第8話 カラオケボックスの幽霊

 いつものように早太子さんと買い物をしていた。

 取り調べ室の恐怖から解放されて、再び取り戻すことの出来た日常の時間だった。

 けれどもあの苦痛の時間も、たった一日のことであったからか、僕の心身に刻み込まれるようなことはなかった。

 それどころか僕は、みっともなく弱っちい人間の姿のまま取り残されてしまった。

 あの緊迫した時間を乗せた一日は、警視庁本部庁舎のように、ゆるゆると砂粒になってゆくのだろうか。

 そんな隙間のような思いが、どこかで蠢いていた。

「早太子さん、前に女子の本質は自己中だって言ってたでしょう?」

 僕の日常はこんな上滑りな問いと共に進んでゆく。

「はい。今でもそう思っていますよ。」

「でもさ、その自己が、もの凄く大きくなったらどうなの?」

「と言いますと?」

 早太子さんにはうまく伝わらないようだった。

「つまりね、私にとって良いことを追求するのが自己中心的な生き方でしょう?」

「私にとって、良いことだけを追求するのですね。」

「そうだとして・・・」

 僕はずっと頭の片隅にあったことを言葉にしようと努めた。

「人の自己が、他人を包み込んでしまうこともあるんじゃないかと思うんだよね。」

「それが自己が大きくなった場合、という意味ですか?」

「うん。例えば女性だったら、自分が産んだ子供は、自己の範囲内にあることが、実際にはあるでしょ? その人が子供たちの為に全力で何かをしようとすること、それも自己中心的と呼ばれるのかな? それも自己中の表れだとすると、自己中って何なんだろう、とか思って。」

 早太子さんは黙ってしまった。早太子さんの中で、思考がもの凄いスピードで回転し始めたらしい。

 僕はその瞬間、「やった!」と快哉かいさいを心のどこかで叫んでいた。

 早太子コンピュータに負荷をかけたぞ、という意味で。

 早太子さんの瞬きが消えて、瞳が一点を見つめたように動かなくなった時には、人通りのある歩道の真ん中に、異物のように屍体が立ち現れたようで、ちょっと慌ててしまった。

 いや、もともと屍体ではあるんだけど。

 その時、誰かが後ろで息を呑んで走り去った・・・と思った。

 次の瞬間、早太子さんが戻ってきて「アッ」と叫んだ。

「私としたことが! あってはならないミスを犯してしまいました。」

「どうしたの?」

「好海さんです。今走って行ったのは、好海さんですよ。」

 僕は愕然とした。あってはならないほど迂闊だったのは僕の方だ。

「好海さんが見てしまいました。櫂さんが誰か女の人と仲良さそうに買い物をしている、と思ってしまったようです。」

 こんな人目のあるところで、どうして余計な問いを早太子さんにぶっつけたんだ。

 しかも早太子さんに負荷がかかったのを見て喜んでいた。

 僕は好海さんは自己中な人ではないと思って、そのことを早太子さんに確認したかった、それだけだった。

 それだけのことなら、アパートに戻ってからゆっくり話せば良かった。

 早太子さんと同居していることは、好海さんには絶対に知られてはならないと思って、今日まで過ごしてきたのに。

「早太子さん、どうしよう・・・」

 途方に暮れてしまった。買い物は早々に切り上げて、急いでアパートに戻った。人目を気にして、早太子さんは霊ワープして戻り、アパートの玄関には僕一人で入った。

 鼓動が収まらず、鍵が鍵穴にうまく入らない。

 早太子さんは深刻な表情でダイニングテーブルを睨み付けていた。

「困りました。私の負の力の使いどころが見当たりません。」

 確かに、人を恐怖に陥れて、その人のネガティブな念を吹き飛ばす早太子さんの手法では、好海さんの件を解決することは難しそうだった。

「藍田さんのお力をお借りすることは出来るでしょうか。」

「出来る!」

 僕は速攻で答えた。

 早太子さん推しの藍田さんは、「サディスト陽子」と胸を張って自称する公安部の女性警察官だ。早太子さんの頼みに対しては、最も信頼の出来る助力者になるはずだった。

「連絡してみるね。」

 僕はスマホで電話をしてみた。まだ勤務時間内だったから、留守電に吹き込んだ。

「時盛です。お疲れ様です。サディスト陽子さんにちょっとご相談があります。お仕事が終わったら連絡ください。それでは失礼しまーす。」

 これで、早太子さんから頼み事があることが伝わるはずだ。

 警視庁本部庁舎倒壊事件以来、僕たち二人の周りには常に監視の目があった。部屋の盗聴まではなかったけれど、アパートの玄関が見える位置に、その都度異なる車種の車が駐車していた。

