終焉を告げる神
琴坂伊織
第一章 永遠の春
第1話 終わりを与える者
この石畳が敷かれてから、どれだけの鉄と糧食が通り過ぎただろうか。
荷馬車が通るたび、埃っぽい匂いが舞い上がる。荷台からはみ出した矢尻が、鈍い光を放っていた。
この都市では二百年前、包囲された守備隊が一滴の血も流さずに降伏し、両軍が和解した。
「神の復活に、また一歩近づいた」
ノーラは小さく息を吐く。薬指の指輪がぼんやりと灯っている。
「あと千歩は必要だけど」
叙事詩には決して残らない、物事に終焉を与える神。彼女が祝福したとされる城門に近づき、その神性を指輪に吸収していく。
その時だった。
殺気を感じ、わずかに重心をずらす。鼻先数センチの場所を、衛兵の槍が貫いていた。
軋む車輪の音に振り返ると、数台の荷馬車が軍隊のように動き出し、ノーラを中心とした円陣を組み上げる。
驚くべきは、その速度だけではない。
手綱を握っていたはずの御者、荷台でくつろいでいた商人。その全員の手には、すでに抜き身の剣やクロスボウが握られていた。
「……絶体絶命だね」
ノーラは、まるで朝の珈琲を淹れるような手つきで剣を抜く。敵の数は三十人ほど。城壁の弓兵を含めればその倍はいる。
対するはノーラ一人。
だというのに、彼らは喉を鳴らす音さえ恐れているように見える。
「背教者よ。諦めなさい」
城壁の上から、くぐもった男の声が聞こえてくる。
「やなこった」
首が痛いなと思いながら、ノーラはのんきな声を出す。
「また戦争の神がお漏らししちゃったんだ」
神のくせに、神託を下しすぎだと思う。
神聖なるイベントを排泄物扱いしたせいで、騎士様たちが怒りの表情を浮かべる。
「特殊な性癖だよね。そんなの浴びて喜ぶんだもん」
ノーラはにんまり笑いながら挑発する。
終わりの見えない旅を続けているせいか、随分と性格が悪くなった気がする。
「貴様ぁ!」
先ほど槍を放った衛兵が、顔を赤く染めながら襲い掛かってきた。
「ほいっと」
右足を半歩下げ、体を回転させる。槍が虚空を裂き、勢い余った衛兵が体勢を崩す。
そこに、ノーラの突きが飛んでくる。
「がひゅっ」
断末魔と同時に、鮮血が喉元から噴き出した。
「私は争いを終わらせる」
骸となった衛兵を静かに見つめながら、ノーラが告げる。
嗅ぎなれた臭いが鼻を通った。
「そのために、物事に終焉を与える神を蘇らせる」
「背教者よ。神を再誕させるなど不可能です」
城壁に立つ男が、静かに口を開く。
「それに、戦争が終わってしまえば、多くの者が飢えてしまいます」
「この街には多くの武器職人がいる。戦争が終われば、彼らは職を失う。あなたの理想は、彼らの子供たちを殺すのです」
ノーラは退屈だと言わんばかりに、爪をいじって聞いている。
「俺は文字も読めない。戸籍もない。あるのは軍籍だけだ」
御者風の兵士が、ぽつりと語り出す。
「戦争は怖い。でも、どうやって生きりゃあいいんだ!?」
ノーラは、これまで出会った孤児を思い出しながら答える。
やせ細って、暗い目をしている子供たちだ。
「人間は、適応する生き物だ」
「この狂った世界に適応したように」
爪をいじるのをやめ、首を上げる。
「あなたの一族は、二百年前は農具を作っていた。でも、いまは武器を作って生きている。それが答えだ」
ノーラは意地の悪い笑みを浮かべて、言葉を続ける。
「成功した武器商人。その地位を失いたくないだけでしょ?」
男は答えない。だが、射るような視線でノーラを見つめている。
「あなたも」
次は御者風の兵士に問いかける。
「変わりたくないだけでしょ?」
人は変化を恐れる。
大きな変化を味わうくらいなら、今にしがみつく。
「体さえあれば、仕事なんていくらでもある。たとえあなたが適応できなくても、誰かは適応する」
「俺は野垂れ死んでもいいってか?」
ノーラが頷くと、御者風の兵士がこめかみに青筋を浮かべる。
「私は、子供が飢えて死ぬ世界は間違っていると思う」
「……変化の過程で、人が死んでもいいと?」
「うん。甘い考えはとっくに打ち捨てたから」
城壁に立つ男が右手を上げると、弓兵たちが一斉に動き出す。
直後、矢が雨のように降ってくる。
「邪魔するのであれば、容赦しないよ」
ノーラは表情一つ変えず、散歩をするように歩き出す。
首をわずかに傾け、半身になり、時には剣先で矢の側面を軽く叩く。降り注ぐ矢の隙間を、器用に歩いていた。
「放て!」
今度は地上にいる兵士から石が飛んでくる。
原始的だが、効果的だ。
「あっぶな!」
咄嗟に頭を下げると、角ばった石が通り過ぎていく。
このままではまずいと、地面を蹴り、地上の兵士へと肉薄する。
「さよなら」
一人二人と、地上の兵士たちを葬っていく。でも、順調というわけではない。手練れもいれば、間合いを間違えることだってある。
ノーラの右頬からは血が流れ、体にはいくつかの浅い傷が刻まれている。
地上の兵士が半分を切ったころ、男が命令を下す。
「味方を巻き込んでも構いません。背教者を仕留めなさい」
ノーラはついさっきまで口論をしていた御者風の兵士に近づくと、素早く剣を振り下ろす。
御者風の兵士は、恐怖におびえながらも必死に腕を振り、攻撃を受け止めた。
しかし。
鋭角に放たれた矢が、その男の頭を貫いた。
「ぐぅ……」
そして、ノーラも声を漏らす。
頭蓋を打ち抜いた矢が、そのままノーラの胸に深々と刺さったのだ。呼吸をしようとした瞬間、口と胸の傷口から血がこぼれる。
「悪名高いわりには、随分とあっけなかったですね」
城壁の男が、意外そうに目を見開いて言う。
ノーラは、鉄を押し込まれた激痛に耐えながら、言葉を紡ぐ。
「あなたは、来世もこの世界に生まれたい?」
「物事に終焉を与える神が殺され、争いは終わらない。……何度生まれ変わっても、同じ争いに人生を捧げるんだよ?」
ノーラは、ポタポタと血を滴り落としながら喋る。呼吸をするたびに、矢じりが内臓を削る。
「本当にそれでいいの?」
男は答えない。
能面のような顔をして、押し黙っている。
「だから、姉妹神だった、命に終焉を与える神は、私に加護を授けた」
ノーラは悲鳴を堪えながら、自身の肉に食い込んだ異物を力任せに引き抜いた。
「不死の肉体。それが私に与えられた、呪いであり祝福だ」
終焉を告げる神 琴坂伊織 @iori_k20
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