日も「穴」が開いていた。


それは突然、予告もなく現れる。

地面がひび割れ、空気が歪み、

まるで世界そのものが裏返るように――

現代に存在してはならない空間が口を開く。


人々はそれを、ダンジョンと呼んだ。




「半径三十メートル、深度不明。

 魔力反応、いつも通り中程度だな」


ヘルメットの通信越しに、

探索ギルド職員の落ち着いた声が響く。


周囲には、立ち入り禁止のバリケード。

報道ヘリの音。

そして、防護服に身を包んだ数人の人影。


彼らが、ダイバーだ。




ダイバーとは、

ダンジョンに潜ることを生業とする探索者の総称だ。


元は普通の人間だった者も多い。

だが、ダンジョン内部で得られる

特殊な鉱石や結晶――

コアと呼ばれる物質の影響で、

人の身体は少しずつ変わっていく。


筋力が増す。

反射神経が研ぎ澄まされる。

ごく稀に、常識では説明できない力を得る者もいる。


それでも彼らは、

自分たちがなぜそんな力を得られるのか、

誰も知らなかった。




「今回も、最奥を潰せば消えるんだよな?」


若いダイバーが、軽口を叩く。


「そうだ。

 ダンジョン・コアを破壊すれば、

 この穴は閉じる」


ベテランが答える。

何度も繰り返されたやり取りだった。


ダンジョンは攻略されれば消滅する。

それは、世界共通の“常識”だった。




だが――

それでも、ダンジョンは尽きなかった。


一つ消えれば、また別の場所に現れる。

地方都市、山奥、海底、

そして、都市の真ん中にさえ。


なぜ発生するのか。

なぜ消えないのか。

その問いに、誰も答えを持たない。


探索ギルドは言う。

「自然災害のようなものだ」と。


人々は、

そう信じるしかなかった。




その頃。


現代世界とは別の場所で、

まったく異なる儀式が始まろうとしていた。




巨大な石造りの広間。

床には複雑な魔法陣が描かれ、

淡い光を放っている。


そこに立つのは、

王冠を戴いた男と、

緊張した面持ちの魔法使いたち。


「……始めるぞ」


重い声が響く。




勇者召喚。


異世界において、

最後の切り札とされる禁呪。


本来であれば、

一つの世界に一度しか使われないはずの術。


だが彼らは、

その禁忌を再び踏み越えようとしていた。




魔法陣の光が、強くなる。


空間が歪み、

何かが引きずり出される感覚。


次の瞬間――

一人の男が、床に倒れ込んだ。




黒いコート。

現代的な服装。

そして、鋭い目つき。


男はゆっくりと身を起こし、

周囲を見回した。


「……」


言葉は、出てこなかった。


だが、その沈黙の中で、

彼の脳裏には、

はっきりとした違和感が浮かんでいた。




(……知ってる)


石の床の冷たさ。

魔法陣の光。

この空気。




男――

氷室竜司は、

小さく息を吐いた。


「……まさか」


低い声で、そう呟く。


「二回目、かよ」




彼の目には、

驚きよりも、

呆れと警戒が浮かんでいた。


勇者召喚。

それが何を意味するのかを、

彼はもう、知っていたからだ。




一方その頃、

現代世界では、

また一つのダンジョンが攻略され、消滅していた。


誰も知らない。


そのすべてが、

一人の魔王の存在に

つながっていることを。


そして――

その魔王を、

この男が再び討つ運命にあることを。


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