 それは早太子さんと警察庁長官、警視総監との約束に違反するが、早太子さんは「アクションがない限り、放っておくしかないのではないでしょうか」と寛容だった。それが、こういう緊急事態には足枷になるようで鬱陶しかった。

 僕たちに対してさえそんな状態なのだから、藍田さんの場合は、さらに徹底しているだろうと思って、わざとボンヤリとしたメッセージを残した。

 夜の八時頃に、藍田さんから折り返しの電話が掛かってきた。やはり前と同じようにスピーカーフォンだ。

「藍田です。ご無沙汰してます。早太子さんもいますか?」

 こちらもスピーカーフォンに切り替えた。

「早太子です。お元気ですか?」

 早太子さんは笑顔を作りながら言った。

「めちゃくちゃ元気です。早太子さんも元気に幽霊されてますか?」

 藍田さんは、ファン特有の変な言い方をする。

「あまり幽霊はしていません。」

 早太子さんは藍田さんの変な言い回しに付き合いながら答えた。

「このところ静かな毎日でしたので。そのせいで気持ちが弛んでしまったのでしょうか、あってはならない、大変なミスを犯してしまいました。」

 早太子さんのガッカリは納まらずに続いていた。

「どうしたんですか! サディスト陽子にお任せ下さい。どんなフォローでも。ワタクシの辞書に不可能という文字はありません!」

 早太子さんの声音を聞いて、藍田さんはいきなりパワー全開になってしまった。

「ごめんなさい。興奮してしまいました。周りのお客さんがこっちを見てます。監視の目もあるのに・・・」

「このスマホは安全ですか?」

「スマホは大丈夫です。これは肌身離さずなので、隙がありません。部屋はダメですけれど、そうそう公安部の思うままにはさせません。」

 やっぱりそうなんだ。

 そこで僕は、好海さんに二人の姿を見られてしまった顚(てん)末(まつ)を簡単に説明した。

「そうでしたか。それで早太子さんが気落ちされていたのですね。ご心配されるお気持ち、お察し致します。早太子さんは好海さん推しでしたものね。」

「櫂さんの為にしてきたことを、自分が水の泡にしてしまいそうです。藍田さん、何か良いお知恵はないでしょうか。私は人の心に恐怖を生み出すことで、その人をコントロールします。でも今回の件は、その手法が通用しません。自分が何の役にも立たないようで、余計に気分が沈んでしまいます。」

 早太子さんの心の内を聞いて、藍田さんはしばらく考え込んだ。

「早太子さん、こうなった以上は、好海さんに、ご自分が何者であるかを説明しなければいけないと思います。もし今後も好海さん一本で行く、ということであればです。」

 好海さんに、僕が幽霊と同居しているということを説明して理解を求める、そんなイリュージョンみたいなことが出来るだろうか。最初に僕が感じたのは、藍田さんのアイデアの途方もなさだった。

「早太子さんと櫂さんが同じ空間で過ごしているという事実は、もう露見したと考えるべきでしょう。どんな言い繕いをしようとも、一度崩れた防壁は、元には戻らない。そう考えた方が良い。相手は人の心ですし、しかも女性なのですから、ほんの些細な違和感が繋がったときに、嘘は不誠実に変わってしまいます。

 その瞬間に全てが終わる。だとすれば、早太子さんは好海さん推しの幽霊だということを、伝えて納得してもらう以外に、今後好海さんと櫂さんの関係を育ててゆく道は開けてこないと考えます。」

