フランソワ

@PEDRONE

フランソワ

フランソワ

考えなくていいんだ。

こんななにもないような街では。

街は同じ空を見上げている。

人々はくだらない愛を叫んでいる。

このままこの街にはいてはいけない、

そう僕はぼんやり考えていた。


僕は誰にも何にも選ばれなかったし、

僕も誰も何も選ばなかった。

この街では、鉄の匂いが僕の

ささくれた心を容赦なく刺してくる。

好きだと思って始めたことも、

最後には嫌いになった。

いつまで僕はサヨナラばかり

繰り返すのだろう。

考えなくていいんだ。

こんななにもないような街では。

僕はこの街では僕になれなかった。

部屋を引き払いバッグひとつで

夜行バスに乗り込んだ。

バスは西に向かって走り出した。

何も考えずに眠りたかった。

しかし隣の席の同い年くらいの、

ひどく怯えて見える女の子が

僕を眠らせてくれなかった。

彼女は起こしてごめんね、と言ってから、

思いついたことをポツポツと語った。

その言葉は意味を持つ前に

バスの中の暗闇に溶けていった。

僕は眠りを邪魔されても

彼女が迷惑ではなかった。

「大丈夫?無理してない?」

と彼女は繰り返した。

僕は何も口に出さずに

彼女の話にときおり相槌をして

耳を傾け続けた。

断片的な言葉を繋ぎ合わせると、

彼女は高校を中退してから

家に引きこもるようになり、

30歳になると両親が他界し、

家にいられなくなり、

逃げ出すようにバスに乗った。

舞い散った彼女の言葉を

無理にかき集めようとはしなかった。

街にサヨナラしたばかりの僕が

もう誰かと出会っている。

そのことの方がおかしな感じがした。

彼女は「私ばかり話してごめんね」

と何度も口にしながら、

いつの間にか涙を流し、

涙が止まると眠りについた。

その後も僕はなかなか寝付けなかった。

夜が明けて、

目が覚めると

バスは新しい街に着いていた。

僕も彼女も、

どれくらいこの街に

滞在するのかはわからない。

別れ際、また機会があれば

この街で会いましょうと、

彼女と僕はLINEを交換した。

別れ際に彼女は微笑んで、

キャンディを一つ僕の手に握らせた。

バスを降りると、

やけに晴れ渡る空が広がっていて、

見たことのない景色がある予感がした。

息を吸ったあとに吐いた。

前の街ではそんな当たり前のことも

出来なかった。

この新しい街で、僕は僕になれるだろうか?

