第1章 邂逅は突然に(2)

 ガチャン、と重苦しい音が響いた。

 それは、倉俣翔太の手首と足首が、革張りのベルトによって診察台に固定された音だった。


「ちょ、ちょっと! 本気ですかこれ!? 犯罪ですよ!?」

「失礼な。これは『保護』です。暴れて怪我をしたら、もっと大変なことになりますから」


 メイドの光子は涼しい顔で言い放ち、手際よく拘束の具合を確認した。

 指一本分の隙間もない、完璧なプロの仕事だった。

 翔太は必死に身をよじるが、診察台はびくともしない。


 そこに、白衣を纏った悪魔――もとい、物集女一華が優雅に歩み寄ってきた。

 彼女の手には、銀色に輝くノギスと、ふかふかのタオルが握られている。


「さて……これでようやく、落ち着いてお話ができますわね」

「落ち着けるわけないでしょう!?」

「静かに。大きな声を出すと、『彼』が怯えてしまいますわ」


 一華は真剣な眼差しで翔太の股間を見つめ、諭すように言った。

 その目は、まるで怯える小動物をあやす母親のように慈愛に満ちている。

 対象が男子高校生の股間であることを除けば、だが。


「倉俣さん。貴方は、ご自分のそれがどれほど素晴らしいものか、理解していて?」

「そ、それって……おちんちんのことですか?」

「ええ。貴方の股間に眠る、その未完成の原石のことです」


 一華はうっとりとした表情で、翔太のズボンの上から、そっと指先でなぞった。

 ゾワリ、と背筋に電流が走る。

 直接触れられているわけではない。

 布越しの感触だ。

 しかし、彼女の指先から伝わってくる熱と執着が、布を透過して直接神経を逆撫でするかのようだった。


「ひっ……!」


「あら、いい反応。……貴方、普段の生活で『彼』に感謝したことはありますの?」

「か、感謝……?」


 予想外の質問に、翔太は言葉を詰まらせた。

 感謝。おちんちんに?


「あるわけないでしょう! というか、それは僕の体の一部で、別の人格があるわけじゃ……」

「嘆かわしい!」


 一華は悲劇のヒロインのように天を仰いだ。


「これだから殿方は野蛮なのです! いいですか、『彼』は貴方とは別の意思を持って生きているのですわ! 貴方が悲しい時でも、朝になれば元気に立ち上がり、貴方が意識していなくても、生命の種を生成し続ける……。そんな健気で働き者のパートナーに対して、感謝の一つもないなんて!」

「い、いや、それは生理現象であって……」

「生理現象? 言葉が軽すぎますわ! それは『生命の神秘』! 『宇宙の鼓動』! そして何より……」


 一華は再び顔を近づけ、濡れた瞳で囁いた。


「……こんなにも、愛らしくて、守ってあげたくなる『かたち』をしていますのよ?」


 彼女の論理は破綻している。

 だが、その熱量と確信に満ちた言葉には、奇妙な説得力(圧力)があった。

 この空間において、常識は彼女だ。

 彼女が白と言えば黒も白になる。

 ここでは「おちんちん」は、崇拝すべき御神体なのだ。


「さあ、光子。準備はよろしくて?」

「はい、お嬢様。環境音アンビエント、湿度、温度、すべて完璧です」


 光子がリモコンを操作すると、部屋の照明が少し落ち、どこからともなく癒やしの音楽(川のせせらぎと小鳥のさえずり)が流れ始めた。

 間接照明に照らされた「花園」は、ますます妖しい雰囲気を醸し出す。


「倉俣さん。まずはリラックスしてくださいまし。筋肉がこわばっていると、正確なデータが取れませんから」

「データって……何をする気なんですか!?」


「決まっていますわ」


 一華はニッコリと笑い、タオルの端を優雅に摘み上げた。

 そして、翔太のベルトに手をかける。


「まずは視診。そして触診。……ありのままの『彼』を、この目に焼き付けさせていただきますわ」


 カチャリ。

 ズボンの金具が外れる音が、静寂の中に響いた。


「や、やめてください! 本当に! 僕、まだ誰にも見せたことないんです!」

「まあ! なんて素晴らしい!」


 翔太の必死の抵抗が、逆に火に油を注いでしまった。

 一華の瞳が、黄金に輝く。


「処女……ならぬ、童貞チェリーの秘蔵っ子! 穢れを知らぬ深窓の令息! 最高ですわ、最高のマリアージュですわ!!」


 興奮のあまり、一華の鼻息がフンスフンスと荒くなる。

 理性のタガが外れかけている。

 まずい。このままでは、ただ見るだけで済むはずがない。


「物集女さん、落ち着いて! 深呼吸! 数を数えて!」

「いち、に、さん……おちんちん!!」

「数えられてない!」


 ダメだ、会話が成立しない。

 一華の手が、チャックを下ろしていく。

 ジジジ……という音が、翔太の理性の崩壊へのカウントダウンのように聞こえた。


「ああ……もう少し……もう少しで、貴方に会えますのね……」


 一華の指が震えている。

 それは恐怖ではない。極限の歓喜と、これから目の当たりにする未知への畏敬による震えだ。

 ズボンが左右に開かれ、トランクスのゴムが露わになる。


「さようなら、私の平穏な高校生活……」


 翔太は天を仰ぎ、涙を流した。

 そして。

 光子が無慈悲にズボンを引き下ろした瞬間。


 ――世界は、一華のものになった。


「…………ッ!!」


 声にならない声が、一華の喉から漏れた。

 トランクス越しでも分かる、その輪郭。

 まだ完全には目覚めていない、眠れる獅子。

 あるいは、繭の中で眠る妖精。


「……可愛い」


 恍惚とした溜息とともに、一華の理性が完全に決壊した。


「なんて……なんて可愛いらしいのですかぁああああああッ!!」


 絶叫とともに、一華は翔太の股間へとダイブした。


「うわあああああああッ!?!?」


 翔太の悲鳴と、一華の歓喜の雄叫びが、夕暮れの理科準備室に交差する。

 それは、禁断の扉が開かれた音だった。

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