 早太子さんも考え込んだ。

 藍田さんは静かに付け加えた。

「ものゝふの 彌猛心やたけこころの ひとすじに 身を捨ててこそ 浮かぶ瀬もあれ と言います。

武士という者、勇みに勇んで、もの怖じする心なくまっしぐらに突き進み、身を捨ててかかれば、一度水底に沈んだとしても、必ず浮かび上がり助かる道が見つかるものだ、という意味です。

 誠実さだけが、疑心を打ち砕きます。ここは意を決しましょう、早太子さん、櫂さん。」

 藍田さんの言葉は、僕の心に染み入った。もうその道しかない。

「藍田さんが仰る通りのようです。覚悟を決めなければいけませんね。好海さんを騙すのはもうやめにしましょう。」

「僕も藍田さんの言う通りにしたいです。」

「お二人の覚悟に敬意を表します。ただここに一つ厄介な邪魔者がいます。公安部です。好海さんを家に招いたり、どこかで三人で会ったりすれば、守秘義務違反の嫌疑を受けるでしょう。事実、好海さんに早太子さんの情報をオープンにする訳ですから、言い掛かりと反論することも出来ません。」

「監視は僕たちも気付いていました。でもそれは向こうも約束違反ではないですか? 僕たちを一般人として、放置する約束じゃなかったですか?」

 僕はずっと溜めていた不満をぶちまけた。

「早太子さんの件は極秘事項なので、部外者に漏洩しないように完全に守る必要が公安部の側にはあります。監視は早太子さんという極秘事項を守る動きとして正当化されています。

 もし秘密漏洩の恐れありと公安部が判断した場合、もちろんそれで立件するとか、法的にどうこうすることはありません。

 が、一方で公安部は何でもできます。むしろ何をするか分からないところが怖いというべきでしょう。お二人の関係を壊す方法ならいくらでもありますから。

 もし公安部が漏洩の危険が迫ったと判断した場合、お二人を物理的に切り離すとか、そういうやり方を考えるでしょう。櫂さんがこの土地に居られなくするとか。もし早太子さんの存在が怖いと考えれば、藤原さんの家の周りで動くこともあり得ます。藤原さん一家が引っ越さなければいけなくなる。理由はお父様の転勤でも何でもいい。理由はいくらでも作り出せます。

 早太子さんは、櫂さんお一人のことなら守れるかもしれません。けれども、好海さんの周辺までカバーすることは難しいのではありませんか?」

「・・・そこまでは・・・難しいです。」

「そうなると、今回の件は絶対に公安にバレてはいけません。公安に隠れていつの間にか好海さんと早太子さんが会見をする、いつの間にか好海さんが早太子さんの存在を認知して受け容れている、そういう流れのなかで事を行わなければいけません。」

 なかなか難しいお題だった。そんなことが出来るんだろうか。

「公安部に分からないように事を運ぶ、なんて無理だろうとお思いですね?」

 藍田さんは僕の顔を見据えて言った。さすが公安だ。表情も読み取られてしまう。

「ワタクシ、サディスト陽子が全面的に協力致しますのでご安心下さい。蛇の道は蛇と申します。細工は流々、仕上げをごろうじろですよ。」

「陽子さん、よろしくお願いします。」

 早太子さんの全面的な信任を受けた藍田さんは飛び上がったらしい。

「キャッ! 任せて下さい! ・・・あ・・・また、目立ってしまいました。スミマセン。」


 翌日、藍田さんが連絡してきたのは次のような計画だった。

 まず、秘密裏に好海さんをカラオケに連れ出す。これには好海さんの友達の協力が必要だ。僕は高塚寧音さんに協力を頼んだらどうか、と提案した。うまく二人だけのカラオケの場が作れれば、その店に後から僕と藍田さんは向かう。その時、早太子さんは一人で買い物に出かける。

 早太子さんは通常通りに買い物をして、ごく普通に帰宅する。その後、人の居る気配を残してカラオケに霊ワープする。人が揃ったところで藍田さんを見届け人にして、早太子さんのことを説明する。そこで好海さんを納得させられるかどうかが最後の勝負となる。