ドミトリーに荷物を預けて、

ロビーのソファで仮眠したあと、

街の真ん中を流れる鴨川に向かった。

その時、僕は気づいた。

バスで隣の席になった彼女には、

まだサヨナラを言っていないことに。

僕はもう一度彼女に会うことを想像したが、

この気持ちがなんなのか

判断せずに保留することにした。

朝、ドミトリーで目が覚めると、

ラウンジに備え付けられたコーヒーを

紙コップに入れ、無料の食パンを

トーストしてバターを塗って食べた。

食べ終わると

そのあと特にすることもなく、

足は自然に川に向いた。

鴨川に行く日もあれば、

高瀬川に行く日もあった。

その日は鴨川に行った。

ジョギングしている人、

着物を着て写真を撮っている人、

舞妓さんに付きまとう外国人、

風景画を描く中年の女性、

土手の上から川を眺めるカップル、

川面を見つめたまま瞑想に耽る老人。

お昼は近くのお店でおにぎりを買い、

ベンチに座り鴨川を眺めながら

お茶を飲んで大きめのおにぎりに齧り付いた。

午後は喫茶店で過ごした。

特にフランソワ喫茶室が気に入った。

入口を入ってすぐの壁にこう書いてあった。

昭和9年(1934)、四条小橋を南に少し下がった路地に、

喫茶店フランソアが開店、クラシック音楽とコーヒーの

好きな若者を喜ばせた。

立野正一、高木四郎、イタリア人のベンチベニら

若い芸術家仲間が設計したステンドグラスの窓、

優雅な白い天井、赤いビロードの椅子、

壁にかけられた「モナ・リザ」の複製など、

当初からサロン風の贅沢な喫茶店だった。

しかしオーナー立野の本当の意図は

もっと高いところにあった。

戦時色が深まり自由な言論が困難になっていく

時代に抗して、

反戦や前衛的な芸術を議論する場として、

このフランソアを提供しようとした。

当時、先鋭な論調で知られた『土曜新聞』なども、ここに来

ればいつでも手に入った。

寄稿者の多くがフランソアの常連だった。

「野にすみれが自由に咲く時代である」と語りかけるその主

張に啓発され

勇気づけられた若者も少なくなかった。

そんな文化的雰囲気にひかれてフランソアに通った青年の中

には、

今は亡き宇野重吉、

桑原武夫のような人もいた。

それから半世紀を経た今、

小さな喫茶店フランソアは、

京都昭和史の貴重なインデックスでもある。

僕は店の奥の壁に絵画が飾られた、

二人がけのソファに座った。

コーヒーとチーズケーキを注文した。

ウェイトレスの制服は昭和初期の

モダンをイメージしていて、

しばらく鉄の都市に暮らしていた

僕の目には新鮮に感じられた。

コーヒーを飲みながら、iPadで本を読み、

気が向くと、書きかけの小説の続きを書いたりした。

昭和初期にこの場所で本や新聞や雑誌を読み、

議論をした人々に思いを馳せつつ。

店内の時間は昭和初期のまま止まっているようだった。

夜、ドミトリーの狭いベッドの上に寝転んで

天井を眺めていると、

バスで隣の席になった

彼女、京子、にLINEを送ろうとしてやめる、

ということを何度も繰り返した。

結局送らずに僕は眠ってしまった。

次の日の朝、僕の足は高瀬川に向かった。

鴨川よりはるかに川の幅も流れも

こじんまりとしているが、

その静かで穏やかで直線的な川の流れは、

その時の僕には好ましかった。


しばらくぼんやり橋の上から川の流れを追っていた。


すると川沿いの細い路地を

若い女性が歩いてくるのが見えた。


僕は、もしかして、

とその女性が歩いてくる姿を

凝視したが、

それが京子でないとわかると

視線を落として溜め息をついた。

僕は彼女にLINEしなかったし、

彼女からの連絡も無かった。

僕たちの関係はLINEで続けるような関係

ではない気がしていた。

僕は街を歩きながら、

いつしか京子の姿を探すようになった。

街のどこかでばったり再会するのが

僕たちの関係には相応しいような気がしていた。

しかし京子がどう思っているのかは

わからなかった。

もう僕のことを忘れているかもしれないし、

既に別の場所に去っていたのかもしれなかった。

僕はそれ以上、彼女のことを考えるのはやめて、

外国人が多くて今より安いドミトリーに移り、

朝は川沿いを散歩して、その足で本屋に行き、

午後はフランソワで過ごす静かな生活を続けた。

僕は大学中退以来無職だったが、

親の遺産を最低限の資産運用するだけで、

生活に困ることは無かった。

生活に困っていなくても、僕は僕になるために、

小説を書いていた。

京都に来てから半年経つ頃に、

小説を新人賞に応募した。

何者かになることをあきらめきれない僕は

作家になれば何かが変わると思っていた。

応募から半年後、落選を知った。


失うものなんか無いと

言っていたはずの僕は、

雪の降りしきる極寒の京都の夜の街を

あてもなく亡霊のように彷徨い歩いた。

ドミトリーに戻ると高熱が出てしばらく寝込んだ。

ルームメートのバングラデシュから来た青年が

温かいスープを飲ませてくれた。

回復しても新しい小説を書く気にはなれず、

無為の日々が続いた。

何をすればいいのか、何処へ行けばいいのか、

さっぱりわからなかった。

もう鴨川にも高瀬川、フランソワにも行かず、

ドミトリーに引きこもるようになった。


お弁当を買って食べたり、

シャワーを浴びる以外は、

まるで余生を送る老人のように

ドミトリーのベッドの上で天井を眺めていた。

ある日、突然外に出てみようと思った。

いつの間にか冬は終わっていた。

高瀬川沿いを歩いてから、

フランソワに入ろうとしたところで、

すぐそばの桜の木陰から一人の女性が

小さな階段をこちらへ登ってくるのが見えた。

フランソワの扉に手を伸ばそうとしていた

僕の身体は静止画のように止まった。

僕の瞳の中で彼女の姿が大きくなる。

息を飲んだ。

彼女は僕の視線に気づいて、

少し目を細めたあと、まるで桜の蕾が

開花したような笑顔になった。

その笑顔が僕の視界の中で舞った瞬間、

僕はようやく僕になれた気がした。

いや違う。

﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅ ﹅

京子が僕を僕に戻してくれたのだ。

フランソワの前で、二人はしばし見つめあった。

京子は何も言わずに、キャンディを一つ僕の手に握らせた。

夜行バスではじめて会った夜から、一年が経っていた。




出典 フランソワ喫茶室HP

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