 藍田さんは思った通り、上司から「まかせてください」とはどういうことだ? と聞かれていた。時盛さんからカラオケの練習に付き合って欲しいと頼まれた、それが嬉しくて飛び上がってしまった、と説明してあるそうだ。公安部は藍田さんが僕に気がある、という認識を持ったということだ。煙幕としては上出来で、これから先も使えそうだった。

 藍田さんには、藤原さんたちの学校名、高塚さんの写真、スマホの番号が欲しいと言われた。それだけで良いということだった。

 あとで聞いた話だが、藍田さんは非番の日に張り込んで下校途中の高塚さんに接触を試みた。

「高塚寧音さんですね? 警視庁公安部の藍田と申します。」

 手帳を見せながら「少しお話よろしいですか」と話しかけ、近くにあった児童公園のベンチで話をした。

「ごめんなさい。実は今日は警察官としてお話ししているのではなくて、時盛櫂さんの友人としてここに来ています。」

 高塚さんは目をパチクリしていたらしい。

「藤原好海さんと時盛櫂さんのお二人が、お付き合いされているのはご存じですよね?」

「はい。知ってます。」

「ところがこのところ、関係が少しギクシャクしている、というのもお聞きになっていますか?」

「聞いてはいないですけれど、はい、そうなのかなと思ってました。」

「そうなんです。櫂さんの希望としては、どこかで好海さんとお会いして、誤解を解く話し合いの場を作らせていただきたい、ということなんですね。

 それで、できれば寧音さんに協力をして欲しいというお願いをお伝えする為に、私、ここに来ています。伝わりましたか?」

「あ、分かります。二人の話し合いの場を作るのに、私が何か協力するんですね?」

「可能ですか?」

「もちろんです。私も二人が上手くいくと良いと思っています。」

 藍田さんの計画に、高塚さんは全面的に協力してくれることになった。

 好海さんとしては、予想しない展開になる。だが、彼女はきっと話を聞いてくれる・・・僕は祈るような思いだった。


 当日、計画は順調に進んだ。僕と藍田さんが入室すると間もなく、ドアの前を人影が通った。中を確認する視線も感じた。公安部の尾行だ。

「やりますね、公安部」と僕が言うと、「さすがでしょ?」と藍田さんはドヤ顔になった。

「でも、その公安の鼻を明かしてやりますぞ」と楽しげだ。

「好海さんたちの個室も覗き込んだりしますか?」

 僕は、好海さんがここに来ていることが知られるのはまずいように感じたのだ。

「必ず見ます。今日、お二人はよそ行きのファッションで、お化粧もフルメイクで来てもらっています。とうてい高校生には見えないと思いますよ。女ですから。」

 藍田さんは本当に抜かりがない。

 尾行がどこかの個室に入ったのか、通路を見渡せる位置に隠れたのか、僕たちのところからは分からなかった。

 そこに早太子さんが現れた。

 僕たちがここまで尾行されていることを伝えると、「大丈夫です。入室を確認しただけで、今は外の物陰に潜んでいますよ。好海さんをお願いします」という答えだった。

 このゴーサインを受けて、僕は好海さんたちのいる個室に向かった。

 ノックして中に入ると、好海さんは目を丸くした。正直、僕の方も目を丸くしていたと思う。藍田さんの言う通り、二人の女子高生は、大学生顔負けの大人の色気を醸し出していたからだ。公安部は写真携帯で来ているはずだが、気づかなかっただろうと安堵した。

「え? 櫂さん、どうして?」

 好海さんはそう言ったまま固まってしまった。

「ごめんなさい。どうしても好海さんの誤解を解きたくて、高塚さんに協力をお願いしました。」

「え、そうなの?」

「ゴメン、このちゃん。二人がギクシャクしてるって聞いたから、何とかならないかと思って。話、した方が良いと思うよ。」

 高塚さんの言葉を聞いて、好海さんは瞬時に心を決めたようだった。

「分かった。行ってくる。帰らないで、ここにいてね?」

「一人カラオケしてるから大丈夫。じっくり、納得出来るまで話してきて良いよ。」

「ありがとう。」

 好海さんはそう言って、僕の後に従った。

「色々、ごめんね、来てくれて、ありがとう」と僕は言ったが、好海さんの返事はなかった。

 好海さんを連れて自分たちの個室に戻る間、僕の神経はヒリヒリと尖りっぱなしだった。でも、多分好海さんの方がずっと張り詰めていただろう。

 時盛櫂と一緒に来ているはずの、あの知らない女性と対峙する、その瞬間が迫っている。そんな緊張感が好海さんに襲いかかっていたはずだ。

 自分たちの個室に入室すると、早太子さんと藍田さんは、緊張した面持ちで立ち上がった。

「私は藍田陽子と言います。こちらは早太子さん。」

「藤原好海です。」

 好海さんは物怖じせずに二人に対した。高校生でも覚悟を決めた女性は強い。

「お座り下さい」と言ってみんなを座らせると、藍田さんはいつものように手帳を見せて「私、お二人の友人としてここに来ていますけれど、警察官でもあります。だから、色々とご心配なこともあるかと思いますが、一応、見届け人として、私がおりますので、ご安心下さい」と言った。

 好海さんは驚いているようだった。それはそうだろう。警察官がいきなり登場すれば、僕だって緊張する。

「合宿所の件とか、ありましたでしょう? その機会にお二人とお知り合いになって、以来、親しくさせて頂いています。櫂さんではなくて、早太子さんと。誤解のないように申し上げておきますが。」

 藍田さんは慎重に布石を置いた。

「さっそくですが、好海さんは、早太子さんと櫂さんがお二人で買い物をされている姿を目撃された、ということでよろしいですね。」

「ショックでした。」

 好海さんの表情が歪み、僕は胸を鷲づかみにされた。くじけそうになるのをグッと堪えこなければならなかった。

「では、そのことについて、時盛さん、釈明があればお願いします。」

「早太子さんがどういう人か、説明させてもらえる?」

 僕は震える声で言った。

「説明して下さい。」

 好海さんの言葉には、説明を待つ響きは感じられなかった。期待したのと違う声音に僕はいよいよビビってしまった。でも、ここは目を瞑って飛び込むしかない。

「高校時代の、話からします。」

 僕は小豆沢翠さんのことを話した。

 好海さんの反応は冷ややかだった。

「亡くなった方が、どうやって何かを造れるんですか?」

 僕が無いこと無いことを挙げ連ねているようにしか聞こえていないのだ。僕の胸にはよじれるような痛みが走った。

「一度、小豆沢翠さんに会いに行きました。翠さんは僕に対する念として、事故現場に取り残されていました。でも、翠さんは決して悪い霊ではありません。時盛櫂を幸せにしたい、そのために僕の世話をする存在として、幽霊が幽霊を造り出したんです。

 好海さんの表情が強ばった。

 僕は自分の伝わらない言葉が呪わしかった。

「この世に対する翠さんの強い念が、自分を引きちぎるようにして、もう一つの念である早太子さんを造り出した。そういう切羽詰まった思いを想像してもらえれば良いんだけれど。無理かな・・・」

「なんでそんな話をするんですか?」

 好海さんは怒ったように叫んだ。涙が頬を伝った。

「もっと分かる話をすれば良いのに! もっと騙せそうな、信じられそうな嘘を言えばいいのに!」

「今、櫂さんが話したことが真実です。」

 早太子さんがいきなり立ち上がった。

「藤原好海さん、私がどんな存在か、あなたの目でしっかりと見て、それから判断して下さい。何も見ない内に、心を決めてはいけません!」

 その言葉が終わった途端、部屋の電気が消えた。モニターの灯りだけになった部屋で、早太子さんの身体が宙に浮き上がり、天井に蒼白い煙のように広がった。こんな早太子さんは見たことがなかった。蒼いオーラを発光する早太子さんの身体が、天井と壁を覆い尽くした。

 オ・・・オ・・・オ・・・オ・・・

 部屋の壁を震わせて怨の声が響いた。

「コンナ レイリョクヲ モツモノヲ カイガ モトメルト オマエハ オモウノカ」

 好海さんは息を呑んだまま部屋中をグルグルと飛び回る早太子さんを追っていた。僕の心臓も激しく波打った。藍田さんはウットリと見とれている。

「カイヲ ミソコナウナ カイハ トモニ シアワセニ ナレルモノヲ モトメテイル ソノアイテ ハ オマエ ダ」

 そこまで言うと、煙が一点に逆流し始めた。灯りが点いた。早太子さんが人間の形に戻ってそこに座っていた。そこで初めて、これは聖志とそっくりな変容だ、と気が付いた。

「ご理解頂けましたか? 櫂さんが説明したことの中には、嘘は一言もありません。私は、幽霊によって造り出された霊的な存在です。今、櫂さんのアパートに同居しているのは事実ですが、それは、霊が部屋に取り憑いているのと何ら変わりはありません。

 ただし、私が存在する目的は、櫂さんを幸せにすることです。そして今は、好海さんと櫂さんが、良い関係になることこそ、私が力を注ぐべき課題なのです。その目的の為であれば、私は、私の全能力を使うことを惜しみません。その点だけは誤解無きように、お願いします。この通りです。」

 早太子さんは静かに頭を下げた。美しい礼だった。

「好海さん。」

 目を潤ませて藍田さんが言った。

「私はこんな早太子さんが大好きで、ファンになってしまいました。早太子さんのことをぜひ、信じてあげて下さい。」

 好海さんは手で口を塞いだまま、しばらく身動きが出来なかった。それどころか手も髪の毛も震えていた。

 僕たちは、好海さんに酷いことをしているのかも知れなかった。

 落ち着きをようやく取り戻した好海さんは、最後に言った。

「少し、時間が欲しいです。」

 時盛櫂についてこれまで抱いてきた印象も、完全崩壊して砂の山に変わってしまったかも知れない。

「ずっと秘密にしていてごめんなさい。でも、今聞いてもらって、あまりにも非現実的で、人に簡単に話せない話だってことは、分かってもらえた?」

 声の震えが止まらない。

「誰も信じないような話ですよね。」

 好海さんは笑っていなかった。

 結局僕は、その人に話せないような事実を、好海さんに話さなかったのだ。

「好海さん、実はね」と藍田さんが言った。

「この話は、警視庁公安部も共有しているんです。」

「そうなんですか?」

 好海さんの心が波立った。

「極秘事項になっています。だから、本来なら、この話は好海さんにしてはいけない話なんです。」

 藍田さんは僕の立場をおもんばかって言ってくれたのだ。

「好海さんも、絶対に他の人に話さないで下さい。寧音さんも知らない話ですから。寧音さんには、浮気の誤解が解けた、親戚のお姉さんと歩いていたところを見て誤解してた、くらいに説明しておいて欲しいです。もちろん、お二人の関係をどうするかは、好海さん、これから帰ってゆっくり考えてもらって構いません。ですよね?」

 藍田さんは早太子さんに確認をした。

「構いません。」

 僕はまな板の鯉になった。また胸が捩れた。

 それから好海さんに寧音さんの元へ戻ってもらった。

 去り際に好海さんは立ち止まり、「じゃ、また」と言った。普段使ったことのない、空疎な言葉だった。

 「さよなら、じゃないよな?」「また会おうって意味だよな?」

 僕の心の中で無限ループが始まった。

 その後のことは、全体的にぼんやりとしていて、あまりよく憶えていない。

 藍田さんは、二人にもう少しカラオケをしてもらうように頼んでいた。

 僕と藍田さんは先に店を出て、尾行を引き剥がしてアパートに向かった。監視の目がなくなったところで、二人に帰宅してもらうことにしたのだ。

 好海さんたち二人の帰宅を確認してから、早太子さんが霊ワープして部屋に戻ってきた。

 帰宅途中のコンビニで僕たちは缶ビールを少し買った。部屋でお疲れ様会をしようと、藍田さんが譲らなかったからだ。

「好海さんが理解してくれると良いですね。」と藍田さんが言った。

「ここが痛いです。」

 僕は胸を叩きながら言った。

 夢の中でもあの言葉は、僕を何度も何度も打ちのめした。

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